インテリアデザイン業界のアップルを目指す!「やりたいこと」に挑戦し続けるのが僕の使命。

インテリアデザイナーとして世界のトップレベルを目指すため、ニューヨークで挑戦する前田さん。スーパーブランドの仕事で世界の広さを感じ、海外への挑戦を考え始めるものの、夢と現実の狭間で葛藤する時期もあったようです。そんな前田さんが挑戦のためにした決断とは。お話を伺いました。

前田 翼

まえだ つばさ|インテリアデザイナー
インテリアデザイナーとしてニューヨークで挑戦する。

インテリアデザインに憧れる


僕は福井県あわら市で生まれ育ちました。自宅の目の前は田んぼが一面に広がる環境で、デザインの「デ」の字もない場所でした。(笑) 田舎だったので、8帖ほどの一人部屋を与えられていて、勉強が大嫌いだった僕は、テスト期間になる度に部屋の模様替えをしていました。毎週のように、ベットや机の配置が変わっていましたね。

また、高校卒業後の進路に悩んでいた頃、コンビニでもインテリアの雑誌が並ぶようになりました。それを見るうちに、単純に「インテリアデザイナーってカッコいいなぁ」と安易な考えで、大阪にあるデザイン専門学校のインテリアデザイン科に進学することにしました。

ただ、専門学校は、何をやっているのか良くわからないまま、とにかくがむしゃらに過ごした2年間でした。 しかし、一番肝心な「デザインをもっと好きになること」ができる場でした。

卒業後はデザイン事務所に入りたかったのですが、それは叶いませんでした。専門学校を終えただけの自分がいきなり挑戦できる場所ではないと思い、応募すらしなかったのです。

そして、学校内にある求人をところ構わず応募したところ、内定をもらう事ができた会社は求人票に「設計・施工」と書いてある会社でした。正直、その意味すら分からずに入社しました。

すると、そこでの仕事は、いわゆる現場監督でした。しかし、現場監督と言っても手伝えることは掃除と雑用だけ。ヘルメットをかぶり、ホコリまみれになって、職人さんに怒鳴られて過ごす毎日でした。

特に、年に2回ほど訪れる繁忙期が大変でした。真冬に家に帰れない日々が続き、完成してないお店のフィッティングルームで、寒さをしのぐために工事現場の照明器具を抱いて寝ていた事もあるほどだったのです。

ヨーロッパで建築を見る一人旅に出て自信をつける


そんな生活を続けて2年目のある時、その生活に強烈に違和感を感じてしまいました。そこで、専門学校の先生に相談に行くと、ある東京のデザイン事務所を紹介してもらえたのです。

僕はすぐに東京に向かい、面接を受けました。しかし、その事務所では、本当に素晴らしいデザインをしていたし、オファーももらうことができたのですが、決断できずにいました。

学生時代からずっと持っていた「デザインの本場であるヨーロッパに行ってみたい!」という気持ちを払拭できなかったのです。そして、どうせ行くならまとまった時間で色々な国へ行きたいと考えていたので、「行くなら今しかない!」と考え、オファーを断ることにしました。会社も辞め、住んでいた部屋も解約し、1ヶ月間ヨーロッパへ一人旅に出ようと。

また、その時から、帰国後は上京することも決めていました。「デザインやるなら、やっぱり東京だ!」と感じたのです。ただ、デザイン事務所での面接は通常、過去の作品を見せるのですが、私はデザイナーとして働いたことがないので作品がありませんでした。

そのため、改めて自分の強みは何か考えたところ、その答えは「デザインが誰よりも好きなこと」でした。そこで、スケッチブックにこの旅で名建築のスケッチと日記を書いて「自分はこんなにデザインが好きです!」とアピールする作品にしようと決めたのです。

ヨーロッパへ到着すると、苦難の連続でした。それまでは、海外にはほとんど行ったことがなく、英語も喋れなかったので、最初にイタリアに着いた時、どうすればいいか分からず何時間も空港から出られませんでした。

しかし、何度も足止めくらい、孤独の寂しさで涙しながらも、なんとか行く前に決めていた6カ国を回るルートを達成できたのです。教科書に出てくる建築ばかり見て回りましたが、実は建築への美しさよりも「ここまで来た」という達成感に感動しましたね。この時、人間やる気になればできるものだと、自信をつけることができました。

デザイン事務所はまるで『プラダを着た悪魔』のような世界


1ヶ月の旅を終えてすぐ、東京のデザイン事務所に絞って履歴書を何枚も送りました。すると、信じられないことに、全て通過したのです。この時、「自信」や「情熱」といった内面の感情が、自ずと選ぶ言葉や筆圧など文字にも表れ、第三者にも伝わるのだと実感しました。

その後、すぐに面接を受けるため東京に向かいました。1社目の面接は、4人のグループ面接で、他の希望者の話を聞いていると唖然としました。これまでのキャリアと実績の凄さに圧倒されてしまったのです。

しかし今さら焦っても仕方ないので、例のスケッチブックを出しました。すると、デザイン事務所の代表が「コレ欲しいなぁ」と言ってくれたのです。嬉しかったですね。そして、なんと、その日のうちに採用の連絡がもらえました。そこで、これは運命だと感じ、他の会社は受けずにその場で「西脇一郎デザイン事務所」に入社することを決めました。

しかし、入社して半年くらいは本当に大変な日々でした。デザインに関わる仕事なんかはさせてもらえず、代表のジャケットやスーツをクリーニングに出すことが日課でした。それが終わると、デザインに使うサンプル素材が置いてある部屋の掃除が仕事で、週末は代表の買い物に付き合うこともありました。まるで映画『プラダを着た悪魔』に出てくる主人公のようでしたね。

それでも早く認められたかったので、「自分に何ができるのか?」と常に考えて行動するようになりました。そして半年ほど経つと代表にも少しずつ認められ、デザインの仕事を担当できるようになっていったのです。

大変ではありましたが、この経験によって、デザイナーとしての原点を作ってもらえました。また、自分が成長するに連れて、愛情を持って接してもらえていたことを、実感できるようになりましたね。

愛する人との生活と、ニューヨークで挑戦したい個人の夢との間で揺れる


2年ほど経ったある日、GUCCIの仕事の話がきました。会社としてもビッグプロジェクトで、僕は真っ先に担当したいと名乗り出ました。そして運良く話が順調に進み、仕事を受けることになりました。

担当者はニューヨークにある、世界初の新コンセプトで作られた店舗へ研修に行くことが決まっていました。人生初めてのニューヨークは、全てが眩しい世界で感動しました。福井県の田んぼに囲まれた場所から、GUCCIのプロジェクトでニューヨークに来たなんて信じられませんでした。

しかし感動も束の間、実際にプロジェクトが始まると世界の広さや自分の未熟さに気づかされたのです。それまでは日本の中では良い仕事を経験してきましたが、自分の視野はいかにちっぽけだったのかと感じました。そして、ニューヨークで働きたい、そんな想いが芽生えたのです。

その後、4年ほどデザイン事務所に勤めてからは、結婚し、フリーランスとして仕事を始めました。しかし、仕事が無く、貯金はみるみる減っていく一方でした。ニューヨークへ挑戦するための貯金もできず、夫婦の仲もうまくいかない時期が続きました。

そして、一緒にいることが、お互いにとって本当に良いことなのかと考えるようになりました。ただ、「2人の幸せ」とは何か、突き詰めて話し合っていくと、それは意外にもシンプルなことだと気づいたのです。「家族と笑顔で暮らすこと」だと。

また、お互い愛しているのにうまくいかないのはなぜか考えると、それは単純に「2人のビジョン」が合っていないからだと気づいたのです。しかし一度きりの人生、それぞれ個人としてもやりたいことがありました。

そこで、同じビジョンを描くため、巻物のように、60歳頃までの未来年表を書くことにました。それぞれの夢を実現していくためには、何をいつまでにする必要があるのかを明確にしていったのです。

そして、その年表を一番目立つリビングの壁に貼って、毎日見るようにしました。すると、お互いの目標や夢の期限を共有することができ、お互いの行動に納得を持てるようになりました。また、目標から逆算して目の前の行動も明確になっていくと、不思議と仕事も舞い込むようになり、少しずつ前に進むことができたのです。

ニューヨークに来て感じた、まず自分がするべきこと


その年表の中で、僕は幸せを実現するために、30歳までにはニューヨークに行くことを決めていました。また、ニューヨークでは、僕たちの世界で最高峰のデザイン事務所「Peter Marino Architect(ピーター・マリノ・アーキテクト)」で働きたいと考えていました。

そのため、何度もメールを送りましたが、返信はもらえませんでした。それなら直接行って話すしかないと思い、ちょうど30歳になった2014年にニューヨークに渡ることに決めたのです。

ニューヨークに来てからもアポイントは取れなかったので、しばらくして直接事務所に向かうことにしました。ビルの入り口のセキュリティや、事務所の受付で何度も断られながらも、粘りに粘って、何とか人事と話すところまでたどり着きました。

しかし、数分ほど話す中で、自分がいかに非常識な行動をしているのか、痛感したのです。ニューヨークは人種のるつぼと言われている場所ですが、実は外国人が働くにはとても厳しい環境で、就労ビザを取得するには雇う会社にとっても大きな負担になる。そんな中、世界有数のデザイン事務所であるこの会社には、毎日何百人もの人から働きたいと連絡が来ている状況。それにも関わらず、英語もままならず、ビザも取れていないのに情熱だけで押しかけるのはどれほど非常識なことだったのかと。

その事実を知り、まずは自分のできることから始めようと、ビザ取得にあたり自分にとって一番相応しいやり方を見つけ、自分自身で取得する準備を始めたのです。

世界で通用する新しいデザイン事務所を作りたい


今は、就労ビザを取るために、ニューヨークで奮闘しています。近い目標は、ビザ取り、Peter Marino Architectで働くことですが、将来的には、「ニューヨークみたいなデザイン事務所」を創りたいと思っています。

異なる背景を持った人たちが集まり、それぞれの価値観をぶつけ合い、ああでもないこうでもないと話しながら、常に新しいモノが生まれる環境です。自分が苦手だと思っていることは、誰かは得意であり大好きなことかもしれない。お互いの得意なことで関わり、みんなが手を組んでハッピーになれるようにしたいですね。

また、みんながビジョンを共有して、一緒にマラソンを走っていけるような持久力のある組織にしたいです。描いている組織に必要だと思う人には、既に声をかけ始めています。オフィスは東京とニューヨークに構え、「インテリアデザイン業界のアップル」のように革新的な事務所を創れたらと思います。

「やりたいこと」に挑戦し続けるのが僕の使命だと思っているので、これからも周囲からは馬鹿にされるかもしれないほど大きなことを目指していきます。そして、やりたいことを通じて有名になりたいと考えています。それは自分の欲望だけでなく、有名になることが家族や友人、これまでお世話になった方等、関わった全ての人への恩返しになると思っているからです。


せっかく、色々なことに挑戦しやすいこの時代に生まれたからには、一度きりの人生、楽しまなければならないと考えています。ただ、そのためには努力が必要で、それは1人だけでは絶対にできません。家族や友人、様々な方に支えられているからこそできるのです。デザイナーとしての基礎を鍛えてくれ、退職した現在でも食事を共にさせてもらいながら叱咤激励をしてくれる、前職のデザイン事務所代表にも感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも、共感してもらえる人たちと一緒に成長しながら、後悔しないように生きていければ幸せです。

2015.06.04

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