マーケティングの本質を、人生を紡ぐ力へ。一人一人異なる力を、生かし合える世界に。
「ピープルブランド・キャリアマーケター」として、人の能力や魅力を育て、可視化し、未来を編む力として発揮する機会をつくる内藤 さん。「その人ならではの価値を生み出す力に」「人生の転機を後押しする力となりたい」という強い想いは、どのように生まれたのでしょうか。お話を伺いました。
内藤 博之
ないとう ひろゆき|ピープルブランド・キャリアマーケター
ピープルブランド・キャリアマーケター
株式会社パスウィーヴ 代表取締役 / 慶應義塾大学SFC研究員 /
Gallup社認定ストレングスコーチ / キャリアコンサルタント(国家資格/GCDF) /
一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会理事 /
フィリピン孤児進学支援PARASAIYO元代表 / 高校交換留学支援 FACE=DtD= 創立者
好奇心が紡ぐ未来へ、新たな道を。
【2017年10月30日イベント登壇!】自分らしく「やりたいことをやる人生」を切り拓くために出会うべきコトとは?
「楽しい」を生み出す
生まれは福岡県です。父が転勤族で、幼稚園のときに東京に引っ越しました。外で遊ぶことも好きでしたが、休み時間は教室の中で、友達と何か作ることが好きでした。自分のノートでロールプレイングゲームや漫画を描いたり、ファミコンに燃える、おとなしい性格でした。
そんな私が、小学5年のとき、初めて大きな喧嘩をしました。しかも相手は、学年を牛耳っていた同級生。「俺らはこっち、お前らは向こう」みたいな、クラスの中で一線を引くような雰囲気に日頃から違和感を抱いていて。どっちが上とか、そういうのは間違ってると思ってたんです。ある時、それが限界を超えて、「ふざけんな!」って、校門の前で同級生と喧嘩に。(笑)
すると次の日から、向こうの接し方が変わったんです。上から目線だった同級生が対等に接するようになって、見えない壁が溶けたみたいでした。良い雰囲気を生み出せたんです。自分が間違っていると感じたことに対して行動を起こして、初めて他者に向き合った瞬間でした。
初めて好きな子ができたのもちょうどその頃でした。その子を笑わせるのが楽しかったんですよね。なんかちょっと工夫を加えたり、奇想天外なことをしてみたり。そういう出来事が重なって、場を作るとか、みんなで楽しむのって好きだなという想いが芽生えました。
中学2年生で、渋谷から埼玉の田舎に引っ越しました。転校したばかりの頃はかなり落ち込んでいましたね。今まで築き上げてきた最高に楽しい仲間・部活・遊び・恋愛、全てが リセットされたからです。
でも、新たな環境にいくときこそ、「新たな友人と楽しい時間をつくりたい」という気持ちは変わらず強く持っていたので、色々な企画を立てました。例えば、合唱祭が盛んな学校だったんですけど、男子って合唱とか照れくさいから練習しないじゃないですか。だから、掃除の時間に流れている静かな曲を、カラオケで人気の曲に変えて、自然に歌える環境をつくって、歌の練習を楽しくできるようにしたり。課題曲の歌詞を印刷して学年全員に配布して、「どのクラスが一番上手いか対抗戦だ!」って盛り上げたり。
そういう風に、ちょっとした工夫とか仕掛けでみんなを盛り上げることで、自然と同級生同士の繋がりが強まったし、自分の成功体験にもなりました。やっぱり何をやるにも、楽しくやれば、より良い結果になるし、みんなハッピーだよね、って実感しました。どんなにいがみあってる人たちがいても、お互いの「楽しい」を繋ぎさえすれば上手く行くってことを学んだんです。「Practise makes perfect」という英語のことわざのアレンジで「Smile Makes Perfect」をメールアドレスにしていました。「パーフェクトな状態は、みんなが笑っていることだ」と。ちょっと照れくさいけど、私の座右の銘でした。
君に出逢えたから人生が変わった
高校へ進学し、往復4時間かけて学校に通いました。小学1年生から続けていた剣道で、インターハイ出場を目指していたので、部活と勉強に集中する毎日でした。
そんな生活が続いていたある日、学校で1枚のプリントが配られました。ニュージーランド短期留学プログラムの案内です。直感で、見た瞬間に行こうと決めました。夏休みにある極限まで絞り込む部活の合宿があったので、迷わずにもう一人の部員と行っちゃおうと。
初めての海外は驚きの連続でした。日本と違うものに溢れて、世界の広がり、人の広がりを感じるっていうか。先生の教え方が上手くて授業はわかりやすいし、教室の空間づくりもカラフルで楽しいし、言葉が通じない人とでもバスケで打ち解けてコミュニケーションが取れる。新たな気づきと刺激に溢れ、楽しくて仕方ない時間でした。ありとあらゆる違い、人の魅力、世界の広さが自分の中に飛び込んできたんですよね。
ただ、英語が話せないことはすごくもどかしかったです。たくさんの魅力的な人と出会えたのに、深い話が全くできないんですよ。笑顔でかわすばかりで。英語が上手くなったら、この人たちともっと話せるのに、何かできるのにって思いました。
そんな想いから、英語を話せるようになるために長期留学をしようと思いました。猛反対の両親を説得するために、信頼できる先生と自主的に面談を申し込み、英語力を活かした大学受験の方法を徹底的に調べました。リビングのテーブルに留学雑誌を置き続けたある日、ついに親から許しが出て、高校2年の秋から1年間留学をすることになりました。
留学して最初の数ヶ月は辛過ぎました。フレンドシックというんでしょうか。走馬灯みたいに、毎晩夢に日本の友達が出てくるんですよ。あとは、自分の考えを表現しきれない辛さがありました。リンゴを投げられたり、ペンを取られたりすることもあったんですけど、「返せ」の一言も出てこないんです。小さい紙の辞書で調べて、やっと「ギブバックマイペン」とか噛み噛みに言って。悔しかったですね。
それで、対等に自然に話したいと、毎晩、集中して勉強しました。その日出会ったわからない言葉を毎日単語帳に書き加えたり、日本の友達が送ってくれた手紙を全文英訳して、日本語の授業を教える先生に添削してもらったり。3ヶ月ほど、そんな勉強を続けてたら、「あ、英語、喋れてる」って感じた瞬間が訪れました。少しずつ成長を実感できたんです。
そこからはどんどん英語が喋れるようになって、毎日が楽しくなりました。もちろん、ペンを取られた友達とも仲良くなりました。(笑)色んな国の人と深く話せたし、全員と遊び、楽しみ、挑戦した結果を感じ、日本に帰ってきました。帰国直前に、現地の友達からもらった手紙に「もしヒロに会えていなかったら、俺の人生はつまらなかった」って書かれていたんです。心に衝撃が走りました。あんなに悩み倒した、苦労した留学生活でも、誰かの人生に何か価値を届けられているって素晴らしいことだなって感じたんです。
人が幸せを実感する瞬間をつくりたい
帰国後は、大学受験に向けて動き出しました。合格した大学もあったのですが、第一志望ではありませんでした。妥協したくなくて、再び両親を説得し、浪人させてもらいました。
そんな時に、 帰国前に衝撃の言葉をくれたオーストラリア人の友達が日本に来ることになりました。何か手伝いたいという気持ちで、外国人留学生のためのオリエンテーションに学生ボランティアとして参加したんです。
そこでの経験で、大きな衝撃を受けました。何の経験もない浪人中の自分が、すごく誰かの役に立てたんですよね。自分ならではの価値や力を生かしたり、経験を語ることで、社会人にも高校生にも喜ばれました。会社の人から「助かったよ」とか言ってもらえるし、留学生もすごい喜んでいるし。浪人生という不安な時期に「10代の自分でも、こんなに社会に貢献できるんだ」「学校だけでなく、成長できるんだ」って実感できて、もっと挑戦したいと思うようになったんです。
そんな背景もあって、大学に入ってからは社会人時代より忙しいんじゃないかってくらい様々な活動に日夜没頭しました。毎日かかさず授業に出て、1限にもしっかり出席。マーケティングと経営で3つのゼミに所属し、スノーボードサークルでは代表も務めました。また、課外活動としてフィリピン孤児の進学支援、他大学生との大自然キャンプ、そして、高校生の留学支援団体FACE=DtD=も立ち上げました。課外活動の面白さとその失敗と成功の繰り返しで、成長に目覚めてしまったので、使える時間は全てそこに捧げましたね。
大学3年で進路を考えたとき、仕事としても追求したい!と思えたのがブランドマーケティングでした。普段から目にしているお菓子や日用品といった身近なものに、色んな想いや戦略が込められているのを知り、「これはすごいぞ」と思ったんです。
ちょうどその頃、自分が運営するキャンプや留学支援の活動に友達を誘うときに、難しさを感じていました。どんなに仲が良い相手でも、素晴らしい活動でも、価値が上手く伝わらないということに現実の厳しさを痛感して。だからこそ、見えない価値を創り出したり、可視化して、多くの人に届けるマーケティングに、すごく可能性を感じたんです。
誰かの本音に耳を傾け、新たな価値を創り出すマーケティングは、今までの自分の好奇心と重なりました。例えば、掃除のときに音楽をかけて盛り上げるとか、好きな子を笑わせるために場づくりをするとか。そうやって新しいことを作るのが好きだったので、マーケティングの世界がどんどん好きになりました。
ところが、大学4年のとき、ある企業の方から「お前は何がやりたいの?」と聞かれ、「マーケティングをやりたいです」と答えたら「今のお前とは働きたくない、10年後のお前と働きたい」と言われたんです。20歳程度上の先輩の方で、すごく信頼してくださっていたのに、なんでこんなこと言うんだろうって、最初は戸惑いました。
その言葉ですごく考えさせられて、自分ととことん向き合ったんです。そのときに気づいたのが、マーケティングは一つの手段にしかすぎないということでした。つまり、マーケティングによって何を実現したいのか。自分の気持ちは何に対して動くのかを、色んな活動を通して考えるようになりました。
そんな未来にもやっとする中、カンボジアを旅行している時に、とてつもなく大きなフライパンで料理するお母さんと出会ったんです 。その姿を見て、「これは普通じゃ持てないよな。大変そうだな。」とか考えるうちにハッとして。人の生活ってもっと良く変えられるよなって思ったんです。「人が幸せを感じる瞬間を生み出したい」という想いは昔から変わらなくて、その幸せは日々の生活の中にあるってことに気付いたんですよね。それで、「世界中の人が、生活の中で幸せだと実感する瞬間をつくりたい」という、抽象的だけど、自分の志がこもったビジョンが見えるようになりました。
素晴らしすぎて、とどめたくない力
就職活動では、人の生活に関わる仕事を軸に、「ゼロからつくる喜びを」「世界中のリーダーと切磋琢磨を」「世界中の一人でも多くの人に」という切り口で会社を探しました。いくつかご縁があった中で、約180か国でブランドを展開する多国籍企業のユニリーバに入社を決めました。
入社してからは、ヘアケアのマーケティングを担当しました。1年目から数億の予算を任せてもらえたし、お客様の声を直接聞くことができたので、毎日が修行のようでドキドキでしたが、「人の喜びを生み出す」という実感を持てました。何か挑戦した瞬間、世の中からフィードバックがあって。やりがいを感じられましたね。
もちろん、上手くいかないこともありました。入社当時は「今日何回怒られたんだろう」ってエレベーターの中でも思い出すくらい落ち込む時もありました。それでも、目指す未来は明確でした。できなかったことに毎日挑戦して、トライアンドエラーを繰り返すことで、自分の成長を感じ、頑張れました。世界中で、それぞれの個性や強みを活かして働く仲間や先輩と出会えたことも大きかったです。
日本のマーケティングを学んでから、希望が叶ってインドのムンバイへ海外赴任することになりました。日本とは全く違う特徴を持った市場に飛び込み、地域によって異なるインド全土の人へブランドを届ける挑戦で、自分の本来の力が試されました。
大きな投資をして成長を加速させるブランドもあれば、弱くなったイメージを強めるブランドも売り上げがどっと落ちてV字回復させるブランドもあったりと。それぞれの成長フェーズに合わせたマーケティングを様々な国に向けて実践しました。
特に、シンガポールで担当したグローバルブランドのつくり方は本当に衝撃的でした。目に見えない価値を、可視化する力とスピードがすごいんですよ。一つ一つの商品コンセプトや、ものづくりへのこだわり、強みを活かし合うチームの連携体制、それぞれのリーダーシップの取り方など、色んな力が合わさって、新たなブランドが世界に生み出されるんです。
ユニリーバの中でも、世界で一番伸びているブランドでした。それを目の当たりにしたときに、この仕事があまりにも素晴らしくて、会社の中にとどめておくのはもったいないと感じちゃったんですね。
そのときに、ブランドを生み出すことって「人の夢の実現」に役立てられるんじゃないかって気がついたんです。誰かの未来とか、こんな人生あったら良いなっていう、もやっとした理想や、曖昧な未来を可視化したり、本人が持つ魅力や可能性を、誰かの価値に変える力に変えたり。
マーケティングって色々なイメージが湧いて誤解されがちですが、本質は、多様で複雑な人の感情まで深く理解することにあるんです。そこに価値を生み出したり、届けたりして、新たな市場ができるほど、大きな感動をつくることができます。
そのマーケティングの本質と、人が未来へ向かうのを応援する力が重なったんです。そのとき、今までの課外活動で、自分が喜びを感じながら続けてきたことと繋がりました。
オーストラリアの友達に「ヒロと出会えなければ、俺の人生つまらなかった」と言われたときから、誰かの役に立ちたい、人生の一歩を踏み出す力になりたいという気持ちはずっと持っていて。グローバルブランドで学んだマーケティングの実践知を、誰かの夢や志の実現に応用できたら、人の数だけ、新たな感動が生まれるんじゃないかなってビジョンがすごく鮮明に浮かんだんですよね。そこまで見えたら、もうやるしかないと思って、独立を決意しました。
でも、ユニリーバの成長へ貢献をしたいという気持ちは変わらず、 独立してからもパートナーとして関わらせていただきました。そんな前例はなかったのですが、好奇心を誰かのために役立てることで、それぞれのキャリアを紡げると、そこでも感じることができました。
一人一人異なる幸せ
こうして「好奇心が紡ぐ未来へ、新たな道を」をビジョンに掲げる株式会社パスウィーヴを立ち上げました。現在は、目指す未来を編む力を育てる企業ワークショップ、個人セッション、大学の講義などを行っています。
何をやっているの?と聞かれたときは、「ピープルブランドマーケティング」と答えています。つまり、一人一人異なる人の価値を可視化し、本人が持つ、自らの力で道なき道をつくっていくための機会・スキル・体験を提供しています。
人の魅力や能力って、他人にはちゃんと見えてないものがたくさんあると思うんです。世界のどこで生まれたって、どんな環境に育ったって、人それぞれに価値がある。誰かの役に立てる力がある。その魅力を可視化したり、実践の方法論を伝えたり、一緒につくる体験を作ったりすることで、人の数だけ、世の中に感動が生まれると感じています。
企業であれば、社員の発想や意欲を生かしたビジネス成長に 、個人なら自分の好奇心を誰かの役に立て幸せを感じるキャリア形成に繋がります。
世界中でたくさんの学生と出会い、仲間と語る中で、やりたいことや可能性があるのに妥協してしまう人をたくさん見てきました。でも、目指すことに一歩踏み出す心持ちになれば、景色が変わるのも見てきました。15年近く支援しているフィリピン孤児も、立派なキャリアを歩み始めています。そして、その力は企業経営者にとっても、個に秘められた大きな力なんです。
「このワークショップに出会えてよかった」「もっと人生で早く出会いたかった」って言ってもらえることが増えてきて、格別な喜びです。未来への好奇心があって、それを後押しできた瞬間はとても嬉しいです。本人が、本人の基準で、幸せだって感じる人生を編む瞬間なんです。
私自身が、浪人時代に「何者でもない自分でもこんなに役に立てるんだ」っていうのを実感できたから、その感覚さえあれば、世界中全てのひとが誰かの役に立てるって確信してるんです。そういう風に未来を自分の手で作っていける人が増えて、自分も幸せだし周りも幸せ、そして世界に人の数だけ新たな価値が生まれるっていうwin-win-winな世界を目指しています。
ボランティアって偽善じゃないの? 誰かの役にたつって綺麗事じゃないの?って、突っ込まれることがあります。それも一つの見方です。その中で気づくのは、 全ての人が無理に誰かのために動くことを強制する必要はないんです。
自分が幸せになりたいという気持ちを、他人を幸せにする力に変えればいいと思うんです。つまり、自己実現をするひとが増えることで初めて、誰かに幸せが伝播していくって信じていて。「やってあげる」っていう精神じゃなくて、みんなが自然に好奇心が湧くことをしていたら、結果、誰かのために役立っているって思える世の中。そんな風に、ひとりひとりの自己実現の力って、世界をより良くする力になると思うんです。
最終的には、私が会ったこともないような世界中の人たちも、一人一人の異なる価値や力を生かして、自分らしい人生を編んでいる、そこで新たな価値が生まれているような仕組みを作るのが目標ですね。支援してるフィリピンの孤児や、紛争状態にあったり、学ぶ環境が用意されていない子どもたちでも、本来の力や好奇心を全て発揮できるような世界を作りたいんです。その世界を実現するために、必要なことをひとつひとつ実現していきます。
これは私の人生だけでも、誰か一人の力でもできません。共感する多くの仲間と出会い、いろんな人と共に、世界の未来を紡いでいきたいです。これからの出逢いと挑戦が心から楽しみです。
2017.10.24