大田区で、施設を拠点に人と人とをつなぐ。 公務員、母、妻として、自分らしい選択肢を。

大田区役所の産業振興課で働きつつ、2人の娘の母としても奮闘する工代さん。公務員として、子育てする母として、次世代に伝えたい新たな選択肢とは?お話を伺いました。

工代 ゆかり

くだい ゆかり|大田区産業振興課羽田イノベーションシティ担当
千葉大学法学部卒。新卒で大田区役所に就職。総務課に配属され、3年間勤務。その後、産業振興課に配属され、経産省の次世代イノベーター育成プログラム「始動」に参加。産休、育休を取得後、大規模複合施設・羽田イノベーションシティの担当に。2人の娘の母であり、夫婦2人で行う育児の可能性を次世代に伝えていこうとしている。

普通になりたい


神奈川県横浜市鶴見区に生まれました。両親と弟2人の5人家族です。なにか一つのことに没頭するよりも、全体を見渡して、その中で自分の役割を決めて行動する子どもでしたね。友達と遊ぶときも、メンバー全体を見て、空いている役割を自分がやるんです。やりたいことをするというより、その場を最適化したいと思っていました。

勉強したり、本を読んだりするのが好きだったので、小学生の高学年になると中学受験の準備を始めることに。しかしそんなとき、父の会社が倒産し、家庭の経済状態が厳しくなったんです。

両親が暗い顔で話し合いをすることが増え、これまで住んでいた家を出て、古い家に引っ越しました。そんな中で中学受験をすることに、罪悪感がありました。しかし一方で、勉強を頑張って学力のある学校に行くことが、今の生活から抜け出す唯一の方法なんじゃないかとも思えて。塾を辞めてしまったら、人生が終わってしまうと感じました。

両親は、そんな私の気持ちも理解してくれて、お金がない中でも、私の塾代などはなんとか工面してくれました。「勉強を頑張って国立か公立に行きなさい」と言われ、必死に勉強して、なんとか国立大学の付属中学校に合格することができました。すごくホッとしましたね。

中学校での学生生活は、友達に恵まれて、とても楽しかったです。ただ、経済的な事情で部活がやれなかったり、スキー教室に参加できなかったりして。学校では楽しく過ごしていたものの、「私だけちょっとみんなと違うな」と感じていていました。普通になりたい、と思っていましたね。

しかし、高校に入ったとき、体調を崩していた母が亡くなりました。悲しさや淋しさとともに、これからどうすればいいんだろうと、生活面への不安でいっぱいになりました。母がいなくなってしまった分、私が頑張らなくてはと、祖母に手伝ってもらいながら、ご飯を作ったり、弟の宿題を見たりと自分なりに頑張りました。しかし、そんな前向きさは家族にあまり受け入れられなくて。家族と関わろうとしても、うまくいかなかったんです。家の中でも「私だけちょっと違う」と感じて、家族にも共感されないと感じました。

この生活を抜け出して、普通の生活ができるようになりたいという願いから、必死で勉強し、一浪して国立大の法学部へ進学しました。

大学も友達に恵まれ、楽しく過ごすことができましたが、時代は就職氷河期。一生働いていられて、安定した収入を得られる仕事に就きたいと考え、公務員を目指そうと決めたんです。勉強を始め、公務員試験を受けました。併願でいくつかの自治体を受けましたが、面白そうなリクルーターの方が多いと感じた、大田区役所に就職しました。

やろうと思えば変えられる


1年目は総務課に配属されました。公務員になるにあたって、いわゆるお役所仕事をするような、既存の型にはまった公務員にはなりたくないと思っていました。しかし、総務課ということもあって、お堅い仕事が多いんだろうなと思っていたんです。

しかし、働きはじめてみるとそんなイメージがガラッと変わりました。隣に座っていた先輩が、「おかしいなと思ったことは、若い意見として全部声に出して言ってね」と言ってくれて、私の意見を吸い上げながら、さまざまなものを効率化しようと一緒に企画を練ってくれたんです。

1、2年目の私でも、理論立てて説明できれば、改善案を意見することができる環境でした。例えば、ハンコを押さなくてよくするとか、文書のやりとりをやめるとか。そういう小さいことなのですが、役所に入ってすぐの私の意見が取り入れられて、それが大田区役所全体に適用されていくというのは、すごく面白い経験でした。

公務員は、やろうと思えばなんでも変えられる。しかも、変えたことが地域に広がっていく。そう思えて、公務員としての未来が見えた気がしました。

公務員に対するイメージも変わりましたね。事務や受付だけじゃなく、思っている以上にたくさんの仕事があり、みんな一生懸命働いている。すごく面白い職場だと思いました。

3年ほどたつと、「じゃあ、地域で何がしたいかな?」と考えるようになりました。大田区は羽田空港があって、製造業も集積していて、地域の産業がかなり盛り上がっています。地域のものづくりを支援したいという気持ちが高まり、産業振興課に行きたいと思い始めました。

ものづくりの現場に触れて感じた面白さ


職場では自己主張しない人が多かったですが、私は上司に「絶対、産業振興課に行きたいです」と言いまくって、希望が叶って異動できました。

産業振興課へ移ってからは、本当に面白い毎日でしたね。私の担当は、大田区の製造業に関わる人たちの支援。さまざまなものづくりをしている工場に伺って、「どんな物を作っているんですか?」「どんな機械を使っていますか?」と話を聞いて。その内容に合わせて助成金を出したり、区で開催しているマッチングイベントや発表会に参加してもらったりと、さまざまな活動をしました。

大田区の製造業は、初代から2代目、3代目の社長に移り変わってきています。創業者と呼ばれる先代・先々代の時代は、工場を開けば注文がきて、どんどん儲かったそうですが、今は待っているだけでは儲けを出すのが難しい時代。しかし、そんな中で頑張る社長さんたちは、未来に向かって何か新しいことができると、熱意と独創性を持って取り組む方ばかりでした。

そんな方々とお話ししていく中で、私自身、都心にものづくりができる企業がこんなに集まっていることは、大きな価値だと感じ、未来をどうつくっていくかを考えるようになりました。

イノベーションは起こしていくもの


そんな中、ある先輩に勧められ、経済産業省主催の次世代イノベーター育成プログラムにエントリーすることにしました。

プログラムは、イノベーターに必要な3要素「マインドセット」「スキルセット」「ダイバーシティ」を体感、体得できるように構成されたもの。各テーマごとに、日本を代表する起業家・実業家による講演があり、さらに多様な観点を持つ参加者・メンターからフィードバックを受けながら、自分の事業計画をブラッシュアップしていきます。私は大田区のものづくりをより良いものにするための事業計画を持って参加しました。

プログラムに参加すると、いきなり登壇者の方から「あなたが最近した失敗は何ですか?」と聞かれました。「え?なんだろう?」と考えても、書類を作り忘れたとか、小さいことしか思いつきません。するとその方は、「失敗したことを話せないということは、チャレンジしてないということ。あなたは全然チャレンジしていません」と言ったんです。衝撃でした。

出会う人出会う人、みんな刺激的な方ばかりで、考え方がガラッと変わりました。イノベーションのイの字も知らなかった私が、イノベーターの方々の思考回路を雨のようにブワーッと浴びる中で、「イノベーションって普通に起こるものだし、むしろ起こしていかないといけないものなんだ」と思えたんです。公務員でも、やろうと思えばできるんだと学べたことは、すごく大きな経験になりました。

これまでずっと普通になりたいと思ってきましたが、そこで初めて、「普通のまんまじゃ嫌だな」と思いました。ものづくりをしている方々やイノベーターの方々は、みんな自分の確固たるものを持っていて。私もそんな何かを持ちたいと感じたんです。私にできる、普通じゃないことは何だろう。プログラムを通してそんなことを考え始めました。

夫婦2人の、フェアな子育て


そんな中、妊娠が分かって、第一子を出産しました。続けて第2子も授かることができ、3年間ぐらいはフルで働かず、妊娠・出産・子育てに集中しました。

子育ては思った以上に大変で、とにかく時間がありませんでした。最初の数年は、旦那は残業が多いので、仕事の融通が利きやすい自分が子育てをメインに担当していました。夫婦で一緒に子育てをしようと話してはいたものの、自然と私の方が家庭内で多くを担うようになっていたんです。でも、予想を超える大変さで、どんどん追い込まれていきました。

このままの体制で育児を続けるのは無理だと思いました。そこで、旦那に「このままだと一緒にいられなくなると思う」「今の状況が辛いし、幸せな未来は待ってないと思う」と伝えたんです。辛かった過去の経験を話して最初に聞いてくれたのが旦那で、私にとって代わりのいない大切な人。だから、こんなことで仲違いして一緒にいられなくなるのは嫌だったんです。

「今の状況についてどう思う?」と聞くと、旦那は一言、「フェアじゃないよね」と言いました。それを聞いて、すごく嬉しかったです。自分の中でもぐちゃぐちゃで、何が辛いのか整理できていなかったのですが、「確かに私はフェアじゃないことに怒っていて、それが嫌だったんだ」と素直に思えました。

旦那が、2人がフェアな関係でいることを大事に思ってくれていることを知って、改めてこの人とこれからも一緒に生きていきたいと思えたんです。

そこから2人で話し合いを重ねて、どうしたらフェアな状態で子育てができるか模索していきました。最初は洗濯や洗い物をお願いして家事を分担していたんですが、そうすると指示する人と指示される人の関係性になってしまって、上手くいきませんでした。

それで次に試したのが、夫婦で育児を完全な分業にするために、曜日で子育てをする担当を決めることでした。私は週2日、時間を気にせずに残業し、旦那に育児を任せることに。旦那も週2日は、自分のことに専念してもらうようにしました。自分が育児の担当だからといって、全部を自分でやらなくてはならないという訳ではありません。家族や友人に手伝ってもらったり、そのほかの方法を考えたりと調整するのです。

平日の1日は家族で過ごす日を作り、週2・2・1の分業制にしました。話し合いの末にこの方法を見つけたことで、上手く役割分担ができるようになりました。私も仕事をしながら子育てができるようになり、2児を育てながら職場復帰を決めました。

これまでは、夫婦2人がフェアな状態で子育てをするという選択肢がなかったかもしれないけれど、今その選択肢がやっとできてきています。私たちが話し合いを重ねるなかで見つけた新しい選択肢は、将来に繋がっていくかもしれないと思うんです。今の家庭での試行錯誤を大事にして、ある程度成果が見えたら同じ状況の人に向けて発信していきたいと思うようになりました。

次世代に新たな選択肢を


現在は復職し、大田区産業振興課で、2020年に大田区に開設された、商業・オフィスなどからなる大規模複合施設、羽田イノベーションシティの担当をしています。面白いチャレンジをしている方やイノベーターの方々を集め、交流を促進することで新産業を創造し、発信することがミッションです。

これまで出会った素敵な人たちと、大田区にいる素敵な人たちが出会ったら、とても面白いことができると確信しているので、施設を拠点に、人と人をつなげていきたいと思っています。

私は公務員になったときから、周りに「公務員らしくない」と言われてきましたし、私自身も公務員という既存の観念に縛られないような働き方をしたいと考えていました。これからも公務員だから、前例があるからということにとらわれず、目的に対して一番良い方法を考えて進んでいきたいと思っています。それができるのが公務員としての私の価値だと思っているので、行政という枠にとらわれ過ぎず、行政だからこそできることを見つけていきたいですね。

正解のない時代、今ある選択肢が最適かどうかは分かりません。今ある正しさに捉われず、常に新しい選択肢を探していきたいと思っています。例えば子育てでは、女性でも働きながら、夫婦で協力して子育てできるという選択肢を作ったことが、自分なりのイノベーションです。自分の姿を娘たちに見せることで、こんな選択肢もありなんだと、次の世代に繋げていけたらと思っています。

公務員としても母親としても、次世代につながるような自分らしい選択肢を選びながら、行動していきたいです。

2021.02.15

インタビュー | 粟村 千愛
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