よそ者だからこそできること。島人が島を大好きになるための、きっかけ作り。

鹿児島県の甑島(こしきしま)で地域活性化事業に携わる福崎智子さん。京都、アルゼンチン、滋賀と暮らした中で、「人との近さが心地良い」と現在の暮らしを選んだ福崎さんに、お話を伺いました。

福崎 智子

ふくざき ともこ|甑島の観光案内業務
薩摩川内市観光物産協会の職員で甑島勤務。観光案内業務、イベント運営に携わる。

きっかけはベトナム戦争の写真


京都府八幡市で生まれました。「智子はおてんばで我が強い女の子だった」と母から聞いています。好き嫌いがはっきりしていて、興味のないことは何もしない。学校の通知表を見れば1から5まで評価がばらばらで、何が得意で何が苦手かすぐに分かるような子どもだったそうです。

両親は共働きで忙しかったので、小さい頃から用事を頼まれることが多くありました。ある時、親の手伝いで銀行に行くことがあり、待合席に置いてあった女性誌を何気なく手に取って読んでみました。雑誌を開くと、目に飛び込んできたのは下半身が繋がった結合双生児、ベトちゃんドクちゃんの写真。「なんだこれ」と強い衝撃を受けました。帰宅してすぐに「こんな写真があった!ベトナム戦争って何?」と母に聞くと「ベトナムとアメリカの間で行われた長い戦争だよ」と簡単に教えてくれました。

その1週間後、母は本多勝一さんの『戦場の村』という、ベトナム戦争について書かれた本を買ってきてくれました。内容が難しくて分からない部分もあったけれど、戦争の衝撃的な話がたくさん書いてあり、この戦争は何なのか、ベトナムってどんなところなのかと興味が湧いてきました。

それから、高校を卒業するまでベトナムに夢中でした。最初は戦争に関連することを調べていたのですが、次第に興味の幅が広がっていき、ベトナムの文化や歴史、景色のことまで知りたくなり、止まらなくなりました。

ベトナムで活動する戦場カメラマンの方に手紙を書いたこともあります。自分が知りたいことをたくさん手紙に書いて送ると、しっかりとした返事を書いてくれて。勉強したい気持ちはますます大きくなっていきました。同時に、将来は新聞記者になりたいと考え始めていました。

言葉が通じない、そんな状況が楽しい


高校2年生の時に、1年間アルゼンチンに留学しました。学校で募集を見て、だめ元で応募したところ、合格したんです。募集先にはカナダやアメリカもありましたが、どうせ人のお金で行けるんだから、一番遠い国へ行ったほうが得じゃないかと考え、アルゼンチンを希望ました。

不安や迷いは全くありませんでした。母親も「遠すぎて駆けつけることもできないし、情報がなさすぎて心配するネタもない」といって諦めていたようですね。

留学の前には、英会話教室で6か月間勉強をして行ったのですが、現地に行ってみたら英語が通じないんです。アルゼンチンの公用語はスペイン語ですから。(笑)とにかく言葉が通じない。コルドバ州の中部から200キロほど離れた田舎で、日本人は誰もいません。ホストファミリーも英語は得意ではなかったので、お互いに中学生レベルの英語で会話をしていました。

到着して3日後には現地の学校に連れて行かれ、授業が始まりました。何の科目なのか分からないまま、一番前の席で授業を受けました。そんな状況でしたが「なんの授業してるのかな?」と思いながら授業を受けてる自分を面白がっていましたね。

アルゼンチンでは午前の授業が終わると、一度帰宅してお昼ご飯を食べるのですが、私はてっきり午後の授業がない国だと思って、お昼ごはんの後は何も知らずにホストファミリーのお父さんと一緒に昼寝をしていました。しばらく経ってから、「どうして智子は午後の授業に来ないの?」と友達に聞かれ、午後も授業があるのだと知りました。私が初めて午後の授業に来た時には、教室で拍手が起こりましたね。(笑)

言葉が通じなくても、アルゼンチンの人たちはよく面倒をみてくれました。ラテン系の民族だからでしょうか、私が学校で分からなそうにしていると、根気強く辞書をめくって「これこれ」って指差して言葉を教えてくれたり、家に呼んで食事をご馳走してくれたり。アジア人を見るのが珍しかったようで、「智子をうちに連れてきた!」と嬉しそうでした。留学して3か月もすると、スペイン語が何となく分かるようになってきました。「もしかしてこう言ってるんじゃないかな?」と思って返してみると、会話が通じるようになってきたんです。

ある時、「誕生日いつ?」と聞かれたので「9月」と答えたら「春生まれなんだ。いいね!」と言われました。衝撃を受けましたね。私の誕生日は、日本では秋分の日近くなのに、アルゼンチンではスプリングフェスティバルの日だったんです。ものの見方や捉え方は一方向からだけではない。世界には私の知らない色々なことがあると学びましたね。

日本の田舎に魅せられて


大学では日本をもっと知ろうと思いました。アルゼンチンで日本のことをうまく説明することができなくて、自分の国のことをもっと知らなくてはいけないと思ったし、海外で暮らしたことで日本にも愛着が湧いてきたのです。そこで、サイクリング同好会に入り、日本全国を自転車で回りました。

地方に出掛けると、優しい人々にたくさん出会います。道端で休憩をしているとみかんを持ってきてくれたり、坂を登っていると車に乗ったおじさんが「頑張れー!」と応援してくれたと思えば、坂を登ったところでおじさんが待っていてくれて「これで何か食え」ってお金をくれたこともあります。

地方っていいな、こんな世界があるんだなと思いました。日本の田舎は、アルゼンチンの人たちの距離感や世話好きなところと通じるものがあると気づきました。

その後、日本の地方に関わることで、観光やグリーンツーリズムに興味を持ち始めたのですが、学部生時代に就職活動をすることはありませんでした。もう少し勉強したいと思っていたので、就職はせず大学院へ進むことにしたのです。自分のやりたいことをやって、気が済んでから社会人になろうと。就職はなんとかなるだろうと、楽観的に考えていたところもあります。

大学院では、農村経営や集落経営について学びました。研究の中で、沖縄の波照間島へフィールドワークに出掛けたことがあります。波照間島は高齢化が進んでいるモノカルチャーの島。サトウキビくらいしか作っていないのですが、「ゆいまーる」と呼ばれる相互扶助のシステムがばっちり成り立っているため、サトウキビの生産率は日本の離島の中で一番高いと言われています。ゆいまーるは高齢化社会に対応する現実的なシステムといわれていて、その仕組を実際に体験しようと思い、収穫の時期に島を訪れました。

それ以降、収穫の時期には手伝いで島に呼ばれることが何度かありました。地元の民家に泊まり、家の子どもたちとも仲良くなれるのが面白かったですね。

温かい反応ばかりではなかった


大学院1年目の時に結婚し、卒業後は滋賀で旅行会社に就職しました。教育旅行の営業を担当だったので、修学旅行で色々な地方へ行きました。それぞれの土地の人からたくさんの刺激を受け、楽しく働きました。

一方で、自分たちが修学旅行で地域を訪れる前と帰った後、島の人たちはどんな風に暮らしているんだろう、どんな思いで生徒たちを受け入れてくれたのだろうかと気になり、離島や着地型観光への興味が次第に強くなっていきました。

就職して5年ほど経つ頃、仕事で九州へ行った時『九州のムラへ行こう』という雑誌で、加計呂麻島の求人を見つけました。それを見た瞬間、大学院時代の離島や着地型観光への興味が再燃。思い切って電話を掛けてみることにしました。

しかし、募集はもう終わったと告げられました。代わりに、鹿児島県の甑島で同じような条件の仕事があると紹介されたんです。それは、2年間限定で島に移住し、島外の人の観点で地域おこしをするという仕事。甑島には行ったことがなかったのですが、すぐに応募すると決めました。やると決めたらとことんやっちゃうタイプなので、迷いはありませんでしたね。

甑島は、上甑・中甑・下甑からなる諸島です。島おこしのプロジェクトで集まったのは、
私を含めて8人。私は下甑の担当でした。

初めて甑島に来た時は、海の綺麗さに驚きましたね。こんなに綺麗な海は沖縄でしか見ることができないと思っていたので。ただ、島の人々の反応は温かいものばかりではありませんでした。それまで地元の人々が努力してきてできなかった地域おこしなのに、よそ者が来て何ができるんだと言う方もいました。

営業時代の経験が活かされたのはこの時です。うるさく言われると燃えるんですよね。うるさく言われたら、しつこくその人のところへ行ってアプローチするんです。それはもう嫌がられましたよ。(笑)でも、まずは自分たちのことを知ってもらわなければいけない、名前を覚えてもらわなければいけないと思って一生懸命やりました。

今一番興味があることに没頭したい


徐々に、島の人に受け入れてもらえるようになり、島の人と一緒に実現させたことの一つに、アクアスロン大会があります。アクアスロンは、自転車の部分がない、泳ぎと走りのみのトライアスロンです。泳ぐスポーツが好きだったので、甑の美しい海でやったらいいのではないかと思ったんです。「やりたい!」と提案してみたら、みなさんの協力があって立ち上げることができました。

甑のアクアスロンは「おもてなし日本一の大会」と言ってもらえました。全国各地から来る参加者のため、島のおじいちゃんやおばあちゃんたちが、手作りの旗に割り箸をつけて応援してくれたり、暗いトンネルの道に中学生が等間隔で並んで声援を送ってくれたり、甑島の温かさを感じることができるイベントと好評いただきました。

色々なことがあり、任期の2年はあっという間に過ぎてしまいました。島を出るかどうか考えたのですが、まだ甑島で色々なことがやりたいと思ったので、移住することに決めました。

任期が終わるころ、薩摩川内市に株式会社薩摩川内市観光物産協会が設立されることになり、島を出て本土で就職しました。本土生活は3年で、その間に薩摩川内市出身の人と再婚。妊娠・出産を経て、育児休暇があけるころに島での勤務の打診があり、強引に夫を説得し、島に家族で赴任しました。

子どもを連れて甑に遊びに行くと、島の皆さんが子どもを抱っこして「島の宝だ」と喜んでくれたんです。私は島出身ではないし、島で子どもを産んだわけではないのですが、それだけ私のことを身近に感じてくれているんだと分かり、嬉しくなりました。それで、夫を説得して甑島に移り住むことにしたんです。

周りの人たちには「もう甑島に骨を埋める気なんだね」と言われましたが、正直、そこまでの覚悟はありませんでした。そういう覚悟はそんなに簡単にできるものではないし、今はいちばん甑島に興味がある、だからここにいる。でもそれ以上に興味のあるものに出会ったらそっちに行く。そう伝えました。

島人が島の魅力に気づくきっかけ作り


現在は、島の観光案内所で働きながら、島で行うイベントの運営にも携わっています。観光案内所は船の発着場にあって、ハプニングがある時に頼られる場所です。例えば船に乗り遅れた人がいた時に、みんなで走って船を呼び止めたりします。こういうハプニングを通して、これまで全く話したことがなかった人との接点ができたり、関係者との絆ができるんですよね。港周辺の独特の連帯感があると思います。

こういった人と人の近さは、アルゼンチンでの体験と通じるものがあり心地よいですね。「干渉されて嫌だ」と思うか、「いつも気にかけてくれてありがとう」と思うかはその人の素質によると思います。私がこの距離感を「心地よい」と感じるのも、持って生まれた性格のようなものです。

以前は、すべてのことを楽しさに身を任せながらやっていましたが、母になったこともあり、島のためにもっと真面目に取り組まなきゃと実感しています。甑島が我が子のふるさとになるんだと考えた時、「良い島にしていきたい」という気持ちが以前よりも強くなったんです。

これからは、生活の基盤を整えた上で、この島の魅力が何かを、しっかりと打ち出す必要があると考えています。「島は都会より不便だけど、それがいい」という時代はもう終わったのではないでしょうか。Wi-Fiや上下水道など、都市的なインフラ整備がされている上に島らしさがないと、住んでみたいとは思う人は増えないでしょう。

でも、海や星が綺麗なことや食べ物が美味しいことって、島の人にとっては当たり前のことで、島内の人ではなかなか島の魅力に気付けないという課題もあります。以前、島の中学校の授業の一環で観光についての発表があり、私がコメンテーター役として呼ばれたことがあったのですが、「島に来たらいちばん行ってほしい場所は?」と聞くと、誰も答えることができなかったんです。最後に女の子が絞り出すように「夕日」と答えてくれました。

島の人が島の魅力を語れない場所に、観光客は来ないと思います。だから、島の人が甑の魅力に気づくきっかけ作りをしていきたいんです。例えば、島の外から来た人との交流を増やすことは大切かなと思います。島の外から来た人に「美味しい」とか「最高」とか言ってもらえたら、魅力に気づくきっかけになりますし、なにより、島の人々の活気にも繋がると思うんです。

もうひとつ、島に住んでいる人向けの仕掛けづくりもやりたいですね。島の人がわいわいがやがや楽しそうに暮らしていれば、その空気に惹かれてどんどん人が集まると思うんです。それは、イベントをやるというよりも、日常生活の中に取り入れるような仕組みかなと思っているので、そういう仕掛けをどんどん作っていきたいです。


もしも、島の星や海が綺麗なことを「普通」だと感じる人が島人だと言うならば、私は島人にはなりたくないですね。島の美しさや有り難みをずっと感じることができる感性のまま、ここで生きていきたいと思っています。

2017.07.31

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