社会は自分たちの力で変えられる。
市民がはじめの一歩踏み出すために。

ハリス 鈴木 絵美さん/署名キャンペーンサイトの運営

はてぶ

一般の人たちが「社会を変える一歩」を踏み出すためのキャンペーンサイト「Change.org」のアジアマネージングディレクターを務めるハリスさん。社会や政治に対して全く興味がなかったというハリスさんが、なぜ社会問題に関わる仕事をするようになったのでしょうか。お話を伺いました。

良い大学に入り、良い会社に就職する

アメリカ人と日本人のハーフとして、東京で生まれました。小さい頃から、勉強も運動も「できること」が好きでした。できるようになって褒められるのが嬉しかったんだと思います。

中学の時に熱中したのはテニス。毎日4時間位練習していましたし、夏休みは家から1時間30分位かかるスクールまで通い、6時間くらいテニスをやってました。勉強も好きで、成績は常にトップ。各教科では一位ではないんですけど、全体の科目では一位を取るジェネラリストでしたね。常に何かに没頭していて、何もしない時間はなかったです。

幼い頃から、「良い大学に入ること」が絶対的な目標としてあったような気がします。成績がよかったら褒められてお小遣いがもらえたし、逆に点数が低いと「どうしたの?」と突っ込まれる感じ。両親はプレッシャーを与えていたわけではないと言いますが、私は勝手にプレッシャーを感じていました。ただ、勉強が好きだったのか、トップにいるのが気持ちよかったのかは分かりませんが、その状況は嫌ではなかったです。

ビジネスパーソンの父の影響もあり、将来は世界で活躍できるビジネスパーソンになりたいと思っていましたね。それで、高校卒業後は、アメリカの名門イエール大学に進学しました。

大学では勉強の他に、劇やミュージカルのプロデュースに没頭。プロデューサーという役割が面白かったんです。お金の管理もして、ちょっとクリエイティブな仕事もできて、チームもリードする。全体をまとめる役が面白かったんだと思います。

ただ、アメリカに来て最初の数ヶ月は居心地が良くなかったですね。「100%アメリカ人風に扱われること」への違和感があったのかもしれません。

私のアイデンティティは、日本人でもアメリカ人でもなく「日本人とアメリカ人のハーフ」なんですよね。日本にいた時も「日本語上手ですね」とか「お目々パッチリですね」とか、外見で判断されて疲れることはありました。でも、日本社会にどっぷり浸かり、日本社会の縛りにきっちり従いたいわけでもないので、ある意味では都合が良かったんです。100%日本人にはなれない分、ハーフという立場を確立していて。だから、100%アメリカ人として扱われることに居心地の悪さを感じたのかもしれません。

幸せになれない焦り

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