人生は、自分を探究する冒険だ。自分らしさを育むための通信教育を。
「ニンテンドーSwitchより教育を面白くする」をテーマに、探究型・知育型通信教育「tanQuest(タンキュークエスト)」を提供する森本さん。既存のカリキュラムに沿った教育ではなく、自分らしい人生を歩むための教育をしたいと思うに至った背景とは。お話を伺いました。
森本 佑紀
もりもと ゆうき|自分らしさを育むための通信教育の提供
新卒で広告代理業を行う外資系ベンチャー企業に入社し、営業や人事を担当。その後友人と tanQ株式会社を設立。「知りたい!やってみたい!」を育む通信教育「tanQuest」の提供を行っている。
自分はなんでもできるヒーロー
大阪府松原市で生まれました。幼い頃から運動神経が良く、幼稚園のドッジボールでは先生の指を折ってしまうくらい、速くて力強い球を投げることができました。
頭も良く、小学校の時は勉強が苦手な友人を集めて算数を教えたりしていました。ただ、しっかり勉強をしようというよりも遊びの延長で、楽しいからやっていました。
人を楽しませることが好きな明るい性格で、かっこいい、スマートと言うよりは、少しコケてる感じでしたね。親しみやすかったからかすごくモテました。
学校の他に、近所の人がやっている空手教室にも通っていました。そこそこ強い生徒が集まっており、小学校4年生の時、世界大会に出場することができました。補欠として団体戦のメンバーに選ばれていたのですが、レギュラーが一人怪我をしてしまって代わりに出場することに。高学年の部で周りは自分より年上の中、試合に勝ち続けました。自分は無敵だと思いましたね。
運動ができて、頭も良く、おまけに空手も強くてモテたので、「なんか自分はすごいんじゃないか」と思っていました。この世界のヒーローなんじゃないかと思ってましたね。
打ち砕かれた自信
小学校高学年になると、塾に通うようになりました。特に勉強したいと思っていたわけではなかったですが、「姉が行ってるから、一緒に行け」と親に言われて。そのまま流れで、私立の中高一貫の男子校を受験し、合格しました。あまり治安が良くなかったので、親は地元の中学校には行かせたくないと思っていたみたいです。
中学入学後、周りを見渡すと、私より頭が良かったり、背が高かったり、お金持ちだったりする人がたくさんいて、これまで培ってきた自信が打ち砕かれました。自分には何一つ勝てるものがないと思ったのです。
その結果、「自分ってなんなんだろう」と思うようになり、アイデンティティを一切失うとともに、勉強への意欲がなくなりました。
勉強をしなくなった代わりに、お笑いに夢中になりました。大阪で生まれ育ったこともあり、昔からよくテレビなどで見ていたことが影響していました。勉強ができなかった分、面白いということがアイデンティティになり、高校に進学してもそのままのキャラクターでした。
高校は進学校だったので、周りの友達はみんな大学受験のための勉強をしていました。そこで私も何も考えずに受験勉強をすることに。始めから就職という選択肢はなく、受験する大学も偏差値によって決まっていて、選択の余地は全くなかったです。私立を選択するだけでもあいつ逃げたなって思われるような環境でした。何も考えず、自分の成績に合った大学を受験し、無事合格することができました。
夢中になれるものを求めて
大学に進学はしたものの、始めから勉強する気はなかったので、学校にはあまり行きませんでした。中学の頃からのめり込んでいたお笑いにさらに夢中になり、友人とコンビを組んで有名な漫才の大会に出場しました。自分たちは日本で一番面白いと思っていたのです。ところが、プロの人と同じ舞台に立つと自分の才能のなさに気がつきました。私たちの笑いはしょせん内輪ネタで、一般人にはウケない。自分にお笑いの世界は向いてないなと思いました。
お笑いの道を諦めてからは、ポーカーにはまりました。面白くて、寝ても覚めてもポーカーのことばかり考えてましたね。ただ、ギャンブルの大会で優勝した人が大金をもらっている姿を見ても、全然羨ましいと思わなかったんです。「そんなもんかー」みたいな。だから、ポーカーは好きでもギャンブラーになりたいという気持ちは起きず、何を目指したらいいかわからないままでした。
自分の将来について迷っていたある日、とりあえず受講した経営戦略の授業がすごく面白く、衝撃を受けました。先生は何かを身に付けさせようというよりも、もっと知りたいと思わせるような教え方をしていました。試験で問われるような「HOW」の話は一切なく、本当に面白い「WHY」の話をたくさんしてくれたんです。
例えば、ある企業が扱っている商品について深く分析すれば、なぜ工場がその場所に立地しているのか、なぜその原料を使っているのかがわかるという授業。それを聞いて「世の中ってこんなに繋がってんだ」と気づき、めっちゃおもろいなと感じました。自分と無関係だと思っていた世界を、身近に感じられるようになったのです。
それからは、自分の好きなことをめちゃくちゃ学ぶようになりました。世の中に対する興味がどんどん湧いてきて、本屋さんに並んでる本が全部欲しくなり、特にビジネス雑誌を買って読み漁ったりしていました。小学校で友達に算数を教えていた時みたいに、勉強というよりは遊びだと思って取り組んでいましたね。
勉強する中で、将来は起業家になりたいと思うようになりました。ただ、いきなりなんの勉強もしないまま起業しても成功しないだろうと思っていたので、世界で一番成長スピードが早いと言われていた広告代理店に就職しました。
もっと根本的な解決を
入社後すぐに、一番の営業成績を上げられるようになりました。何も考えずにただひたすら、やれと言われたことを全部やっていましたね。インセンティブ制だったのですごい額の給料が入ってきましたが、そこまでの喜びはなく、自分が欲しいものってこれじゃないよなと思うように。
また、自分の仕事がクライアントの課題の根本的な解決になるとは思えなくなってきました。例えば、売上を上げるための広告施策の提案をし、それで顧客企業の売上が上がったとしても、売上のみを追求した結果、退職者が増えたりして事業そのものが成り立たなくなれば意味がありません。クライアントが抱える根本的な課題には目を向けず、表面的な課題の解決ばかりをすることに違和感を覚えるようになったのです。そこで、2年目の終わりに退職し、起業することにしました。
ひとまず食べていくために、これまでのスキルを活かして営業支援の仕事をすることに。同時に起業のアイディアを探そうと、大学時代の友人がやっている教育事業を手伝うことにしました。
ある時、高校生の起業家を育てるという趣旨のイベントに参加する機会がありました。参加した高校生たちに興味本位で応募理由を尋ねると、ほとんどの子から「入試に受かりたいから」と返答があり、違和感を覚えました。良いキャリアを手に入れて、世の中を有利に生きることを目標にしていると思ったのです。それはそれで構わないのですが、私のやりたいこととは違うなと感じました。どんな人を幸せにしたいとか、どんな人生にしたいといった、自分のやりたいことを実現するための手段として、起業があってほしいと思ったのです。
逆にそれがないまま事業を立ち上げても、営業をしていた頃に感じたように、表面的な課題を解決するだけで終わってしまい、根本的な問題までたどり着かないと感じました。その根本的な問題を解決するためには、まずは一人一人が本当に自分の好きなことを探す必要があると思ったんです。そこで、友人と新しい教育事業を立ち上げることにしました。
自分らしくあることが本当の幸せ
はじめは通信教育のサービスを提供しつつ、どんな教育像がいいのか試行錯誤していました。起業から2年ほど経った頃、自分の能力不足で押しつぶされそうになりました。リーダーとしてこれもできなければいけない、あれもできなければいけない、と理想ばかりが膨らみ、現実の自分の実力が追いつかなくなってきたのです。
そんな時、ちょうど30歳の誕生日を迎え、父と一緒に飲みに行くことになりました。父は宅建などいろんな資格を持っていましたが、どちらかといえば仕事よりも、趣味に生きているような人でした。それまで肩を並べて話すことなんて無かったですが、その日はいろんな話をしました。ふと気になって、「今まで生きていて嬉しかったことは何?」と聞くと、父は「おまえが胸を張って生きていることだよ」と言ってくれたんです。
これまで、なぜ父はいろんな資格や能力を持っているのに使わないのだろうと疑問に思っていました。でもその言葉を聞いたとき、父にとって一番大事なことは家族を愛するための時間を作ることだったんだと、気づくことができました。
思い返せば、僕が幼い頃何でもできたのは、全部父が一緒にいてくれたからでした。ちっちゃい時からキャッチボールをしてもらっていたから、肩が強くてドッジボールで活躍できた。「ほれ、何足す何は?」と問題を出してくれたり、ゲームで遊んだりしてくれていたから、感覚的に知識が頭に入っていて、それをつなげるだけで学校での勉強もできたのです。
これまでは、稼げたり、世の中で活躍できる人を育てなくてはならないと思っていました。しかし、そうではなくて、子どもたちが本当にやりたいことを見つけ、それに向かって自分らしく進んでいけることが大事なんだと思うようになりました。
そう考えた時、私自身も本当に自分らしく働けているのかと内省しました。自分ができないことはできないから、その分野は人に任せ、代わりに自分ができることをする。そうすることでメンバーにも貢献できるし、会社にも貢献できる。そう考え、自分よりリーダーが適していると思えるメンバーに代表を任せ、自分が自分らしくいられるポジションを探すことにしました。
また、提供するサービスについても、もっと子ども達が自分らしくあることのサポートに特化させたいと思い、名前を「tanQuest」に変えました。「Quest」は冒険という意味。人生は、いろんなチャレンジや葛藤を経ることで、自分とは何かを探究するための冒険なのではないかと思い、この名前にしました。
人生は、自分が何者かを探究する冒険
現在は、5〜10歳の子どもを対象に探究型通信教育「tanQuest」を提供しています。このプログラムは、生産性が高く、グローバルに活躍できる人材を育てると言うより、それぞれの子どもが自分らしさを見つけるサポートをするための教育サービスです。
「tanQuest」は一般的な勉強とは違い、カリキュラムが決まっていません。2週間に1回のペースで動画の配信を行っていて、「海の底って何がある?」「宇宙ってどこまで続いてる?」など、あるテーマについてのわくわくするような発見や、人類の探検のストーリーなどを伝えるようにしています。子どもが持ちそうな疑問について、答えを教えるのではなく、わくわくしてもっと知りたいと思ってもらえるような映像作りをしています。
また、時には自分たちで実験した動画も配信しています。仮に失敗したとしても、そのまま動画にしているんです。例えば、蟻が一番好きな食べ物を突き止めるための実験では、蟻の巣の近くに、チョコレートやクッキーなど数種類の食べ物などを置いてみたのですが、全部すずめが持って行ってしまいました。
実験としては失敗かもしれませんが、すごい発見があったと思っています。例えば、自然界で起きることはいろんな要素が絡み合っていて、想定とは違う結果が起こる可能性がある、ということ。実際にやってみることでしか得られない発見をたくさんしてほしいなと思います。
また、子ども達が動画を通して感じた疑問に答えるための個別サポートも行っています。特定の内容についてもっと知りたいと思っている子に対しては、より深い内容の動画を配信したりもします。
通信教育に加え、実際の塾の運営も行っています。そこで子どもたちがどんな瞬間にイキイキするのか見て、動画作りの参考にしています。教育事業を始めた当初は、教える内容が学問的な方向にどんどん寄って行ってしまっていました。それでは子どもたちが全然楽しんでくれなかったので、遊びの方向にシフトするようになりました。今でも、学問をどうやったら遊びに変換できるかというのは私たちのテーマの一つになっています。
さらに、提供するサービスを通して、親が子どもと向き合う時間も作りたいと考えています。子どもと向き合うことで、親は固定概念にとらわれず、「本当に一番大切なことは何だろう」と自分に対して問いかけることになると思うからです。例えば、子どもが学校には行きたくないとか勉強したくないと言い出したとき。そもそもなぜ、学校に行くことが大切なんだっけ?なぜ勉強することが大切なんだっけ?と自らに疑問を投げかけることになり、人生で大切なことについて考えるきっかけになります。現代は特に、働く大人と子どもの時間が分離しているので、両者が向き合える時間を増やしていきたいですね。
最近は、会社の定義を「ビジョンを達成するための場所」から「メンバー自身が自分らしくいられるための場所」へと変えました。それぞれがやりたいこと、得意なことをやり、メンバー自身が自分らしくいられることが、一番生産性が高いと気付いたからです。
その中で私は、実際にいろんな場所に行って子ども達と一緒にワークをすることに力を入れています。自分が自分らしく強みを発揮できるのが、人と繋がること、誰かに共感することだとわかったのです。出掛けた場所では、教育の話をすることもありますが、子ども達や地域の人たちと繋がることに重きを置いています。それによって相手の孤独感を解消することができたり、お互いの足りない部分を補い合う関係を築くことができるのではないかと考えています。自分らしくあるために行動した結果、世の中がよくなっていけばいいですね。
私は、人生は冒険だと思っています。ゲームに例えるなら、私たちはいつも最強の武器である伝説の剣を探している。私にとって、以前はそれが勉強だったり面白さだったりしましたが、今は人に共感し、繋がることだと感じています。教育事業を通して、自分にとっての最強の武器、本当に大事なものが何なのか、考え見いだせる人を増やしていきたいと思います。
2018.10.11