キレイなデータであふれた社会を実現する。 困難を乗り越えた先の熱い挑戦。

ソフトバンク株式会社でエンジニア・AIコンサルタントとして働きながら、NousLagus株式会社の代表取締役CEOを務める守屋さん。精度が高く、いつでも簡単に取り出すことができる「キレイなデータ」であふれた社会の実現に向けて、精力的に活動されています。しかしその情熱の裏には、多くの困難がありました。現在の活動に至るまでにどのような背景があったのか。お話を伺いました。

守屋 恵美

もりや めぐみ|エンジニア・AIコンサルタント
1993年生まれ。大学、大学院にて生物の個体群動態に関する統計解析を学ぶ。卒業後、大手通信キャリアに入社。データエンジニアを経て、AIコンサルタントとして事業開発を経験。2020年にRPAコンサルとして個人事業を開業、2021年にはDX推進とAIコンサルを行うNousLagus株式会社を創業。

やりたいことが自由にできる世の中に


東京都で生まれ、埼玉県で育ちました。両親が幼い頃に離婚し、父の記憶はほとんどありません。物心ついたときから育ての父がいたのですが、突然会えなくなりました。母も多忙な中で日々の生活を支えてくれていましたが、正直なところ孤独で、かなりストレスフルな日々でしたね。

母はピアノの教育に対してとても熱心で、私は小学校から帰ったあと、夜遅くまでピアノの練習をするよう言われていました。5年生なら5時間といったように学年の数だけ練習し、様子がわかるようレコーダーに録音するというルールがあったのです。経済的にも物理的にも立場が弱く、母の言うことは絶対でした。

でも私はピアノよりも図鑑を読むのが好きで、よく母に隠れて読書をしていましたね。うまく工夫してレコーダーの録音を複製し、練習せず好きなことに使える時間を作ってました。環境を変えられない中で、どうやって攻略するか考えていました。

私がピアノを嫌々練習している一方で、学校に行くと、同級生たちは学校の宿題を嫌々やっていました。なぜ彼らは厳しい練習をしなければならない私より自由な環境にいるはずなのに、やりたいことができないのか。違和感がある心の中でわかっていながら、なぜやらされているのか、とても不思議でした。小学生なりに、この問題を良くするヒントが教育や社会にあるのかなと思って、興味が湧きました。やりたいことが自由にできる世の中になればいいのになと思いつつ、母の意向で国立音楽大学附属中学に進学することになりました。

部員の一言、母との和解


中学校に進学後、ピアノの練習はより厳しくなりましたが、私は5教科を勉強する方が好きでした。特に数学が好きでしたね。成績もピアノより学問の方が良いのを見て悟ったのか、ある日母から突然音楽をやめるように言われたんです。「そんなに辞めさせたいなら勝手にすれば」と本気にしていなかったのですが、気づけば手続きは終わっていて、本当に退学することに。最終的に公立の中学校へ転校しました。

公立中では小学生時代の友人と再会し、吹奏楽に打ち込みました。大好きな数学の勉強も思う存分できて、転校後は楽しく過ごせましたね。

しかし、ピアノを辞めた日を境に、母は私に一切興味を示さなくなりました。もともと母は、私がピアノが上達するかだけを気にしていました。練習が嫌で家出をしたときも関心を示さず、いざ辞めると本当に私のことを見てくれなくなったんです。想像はしていたものの、実際に我が身に降りかかると寂しさは感じますね。

高校に入学後も母とは和解できていませんでした。でもある日、部員が「親は大切にしたほうがいいんだよ」と話していたんですよね。軽い気持ちで言った言葉だったのかもしれないですが、真に受けて少し考え直すきっかけになりました。高校生になり、母は本当は弱い人なのかもしれないと考えるようになりました。母の実家のこと、祖母のこと、その先祖まで考えて、母が今どんな状況なのかを考え始めたのです。長い歴史や敬意を考えているうちに、今度は私が母を守る番だと思えるようになったのです。女手一つで私を育ててくれて、自分とは違う興味を示す娘がいて大変だったろうな、と。少しずつ母と向き合う時間が増え、最終的には和解することができました。

思えば、母が教えてくれた厳しい練習のおかげで、私は執念深く一見地味な作業も継続して行える習慣がついたと思います。どんなに困難な状況でも、自分で考え、実験をするそのサイクルを教えてくれたのは母でした。他の子ども以上に変わっていて偏屈だった私を育てながら、体力が必要な看護師の仕事を続けてくれた母には心の底から感謝しています。過去や未来でではなく、現在私がするべきことは何かを全て自分ごととして考える習慣が身につきました。

骨の美しさに一目惚れ


高校ではマンドリン部に所属しました。演奏ももちろんですが、部日誌をまとまったデータとして可視化したり、部員の数を増やすために戦略を練ったりと、マネジメントが好きでしたね。その頃、QRコードの読み取りが流行っていたので、部のプロフィールのコードをいろいろな教室の黒板に貼って、話題性を作っていました。その結果、関心を持ってくれる人が増え、最初は2学年で40名程度だった部が、毎年1学年で40人から50人ほど新入生が入部する、高校で一番メンバーの多い部活に成長しました。

学問では科学の勉強に熱中しました。授業の一環で様々な科学の分野のゼミを受講することができ、いろいろな講座に足を運んでいました。特に衝撃を受けたのは博物館のバックヤードツアー。キレイに並べられた様々な動物の骨格標本の美しさに一目惚れでした。

骨の曲線の美しさと、ミステリアスな構造に魅了されたのです。もともと立体のものや図形は好きだったのですが、骨がもっとも美しい構造物だと思いましたね。

ツアーで初めて行った博物館の展覧会で図鑑を買い、かなり読み込みました。気になったところに付箋をたくさん貼り、学校の先生に片っ端から質問していましたね。

すると、生物の先生が図鑑の監修をされていた国立科学博物館の川田先生とコンタクトをとってくれ、直接質問をする機会に恵まれました。そこから毎月、先生のところに通っては生物に関する質問を続けていたところ、ある日、先生にも答えられない問いに辿り着きました。

「この答えは誰も知らない。守屋さんが研究したら答えが分かるよ」。先生にそう言われ、答えを知るために研究の道を志すことにしました。骨のことをもっと知りたい、その一心でした。

データが整っていない世界に直面


進路選択の際、生物学を学ぶことは決意していたのですが、経済にも興味がありました。高校時代に研究で通っていた博物館ではサイエンスコミュニケーションについても学ぶことができました。その中で、一般の方や関係する人たちへ研究の価値を伝えることの難しさを感じていました。どうしたら研究の価値をよりわかりやすく伝えることができるのか、そう考えた私は、はまっていた哲学の領域で価値を提示する一つの手法に経済というものがあることを知りました。経済を学んで研究の価値が立場の違う人でもわかるようになるのか知りたい。だから経済の視点についても学べ、骨の研究環境が整っている大学に進学しました。

大学では、大好きな骨の研究に没頭していました。しかしある日、事件に巻き込まれたのです。警察で被害について話す必要がありました。ところが、そこで直面したのは、データが整っていないという現実だったのです。1カ所で事情聴取を受けたあと、さらにまた別の場所に連れて行かれて、何度も同じ説明をしなければいけませんでした。何箇所もたらい回しにされ、話すたびに心が苦しくなりました。

結局その事件は、証拠がないということで何もないまま捜査が打ち切りになり、悔しい思いをしました。ストレスも重なり、あれだけ大好きだった研究室にも通えなくなってしまったことが本当に辛かったです。

世の中には、証拠データがないという理由で未解決事件扱いになり、たった数年の時効を迎えてしまう事件がたくさんあります。でも現代の技術なら、時間が経ったとしても、証拠データを本人の意思で残すことは可能です。きちんとデータを取得する仕組みを作って蓄積できれば、私もこんな辛い思いをせずに済んだはず。法律世界と現代のデジタル社会が全然繋がっていない現状を目の当たりにしました。

証拠となるデータを長期間保管しておき、現場でも使われるようにする。そのために法律や政策を変えていかなければならないと思いました。加えて、いつでも必要な時にそのデータが取り出せるよう、キレイなデータであふれた世の中をつくる必要があると思ったのです。

そんな世の中をつくる。決意してからは自分を取り戻し、再び研究と向き合えるようになりました。

キレイなデータを生み出すために


大学卒業後は院に進学し、政策提言に関わる研究をしました。例えば、野生動物保全政策への提言です。世界自然遺産に登録するため、絶滅危惧種のウサギの実態を調査する研究をしました。

そのウサギが本当に絶滅しそうなのかどうか、データを抽出し集約し、解析します。やってみると、データが揃っていなかったり、整合性が確かめられなかったりしました。データがなければEBPM、エビデンスに基づく政策立案とならないため、条例が作れず、生き物を保全ることができない。ここでもデータがマネジメントされていない現実に直面しました。

精度が高く、きちんと整理され、提供者と使用者の合意形成がとれているクリーンなデータ。そんなキレイなデータであふれる社会にするために、行政とも関わっていきたいと思うようになりました。

卒業後はデータを扱えて政策提言に関われそうな会社を何社か受け、最終的にソフトバンク株式会社に入社しました。入社後は開発業務に従事し、データベースの設計開発やデータ分析をしました。行政とも関わる機会があり、20年後までには手がけたいと思っていたような仕事がいくつかあったのですが、入社してすぐ叶いましたね。

3年目からは、企画部署に異動になりました。自分が描いていたキャリアプランとは離れてしまい納得がいかず、環境を変えるために社内ベンチャー制度に応募しました。社内選考を通過し、データ可視化業務を始めました。そして、これらの想いを伝え続けたことが功を奏したのか、本務でもみずほ銀行とソフトバンクのジョイントベンチャー、株式会社J.Scoreに兼務出向となり、データサイエンティストとしてデータ分析の仕事を始めたんです。また、組織マネジメントにも興味があったので、社内の役員直下の働き方改革を推進する特命の部署にジョインして何千人ものエンジニアの働き方を改革する業務にも挑戦しました。

業務以外でも一年目の頃から仕事で培った知見を生かすための活動をしていました。その活動の一つとして学会発表をしていたところ、お声がけいただいて共同研究も行うことになりました。するとだんだんと、副業の案件依頼も来るようになったんです。個人事業主として活動していたのですが、法人になればより幅広い仕事ができるとアドバイスをいただき、ノスラゴス株式会社を立ち上げました。

狭くて深いデータの価値を高める


現在はソフトバンク株式会社で社員として働く傍ら、ノスラゴス株式会社の代表取締役CEOを務めています。

ノスラゴスのノスは知恵、ラゴスはウサギという意味。院時代の研究のウサギからきています。世の中には、研究していた絶滅危惧種のウサギのように、狭い範囲にのみ存在していて、深い・ユニークな性質を持っているデータがたくさんあります。でも、大企業のように大きい組織では、細かいデータまでは拾えません。だから私がノスラゴスで、狭くとも深いデータを掬い上げようと考えています。

例えば、現在アプローチしたいと考えているのがリース業界ですね。リース業者さんは、個人や会社の信用を判断するためにたくさんの書類やデータを管理しています。管理のためのフォーマットを自動化して統一していくことで、データ品質が向上し、信用判定の精度も上がるはずです。データの結びつきを強くし、クリアにすることでさまざまな効果が期待できます。社内の情報を整理するして、経営判断に活かすためのお手伝いができればと思っています。

今後は、本業のプロジェクトと会社経営を両立させながら、世の中をキレイなデータでいっぱいにしたいと思います。必要なときにすぐに使えるキレイなデータが増えれば、人々が知りたいことをすぐに探し出し、ファクトベースで意思決定できるようになるはずです。現在、世の中にはさまざまな情報が溢れて、振り回されることも多いですよね。デマや誤った情報に振り回され、悩んだり迷ったりする時間が減って、正確なデータに基づく意思決定ができるようになれば、みんなそれぞれもっと好きなことに時間を使えるようになる。それができたら、世界にもっと素敵なことがたくさん起きると思うんです。

そんな世界を叶えるため、キレイなデータを揃え、あらゆる分野における法改正や政策提言に関わりたいと思っています。キレイなデータであふれる社会をつくることができたら、大好きな骨の研究に思う存分取り組みたいですね。

2021.05.13

インタビュー・ライティング | なんしゅ
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