私はロシア人の父と母のもと、ロシアのモスクワで生まれました。そして、2歳から父の仕事の関係で、東京に引っ越すことになりました。実際に日本に住み始め、初めて東京の幼稚園へ行ったときには、言葉が通じないことに驚いて泣いてしまったことを覚えています。

しかし、小学生になって日本の学校に通うようになってからは、日本の普通の小学生と変わらず、放課後はサッカーをしたりして遊んでいました。むしろ、「ロシア語を忘れてしまわないように」と、家では日本語禁止ルールを設けていました。また、漠然と料理に関心があり、休日になると、弟と父と男3人で母の代わりに朝食を作ることが好きでしたね。

そして、ちょうど日本の小学校を卒業する頃、ロシアに戻ることになりました。戻ってからは、ロシア語自体の発音や文法の難しさ、授業自体の習熟度に追いつくのに大変でした。

ロシアは、3・6・2年間に分けられた教育システムなので、小中高というくくりではないのですが、元々両親が教育熱心だったことが大きく影響していて、日本の高校にあたる2年分を、1年間で卒業できる学校へ通うことになりました。

そんな風に、普通より1年早く卒業することができたので、16歳で大学に入学し、専攻は東洋学に決めました。母親が東洋学の研究者だということもあり、抵抗がなかったですし、日本にいたので少しは勉強が楽かな?という気持ちもあって選びました。