すべてのいのちが輝く社会を目指して。 ホリスティックな医療を福島から発信。

福島県の西会津町で、農・食・医療・再生可能エネルギーを併せたホリスティックなグローバルコミュニティDana Village (ダーナビレッジ)を運営する小川さん。もともと看護師として病院勤務をしていた小川さんが、医療だけではなく全体的な視点で健康を考えるようになった理由とは?お話を伺いました。

小川 美農里

おがわ みのり|Dana Village 代表
福島県生まれ。高校生の時にパラグアイのスラムで暮らす人々、大阪のホームレス者と出会ったことをきっかけに国内外の社会問題に関心を持つ。大学卒業後、看護師として勤務する傍らボランティア活動を行う。 2014年から、世界最大のエコビレッジと称されるインドの「オーロヴィル」にて、農業やホリスティック医療を学ぶ。2016年5月、福島県西会津にDana Village を設立。チャルジョウ西会津農場代表、一般社団法人福のもと共同代表も務める。

福島で自然と共に育つ


福島県本宮市で生まれ、すぐに喜多方市山都町に引っ越しました。父は県職員として働きながら農業を、母は看護師をしていて、5人兄弟の末っ子として育ちました。夏は朝3時40分に起きるというルールがあり、よく父に起こされて畑の手伝いをしてました。起きるときはいやいやなのですが、いざ畑に着いてしまうと結構楽しかったんですよね。いろんな鳥や虫の鳴き声に触れながら活動することが好きでした。

父は少し変わった人。町に開発計画の話が出てくると、「ゴルフ場は作るな」「この町に産業廃棄場はいらない」などトラックにペンキで書いて抗議するんです。いじめにはあいませんでしたが、父のことを同級生に馬鹿にされたりしました。

加えて、実家が山の近くのため電波が入らず、民放番組が家で見れなくて。学校でのテレビや芸能人の話題から一人取り残され、よく悲しい思いをしていました。

自然の中では周りを気にせず自分らしくいられましたが、人と話すときは芸能人を知ったふりをして本当の自分を隠していました。自分らしくいたいけど、いられない。葛藤の日々を過ごしていました。

スラム街とホームレス者との出会い


高校は地元を離れ、全寮制の農業高校へ進学しました。テレビの話は話題の中心ではなくなりましたが、小中学時代を引きずり、周りの視線を気にしながら生活していました。例えば「これについてどう思う?」と意見を求められても、心の中で思ってることを言えなかったです。

そんな高校2年生のとき、初めての海外に行くことに。兄が青年海外協力隊としてパラグアイに滞在しており、遊びに行くことになったのです。国際協力に関心がありました。

しかし、実際にパラグアイに行って実感したのは貧富の差でした。大統領官邸の目の前にスラム街があったんです。街中には、出稼ぎのために都市に出てきた先住民族出身の方が暮らしていました。目の前で生活に困っている人たちが暮らしているのに、大統領は何も思わないのかと憤りを感じました。

一方で、都市を離れ、山奥の先住民族が住む村を訪れると、彼らのもつ能力の高さに驚かされました。例えば素晴らしい視力を持っていて、私には点にしか見えないものを、「あれは車が来ている」と遠くから判断できるのです。村では能力を活かして狩猟や採集をし、コミュニティの中で誇りを持って生きていたはずなのに、資本主義になり価値観ががらりと変わった中で、お金が必要になり都市で物乞いをしなければならなくなっている。彼らの様子をみて、現代の資本主義がもたらす弊害を感じました。そこから、国際協力への関心がさらに高まりました。

帰国後、ホームレス者が日本一多いと言われる大阪の西成にボランティアに行く機会がありました。活気ある大阪の人目につかない路地裏で、ゴミにまみれて亡くなっている方の存在を知ったんです。パラグアイと違って、日本では見えないところに貧困が追いやられ、隠されていると感じました。国際協力をしたいと考えていましたが、同時に日本の問題も考えていきたいと思うようになりましたね。

高校卒業後は海外に行くことを考えましたが、「誰がお金を出してくれるの」と担任の先生に言われ、否定された気持ちになりました。進路に悩む中で、父からはせっかく高校で農業を学んだのだから農学部に入ったほうがいいと勧めれられて。優柔不断だった私はそのまま流され、短大の園芸学部に入りました。

念願の看護学を学ぶ日々


短大に入学したはいいものの、最初の半年は精神的、体調的にとても調子が悪かったです。前向きに学びたいと思えず、偏食が続いたりと一気に沈んだ時期でした。そんな中、1年目の夏にアメリカに3週間ほど短期留学することに。アメリカ人の陽気さに救われて、元気になっていきました。その後一人旅で台湾に行ったり、いろいろな人と出会ったりして、少しずつ自分らしさを取り戻していきました。

高校時代から関心のあった国際協力に携わり、海外でもっといろんな人とコミュニケーションをとりたい。出会う人を笑顔にしたい。そう考えたとき、医療を仕事にすれば良いのではないかと思ったのです。看護師の母を見ていたこともあって、医療ならいろんな人に出会えるし、人に感謝される良い仕事なのではないか、と。看護師の資格を取って海外に行こうと考え、4年制の大学の看護学部に入り直しました。それまでは誰かに勧められたことをやることが多かったですが、初めて自分で決めましたね。

最初は自分で選んだ大学に行けたのがすごく嬉しくて、看護の勉強だけではなくいろんなサークルで活動したり、重度の身体障がいがある方の介護のボランティアをしたりと積極的に活動していました。加えて、今まで勉強してきた社会問題や世界の情勢を実際にこの目で見たいと考え、休学して世界一周することを決意。旅先では、社会問題に対して現地の人はどう思っているか聞くという活動を行っていました。

例えば、南米のボリビアでは初の先住民族出身の大統領であるエボ・モラレスさんの政治についてどう思うか、現地の人たちにインタビューして周りました。運よく大統領に会えて挨拶もできたんです。

一方で自分の無力さを思い知る出来事もありました。エチオピアに行った時に仲良くなったストリートチルドレンがいたんです。チルドレンといっても13〜15歳で、すでに母親。私が去るとき、そのうちの一人が自分の子どもを差し出して「この子を日本に連れて行ってくれないか」と言ったのです。

びっくりしました。私は少しの間でも彼女たちのためになればと、食事のサポートをしたり、一緒に遊んだりしていました。同じ空気を吸って同じ場所にいたけれど、彼女達の置かれている環境は自分とは全然違って、結局何もできない。自分の無力さを痛感しました。

一方で、世界を巡る中で自分らしさを取り戻せた1年でもありました。共通のテレビを見て話題を探さなくても、ただ音楽やダンスをしている今を楽しむ。そんな人たちと出会って一緒に歌って踊る中で、自己表現をするのって気持ちいいんだと思えるようになりました。

対症療法から予防医療へ


大学卒業後は、看護師としてさまざまな科を周りました。普通は就職すると一つの科にとどまり働くのですが、私は海外に行くことを考えていたので臨床研修看護師制度を利用し、いろいろな現場を周りました。総合診療内科、整形外科、救急医療といった具合に2、3カ月ごとに変わります。あらゆることを学び、実践するのは楽しかったですし、いろんな患者さんに仕事を通して出会えるので満足した日々を送っていました。

翌年には自ら希望して集中治療室に異動しました。常に緊張感漂う職場でピリピリしていて、ミスをして先輩にも怒られたりと少し働きづらさを感じるようになりました。

また、看護師としての自分の無力さも感じました。ICUにはよく自殺未遂の患者さんが運ばれてきます。しかし救命の現場では、彼ら、彼女らが自ら命を断とうとしているにも関わらず、精神的・社会的なサポートがしっかりとされないまま、次の日歩けるようになったらもう退院させてしまうのです。

自殺未遂をした方たちは、その後自殺で亡くなってしまう確率が高い現状があります。身体的な治療だけをして終わりというのは根本的な解決方法ではないのではないかと思いました。しかし、その方が生きやすくなるようコミュニケーションをとって寄り添いたいと思っても、並行して担当する患者さんがたくさんいて、なかなかできる環境ではありません。

その後整形外科に異動しましたが、そこでも違和感を覚えました。痛みの背景を多角的に考える前に、痛みを取り除くための手術がどんどん行われるんです。例えば、腰痛にはヘルニアなどの身体的な原因だけではなく、考え方やストレス、ライフスタイルが原因になっているという説もあります。ライフスタイルを変えることで痛みが発生しなくなる可能性もあるはずなのに、その可能性は検討されずに手術されてしまうんです。

その人が本質的に良くなることをやっていなかったとしても、患者さんから感謝されてしまう。そのことに、やりがいを感じられなくなってしまって。病院で行われている西洋医学的な対症療法ではなく、目に見えない心や本質的な体質改善といった、包括的な支援を見直した方がいいのではないかと考えるようになりました。もっとホリスティックな医療、予防医療を学びたいと決意し、4年弱で看護師を辞めました。

持続可能な幸福のため南インドへ


退職したころ、知人からインドの「オーロヴィル」という場所を紹介されました。オーロヴィルはインド南東部にあるエコヴィレッジ。人類の調和をテーマに持続可能な生活をすることを目指したコミュニティで、国籍や思想を超えて3000人以上の住人が暮らしています。もともとインドには行ったことがあり、好きな国だったので、ボランティアとしてオーロヴィルに滞在することにしました。

その頃、オーロヴィルの住人になるには、コミュニティの概念を理解した上で申請し、ボランティアとして1年滞在する必要がありました。暮らしを体験した上で、審査を通過すると、住むことができるそうです。

住人になると、教育や医療、食事など多くのサービスが無料か、安価で受けられます。なるべくお金の交換をしないようにと仕組みが作られているので、最低限生活するためのメンテナンスフィーをもらいながら、自発的にやりたい仕事をして暮らすことができるのです。

私はボランティアとしてコミュニティに入り、オーガニックファームで農業をしたり、お薬を使わないヒーリングセンターで仕事をしたりして過ごしました。住んでいる人に話を聞くと、オーロヴィルの中でも問題や悩みはありますし、いわゆるユートピアみたいな場所ではないと思いました。でも、基本的にはみんな内発的な動機でここに住むことを決めた人たちなので、楽しそうに、心豊かに暮らしているなと感じたんです。

それまで、より良い社会をつくるためには、いろいろなものを正さないといけないという強迫観念がありました。しかしオーロヴィルに来て、内発的にやりたいことをやっている姿をみて、人間は強制されるのではなく、内側から湧き上がるパッションやミッションに沿って生きる方が、本当の意味で持続可能な幸せを手に入れられると気づいたのです。ルールがあるからやらなきゃいけない、というのはすごく不自然なんだな、と。

日本にもオーロヴィルのように、生き心地のよさや環境に対しての持続可能性を考えられるエコビレッジをつくりたい。そう考え、2年ほど滞在した後帰国しました。

日本のどの場所にコミュニティを作ろうか考えた時、故郷の福島が思い浮かびました。東日本大震災後、福島は世界から「危ないところ」「放射能で汚染されたところ」というイメージを持たれていました。でもそんな福島だからこそ、持続可能で本質的な暮らしの場を作ることに意義があるのではと思ったのです。

福島に帰って場所を探していたところ、ご縁があって廃校になった校舎を貸していただけることに。そこで、廃校を改修した体験型の宿泊施設、『Dana Village (ダーナ・ビレッジ)』を設立しました。Danaというのはサンスクリット語で贈り物という意味があり、「全ての人たちが持つギフトを贈り合い、いのちが輝く場所」という思いを込めました。

数日間滞在する中で、オーガニック農業やヨガの体験などを通して、日常で疲れた心身を癒し、様々な気付きをもとに自然の中で自分らしさを取り戻して行くための施設です。

最初は農業もワークショップの設計も全部自分でやっていたので、すごく大変でしたね。子どもが生まれたこともあって忙しく、毎朝早くに起きて野菜を収穫していました。でも、徐々に仲間ができて、手伝ってくれるようになっていったんです。

3年ほど経った頃、コロナ渦になり、ワークショップが大々的にできなくなりました。しかしこれが自分たちの活動を見直す転機になり、本当にこの場所を必要としてくれる人に届けようと考えるようになりました。

うつ病で一週間ぐらい何も食べられてない方が宿泊に来てくれて、施設で過ごす中で食欲が回復し、ご飯を食べれるようになったり。自閉症の子どもに農業体験をさせたいと、ご両親がお子さんと一緒に遊びに来てくれたり。インターンで来てくれた大学生が、「Dana Village みたいなことを地元でやりたい」「今まで抱え込んでた思いをみんなが聞いてくれて、すごく良い滞在だった」と言ってくれたり。来てくれた方々のそんな言葉を聞くと、「ああ、やっている意味があったのかな」と自分の魂が少し救われるような気持ちになりました。

いのちが輝く社会づくりを目指して


現在はDana Villageの代表を務めています。加えて、チャルジョウ西会津農場の代表、一般社団法人福のもとの共同代表も務めています。

私が目指しているのは、「すべてのいのちが輝く社会づくり」です。そのため、教育、医療、ものづくりを連携させて、「レジリエンス」、つまり生き抜く力をインフラにしたいと考えています。

医療の現場や海外での経験から思うのは、今生きているってものすごい奇跡なのだということ。受精卵として存在した頃から、人として成長していくまでの間に亡くなってしまう可能性はおおいにあるのに、生きてるということがもう素晴らしいんですよ。それなのに、社会的なプレッシャーに苦しんだり、やりたくない仕事をしたりしているのはすごくもったいないと思います。家庭環境や社会環境に左右されずに、自分の力を発揮して心豊かに生きていける、レジリエンスを持つ人を増やしたいと考えています。

具体的な活動としては、まず農業からの学びを得る機会を作っています。

父が30年以上前から運営しているチャルジョウ農場の一部である、西会津農場を私が運営しています。父は植物をのびのびと育てる手法を大切にしてきました。例えばメロンを育てるとき、一般的な農業では株の間を詰めて、一つの株に1つか2つの実しかならないようにして作るんです。しかしうちでは、株の間を広く取り、枝葉を全部伸ばしていくつも実をつけられるようにして育てます。そうすることで、実を取らなくても光合成が十分できて生命力あふれた美味しい農作物ができるんです。

普通の農家からすると、すごく効率が悪いかもしれないし、こんなに手間をかけている人いないよって思うかもしれません。でも、この農法でできる作物は生命力にあふれていて本当に美味しい。そして、人に勇気を与えてくれると思うのです。

私は、野菜がフルに光合成をするように、人も全ての才能が使われている状態が健康で、その人らしい状態だと考えています。今の社会では効率重視で、毎日満員電車に揺られて会社に行って、事務職だったら事務の仕事だけをやって、その人の一面しか重視されていないように感じます。でも、その人は本当は歌やピアノや絵が上手かもしれないですよね。そんな風にいろんな側面を見て、いろんな才能の芽を摘まず、伸び伸びとチャレンジできるようにしたい。だから、Dana Villageを訪れてくれた人がこの農場で育った野菜を見て、「私もこのメロンみたいにのびのび生きていいんだ」と思ってもらえたら嬉しいなと思っています。

加えて、コロナが落ち着いたら海外の方と交流して多様な価値観に出会える、リアルな場を作りたいですね。また、サブスク形式で、食や瞑想やカウンセリングなどを組み合わせた、健康のサポートもできたらと考えています。Dana Villageの取り組みは予防医療にもつながると信じているので、実際にここでの取り組みのデータを取りながら、予防医療の大切さも伝えていきたいですね。

Dana Village以外でも、福のもとという団体で、子どもたちにいのちの大切さを伝える活動をしています。具体的には月に1回、子ども向けに農業体験のイベントを開催。食べ物の成り立ちから考え、機械を使わず手で土に触れて穴を掘るなど、五感をフルに使って、いのちを感じてもらう活動をしています。この活動を通して生きる強さを子どもたちに獲得してほしいと思っています。

「すべてのいのち」には、人間だけでなくて他の生き物も含まれます。農薬と化学肥料に頼らない、自然から搾取しない農業で環境を守る。保全した結果、私たち人間ものびのび生きていける。こうした持続可能なライフスタイルを確立したいですね。

地に足をつけた活動しながら実践を繰り返す中で、国連のフォーラムでお話をさせていただくなど、国際的な場で発言する機会もいただきました。実践が伴っているからこその説得力を持って、国際的に発言をしていければと思っています。

2021.11.01

インタビュー | 粟村 千愛ライティング | なんしゅ
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