仕事も趣味も子育ても、全てが人生の糧になる。自分を丸ごと愛する、しなやかな生き方。

女性のキャリア支援、昼スナックのママ、コミュニティマネージャー、子育ての4足のわらじで活動する上林さん。バリバリ働いていた中で、出産・育児を経て働き方、生き方に対する考え方に変化がありました。仕事と子育てを繋げて考え、人生を丸ごと楽しむ「ライフクリエイター」を自称するようになった背景とは。

上林 恵

かんばやし めぐみ|ライフクリエイター
大手人材派遣会社の営業として活躍。その後数社渡り歩いた後、独立。現在は、キャリアコーチ、昼スナックのママ、コミュニティマネージャー、子育ての4足のわらじで活動中。

プロフィールを見る

プライドを守るため、本心を隠す


大阪府寝屋川市で育ちました。性格はおとなしく、放課後は家で1人で絵を描いて遊んでいました。友達と遊ばずに家に帰る日が多すぎて、母に心配されたぐらいです。

勉強はよくできたので、中学に入ると学級委員を任されるようになりました。人前に立つ経験が増えると、自分に自信がついていきましたね。クラス内でも優等生として目立っていたので、友達も増えていきました。

ただ、友達と遊ぶのはとてもしんどかったです。グループで集まってみんながワーッと盛り上がっているときに全く楽しめませんでした。どこか冷めてしまう自分がいたんです。だからといって、馴染めていないのは嫌でした。プライドの高さから、上手く人間関係を築けない自分を絶対に認めたくなかったんです。みんなが笑っているときは自分も笑ってるふりをしないといけないと思い、周りに合わせた行動を取らないといけなかったのが辛かったですね。

高校に入ってもそんな状態がしばらく続きましたが、あまりにしんどかったので、ある時から友達付き合いをやめました。1人の方が楽なので、1人で行動していた場面が多かったです。「なんで1人で弁当食べているの」と気にかけてくれる人もいましたが、それに対応するのもしんどくて、もう構わないでくれと思っていました。

勉強しか自信を持てるものがなかったので、大学受験は家から通える範囲で一番偏差値の高い大学を目指しました。受験期は人間関係のストレスに加えて勉強に対するプレッシャーが大きく、ずっと体調不良が続いていました。しかし自分が認められるには受験を頑張るしか他に選択肢がなく、ひたすら勉強しました。その結果、目標の大学に合格できた時は、何よりもホッとした気持ちでしたね。

大学では臨床心理学を勉強しました。高校時代、人間関係に悩んでいた時に手に取った本を書いた有名な心理学の教授が在籍していたからです。勉強はそれなりに楽しかったですが、それ以上に周りの学生のレベルの高さに衝撃を受けましたね。研究が好きで好きで仕方がなく、授業時間外にも熱心に本を読む学生が多かったので、この熱量には勝てないと思いました。研究者になる人が多い学部でしたが、周りを見た時に自分がこの世界で活躍できるとは到底思えず、就活しようと思いました。

周りに合わせるのが苦手だった自分は、もっと自分らしくのびのびと生きたいと思っていました。そんな葛藤をしたからこそ、その人がその人らしく生きるための支援をする仕事に就きたいと思いました。中でも、仕事は生き方を決める大きな要素です。そこで、個人がその人らしく働くことをサポートをするため大手人材派遣会社に入社しました。

働きがいのある会社を探して


体育会系の営業に配属になり、入社直後から「飛び込み営業行ってこい」「名刺100枚もらってこい」と厳しく鍛えられる日々でした。最初の頃は法人に対する飛び込み営業ばかりで、1人1人の求職者と関わる機会はほとんどありませんでした。働く個人に寄り添いたいと思って入ったので、やりたいことができている気がしなくてつらかったですね。「一体誰のために、私はビルの最上階から一番下まで毎日毎日汗水流して走り回っているんだろう」と思っていました。

当初はつらい日々が続きましたが、徐々に成果が出るようになってくると、仕事にやりがいが出てきました。契約が決まってお客さまに喜んでもらえたり、頼ってもらえたりするとすごくうれしかったんです。やりがいを感じ始めてからは完全に仕事の虫になりました。アポ取りや訪問など誰よりも多く行いました。特に営業センスがあったわけではありませんでしたが、人一倍の努力のおかげで成績が上がり、営業表彰も受けました。

5年ほど働くと、仕事の型ができ、どうすれば営業成績が上がるかわかるようになりました。営業部でマネージャーや部長職へと出世することに興味を持てなかったので、別の部署へ異動させてもらいました。しかし、異動先の仕事も既に型ができているものばかりで、自分がやることに価値を見い出せず、悩みました。

そう考える一方で、人間関係や給料の面ではすごく満足していたので、会社に残るか転職するか数年ズルズル悩みましたが、社外の人との出会いがきっかけで、最終的に転職を決意しました。

転職活動中、自分がやりたいことを考える中で、自分が支援してきた派遣社員の99%が女性だったのを思い出しました。出産や育児などの多くの制約があるなか、仕事もなんとか頑張って続けたいと語る女性達に何百人と出会ってきました。そんな女性たちの力になりたいと思い、働く女性を支援する会社を探しました。いくつか会社を見る中で、ベビーシッターのマッチングアプリをつくるスタートアップ企業に入社しました。

営業部の立ち上げメンバーとして入社したのですが、会社の規模が小さかったので、マーケティングや事業企画、人事など、エンジニアの仕事以外は全て関わりました。前職とは違う、事業をゼロから作り上げていく仕事は楽しかったですね。全ての仕事に関わる分仕事量も膨大で、朝起きた瞬間から寝る直前まで1日20時間ぐらい働いていました。

自分に合った働き方の模索


働き始めて半年ほど経ったとき、妊娠が発覚しました。子どもを授かれてうれしいと思う反面、仕事が回らなくなる不安が大きかったですね。今までは、他の人より仕事に多く時間をかけて結果を出してきたので、出産や育児で時間を自由に使えなくなるのが怖かったんです。

その不安を信頼できる知り合いの方に打ち明けたところ、「めぐちゃんが憧れるワーキングマザーに話を聞いてみたら?」と言われました。「いろいろな人に話を聞きに行って、その活動自体を仕事にできたらいいね」とも言われました。

仕事と子育てを上手く両立している実例を知ったら少しは不安が和らぎそうな気がしました。仕事であれば後ろめたさなく会いに行けると思い、自分が見てカッコイイと思うワーキングマザーのインタビュー記事制作を始めました。

また、私と同じ悩みを抱えた女性がいるのではと思い、復職準備カフェという、アプリのユーザー向けイベントも企画しました。育児休暇中の女性に集まってもらい、復職に向けた様々な不安を解消するためのイベントでした。このイベントが大盛況で、その後定期的に開催するようになりました。出産や育児をきっかけにキャリアに悩む女性の力になれていると思うとうれしかったです。

その後、子どもが生まれました。出産直前まで仕事一筋で、猛烈に働くという働き方を充分やり切った感覚があったので、次はもう少しバランスの取れる働き方をしてみたいと思い、転職活動を始めました。時間と場所を柔軟に選べて、給料が良い企業を探し、広告制作会社に入社しました。

入ってみると、仕事内容が全然面白くありませんでした。今までやったことがない仕事で、自分の強みを発揮できない気がしました。周りの人との知識やスキルの差を埋めようと思っても、子どもがいるから時間を取れません。業務内容や求められるスキルではなく、働き方や給与面の条件を重視して仕事を選んだのを後悔しました。

すぐに部署の異動を希望しましたが、叶いませんでした。転職したばかりで、まだその会社では何の成果も出していなかったので、仕方がないとも思いました。ただ、今まで築き上げてきた自分の経験や強みが発揮できない環境に居続けるのはとてもつらいものでしたね。

辞めたい想いが日に日に募るものの、入社半年で辞めるという踏ん切りがつかず、何かヒントを得ようと、いろいろなイベントに参加しました。その中に、ある上場企業の女性役員の講演がありました。その方が、「人は1日1日死に向かって生きる。生きるとは命を削ること。その命を使ってまでやることが使命です」と話すのを聞いて、「今の仕事は、命を削ってまでやりたいことではないな」と思ったんです。だからこそ、今死んだら後悔するとも思いましたね。その言葉がきっかけで、会社をやめる決意が固まりました。

本当のやりがいに気づいた


次に何をやるかは決めてませんでした。元々お付き合いがあった人達から声をかけてもらった様々な仕事をしながら、自分のやりたいことを考えました。そのとき、自分が育休中に個人的に主催していたママ向けイベントなどの成功体験を思い出しました。キャリアに悩む女性に寄り添うコミュニティづくりは、心理の勉強や人材会社で働いてきた私が価値を発揮できそうだと思ったんです。

自分らしいキャリアを創りたい女性限定のコミュニティ「キャリアデザインカフェ」を始めました。月に2~3回ワークショップを開催し、参加者同士がお互いの悩みを共有したり、将来のキャリアを考えたりする時間を提供しています。「なんとなく現状の働き方にモヤモヤしているけど、キャリアカウンセラーに会いに行くほど悩んでいるわけではない」という人が繋がり仲間となって、刺激し合いながら一緒に前に進んでいけるコミュニティを目指しています。

活動を始めて半年ほど経ったとき、主催しているワークショップの開催日なのに気分が乗らない自分がいました。月に最低1回は企画を行うという、自分の中で決めたルールを守るために行かなきゃと思いました。同時に、ルールを守るのが目的になってしまっている状態は良くないとも思いましたね。

自分のやりたいことが何なのか、もう一度考え直しました。今まではキャリア支援だと思っていましたが、それは人材業界で働いてきた仕事の延長線上にあったから、たまたま今やっているだけだと気づきました。

本当は、やりたいことなんてなかったんです。キャリア支援を通して自分が価値を発揮できていると感じられ、目の前の大切な人に喜んでもらえることが私のやりがいだったと気づきました。そう考えると、その時その時の自分にできることで、人のためになるものだったら何でもいいのかなと思いました。

自分の師匠であるキャリアコーチにその考えを話したところ、「めぐちゃんは人生を丸ごと楽しむ人なんだよ。ライフクリエイターだよ」と言われ、気持ちがスッキリしました。無理に「これをやる」と決めなくても、その時々にやりたいと思ったことをやり続ければ良いんだと思いましたね。

そのときから「ライフクリエイター」と名乗り始めました。この言葉には「全ての活動が繋がっていると捉え、人生丸ごと楽しもう」という意味を込めています。かつての私は「仕事」と「子育て」を分けて考え、両者のバランスを取るために努力していました。ただその考え方だと、仕事にバランスが偏っている時は子どもとの時間を取れずに悩み、その逆だと、仕事の時間を犠牲にしているのに悩んでしまうんです。

仕事と子育てのバランスを考えるのではなく、仕事も子育ても全ては私の人生なのだと考えるようにしました。すると、全ての活動は私の人生の糧になっていると思えるようになったんです。そう思えるようになると、どんな瞬間も自分の行動を愛せるようになり、毎日豊かな時間が流れるように感じられました。いつ死んでもいいなという気持ちになりましたね。

自分の人生を愛せる人を増やしたい


今は、キャリア支援と昼スナックのママとコミュニティマネージャーと子育てに取り組んでいます。

キャリア支援は、キャリアデザインカフェに加え、キャリアデザインプログラムを始めました。カフェのオープンなコミュニティと異なり、本気でキャリアや生き方を変えたい人に全力でコミットするプログラムです。

昼スナックは、昼間使っていないバーを借りて活動しています。お客さんは基本的に私の知り合いです。様々なバックグラウンドを持つ方々がつながり、ゆるいコミュニティが育っていくことが楽しくて続けています。

キャリアデザインカフェや昼スナックで培ったコミュニティ運営の経験を活かし、2019年の9月からは、コミュニティマネージャーとしての活動を始めました。コミュニティマネージャーとは、オンラインサロン内の会員同士のコミュニケーションを活性化させる役割です。人と人の関係性の質を高めることで、楽しくコミュニティに参加できる人が増えていくのがワクワクしますね。

子育ては自分にとって最も重要な活動ですね。子育て=プライベートではなく、他の仕事と同様に考えるようになってからは、全てが学びでとても楽しいです。子どもに絵本を読んであげる時間からも学べますし、子どもの行動や接し方に悩んだ経験も全て人生の糧になっています。

キャリア支援やスナックなどのコミュニティ活動でいろいろな人と話してきました。そこで感じるのは、自分がどうしたいかを話す人よりも、どうしたほうがいいか周りに意見を求める人が多いことです。

意見を求める人は「人生に正解がある」と思っているのではないかと思います。私もかつてはそう思っていました。でも、実際は正解なんてない。その考えにこだわりすぎると、正解以外の行動は無駄だと思い、悩み、焦ります。そんな人たちが「どんな生き方をしても良いんだ」と思えるようになれば、もっと人生が楽しくなると思うんです。人と関わり、自分の生き方を伝え、自分の人生を愛する人を少しでも増やしたいと思っています。

2019.10.07

インタビュー・ライティング | 伊藤祐己
ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?