「かっこいい」は正義。 未来のため、ワクワクできる社会を作る。

世界最軽量の「ドライカーボン松葉杖」をはじめ、モータースポーツや医療・福祉、最先端ロボットなどのさまざまな領域でデザイン・製品開発を行う株式会社RDS代表の杉原さん。15歳で単身渡英しプロダクトデザインを学んでいた杉原さんは、ある出来事がきっかけで医療・福祉領域のデザインに興味を持ち始めたといいます。杉原さんが、ものづくりを通して作りたい世界とは。お話を伺いました。

杉原 行里

すぎはら あんり|株式会社RDS代表取締役/HERO X 編集長
1982年、東京生まれ。埼玉県所沢市出身。15歳で単身渡英、イギリスの全寮制高校を経て、同じくイギリスの「Ravensbourne University」にてプロダクトデザインを専攻。冬季パラリンピックのアスリート、森井大輝選手、村岡桃佳選手、夏目堅司選手にチェアスキーのシートやカウルなどを提供。伊藤智也選手の競技用車いす開発のプロジェクトリーダーを担当。『ドライカーボン松葉杖』で2013年度グッドデザイン賞金賞(経済産業大臣賞)やA’Design Award Platinumなど国内外で多数受賞。2018年、RDS社長に就任。 ZIP FM 『HEROQUEST』ナビゲーター。DAC World’s 2nd Best Designer in 2021。

憧れの父の背中を追って


東京で生まれてしばらくして、埼玉の所沢市に引っ越しました。2人の妹と両親の5人家族です。デザイナーの父は、僕が2歳の頃にプロダクトデザインの会社を立ち上げました。父はちょっと破天荒だけどとにかく面白く、母は縁の下の力持ちタイプ。お互いを支え合う両親を心から尊敬していましたし、いつも賑やかで明るい家庭でした。

家にはしょっちゅう父の知人が遊びに来ていました。海外にも接点があった父の仕事柄、外国の方もよく来ていて。「僕も英語が話せたら、この人たちとコミュニケーションがとれるのに」と考えていました。いつか自分も海外に出たいと漠然と思うようになりました。

父は「お前はどうしたいんだ?」と意見を聞いて、尊重してくれました。そのおかげで、なんでも自分で考える癖がつきました。同時に、自分の選択には必ず責任が伴うということも教えられました。自分の人生だから、どんな風に演出して彩っていくかは自分で決めるという意識がありました。

14歳の時、父から突然「うちでは15歳で成人になることが決まったから」と告げられました。一人の大人として、家を出たら将来何になりたいのかと聞かれたんです。将来の夢は色々ありましたが、いざ今後の人生を決めなければならないと思うと、すごく悩みました。考えた末、いつか海外で活躍したいと思っていたこともあり、全寮制のイギリスの高校へ行くことにしました。

高校には、世界各国から優秀な学生たちが学びに来ていました。でも僕は、英語がほとんど喋れなくて。意思疎通ができないのが悔しくて、必死に勉強しました。

学校は広大な敷地のなかにサッカーコートやゴルフ場、病院などが入っていました。歴史的な建物に囲まれて、まるで映画の中に迷い込んだような世界。授業のカリキュラムも特殊でした。例えば陸海空軍に分けられて、トレーニングをしたり、本物の飛行機を操縦したり。日本では考えられないような、面白い経験がたくさんできる環境でした。

卒業後は、現地の大学でプロダクトデザインを学ぶことに。幼い頃からクリエイティブな仕事で活躍する父の背中を近くで見てきたからこそ、自分も同じ領域に飛び込んで力を試してみたいと思ったんです。建築や自動車などの工業デザインを勉強していました。

初めて「自分ごと」になった


そんな矢先に、父の病が見つかったのです。しかも、進行が早い膵臓ガン。発見した時にはすでに末期でした。尊敬する父の突然の悲報を医師から宣告され、一瞬目の前が真っ暗になりました。なんとか奇跡が起きてほしいと願うのと同時に、残された時間をどうやって一緒に過ごそうかと考える冷静な自分もいました。

休学して父のそばにいる考えも本人に伝えましたが、「お前が戻ってきても治るわけじゃない。それよりも面白いものを作れ」と言われて。少しでも僕が成長している姿を見せれば、安心して余命をまっとうできるのかなと思い直しました。

父が入院すると聞いて、日本に一時帰国しました。これまで病院に行く機会があまりなかった僕は、ほぼ初めて病院という空間に足を踏み入れて。病室そのものの雰囲気やそこに置かれているベッド、点滴台、車いすなど、すべてを目の当たりにして、言葉を失いました。

ただでさえ、病院は気分が落ち込んでいる人が多い場所。もっとテンションが上がるような「かっこいい」デザインにしてもいいのに、まるで「死を待っている」かのような病室の雰囲気に、医療現場のデザインはこんなに進んでいないのかと衝撃を受けたんです。父とも「このコンセプトは間違ってない?」と話していましたね。

さらに、父から「長い間点滴を打っていると腕が細くなってきて痛い。なのに、点滴台が押しにくいんだ」と言われて。僕自身も実際に点滴台を押してみたり、車いすに乗ってみたりしたことで、これまであまり身近でなかった医療現場の課題を自分ごととして考えるようになりました。

「もしも自分が使うとしたら?」と考えるうちに、誰がデザインしたのか疑問が湧いてきたんです。医療現場にあるプロダクトが、実際に使う人のことを考えず作られている。これは自分がなんとかしないと、と思いました。

1年ほどの闘病期間を経て、父が他界しました。きっと苦しいはずだったのに、自分たちの前でも弱音を吐かない、最期までかっこいい父でした。父が遺した会社は母が継ぐことになり、僕は医療や福祉領域のプロダクトデザインを深く学ぶため、アメリカの大学院への進学を考えていました。

そんな時、リーマンショックが発生。世界的な金融危機を前に、国内の製造業は大きな打撃を受け、実家の会社も例外ではありませんでした。数名の社員とともに必死に会社を立て直そうとする母の姿を見て、「今やるべきなのは会社や家族を支えることなんじゃないか」と思ったんです。

母から頼まれたわけでもないし、入ったところで何ができるかわからない。それでも、今ここで大学院に行くのはかっこ悪い、と思いました。26歳、父が遺した会社への入社を決意しました。

「隠したい」から「見せたい」へ


入ってからは、とにかく会社を存続させるのに必死でした。大学を卒業したばかりでできることは少ないけれど、外から来たからこそ気づけることがあるんじゃないか。そう思い、まずは自社の強みと弱みは何か、従業員からヒアリングを重ねたり、専門書を読んだりして徹底的に分析しました。

そこで気づいた強みは、優秀な人材が揃っているだけでなく、当たり前になり過ぎて気づいてなかったRDSの特色であるデザインから開発・製造までを一貫して行える環境があるということでした。アイディアをすぐに実行し、納得できるまでトライアンドエラーを繰り返すことで、中小企業ならではのスピード感を持って良いプロダクトを生み出せるとわかったんです。

そんなある日、会社宛にある一通のメールが届きました。そこには「自分専用の松葉杖がほしい」と書かれていて。詳しく話を聞いてみると、「今市場に出回っている松葉杖はケガをした時に一時的にレンタルするものを想定している。自分のように一生涯使う人もいるという可能性を考えていない」と。それでは愛着も湧かないし、所有欲が満たされない。僕自身も、その言葉にはっとしました。

そして、生前の父と病室で話したことが脳裏によぎりました。医療機器のデザインを改革する。思い起こせば、こういうことがやりたかったんだ。会社の強みを活用して何かに挑戦したいと考えていた今だからこそ、挑戦するべきだと奮い立ちました。

それからは、試行錯誤を繰り返す日々でした。どうすればその人の身体にフィットした感覚や、常に持ち歩きたいと思えるデザイン性を兼ね備えることができるか。前例がないことで苦労も多かったですが、刺激的で楽しかったですね。そして約1年かけて、世界でたった一つの「ドライカーボン松葉杖」が完成しました。

完成品を本人に見せた時、「それまでは松葉杖をついている自分が恥ずかしくて、隠そう、隠そうとしていた。でも、こんなにかっこいい松葉杖なら人に自慢して見せたい」そう言って子どもみたいにはしゃいで喜んでくれました。彼はそれから人前にたくさん出るようになって水泳を始め、競泳の国体で3位になったそうです。

「この松葉杖のおかげで人生が変わった」とまで言ってもらって、初めて大きな手応えを感じました。この出会いをきっかけに、個人所有を目的とした松葉杖の開発に携わるようになったんです。

さらに、この製品は「グッドデザイン賞金賞(経済産業大臣賞)」を受賞しました。これまで医療機器において価値として認められていなかった「所有欲を満たすプロダクト」が、世の中で「かっこいい」と認められた。自社の製品が、「かっこいいね」とデザイン性を褒めてもらう場面も増えていきました。かっこいいって正義なんだな、と思いましたね。

テクノロジーでパラリンピックを目指す


「ドライカーボン松葉杖」のことを知った冬季パラリンピックチェアスキー日本代表の森井大輝選手から、一緒に何かできないかと連絡をもらいました。彼も、自分のマシンをより良いものにしたいと強い思いを持っていました。彼の熱量と人柄に感銘を受け、パラリンピックに向けた器具の開発プロジェクトが始まることになりました。

開発を進めるうちに気づいたのは、良いプロダクトを生み出すためには、アスリートと器具を作る開発者の間に共通言語が必要だということでした。アスリートが最適だと感じているポジションが、理論上も最適とは限らない。アスリート本人の感覚ではわからないほどの微妙な数値のズレによって、スピードが落ちてしまうこともあるんです。

そこで、最新の計測機器を購入したり、自作の測定器などを作ったりして、人間の感覚を数値で表せるようにしていきました。森井選手とも意見を交わして、二人三脚でプロダクトを作っていきましたね。

さらに、車いすレーサーでパラリンピックで金メダルを取った経験がある伊藤智也選手と出会いました。彼は現役を引退していましたが、僕が「世界一速いマシンを作ったら、現役復帰してくれるか」と聞くと、「できるならしたい」と答えてくれました。

この時、伊藤選手には「パラリンピックで仮説を実証して、病院などの一般社会に還元したい」とも話していました。もちろん速いマシンを作って金メダルを獲るとか、ベスト記録を出すのは当たり前です。でもどうせなら、そこで得た知見や知財を後世に残したい。彼もその思いに共感してくれました。

意気投合してからは、伊藤選手を開発ドライバーに迎え、競技用車いすの開発が始まりました。自作のシミュレーターマシンを使って伊藤選手の身体の動きを何万通りも計測していきました。シミュレーターを使って車いすのシートポジションを細かく調整し、2年ほどかけてマシンが完成しました。

そのマシンを使って出場した東京パラリンピックでは、58歳で自己ベストを塗り替える記録が出ました。彼は「あんなに血が出るほど練習して出たタイムを簡単に超えた。俺の競技人生は何だったんだ」ってめちゃくちゃ落ち込んでましたね(笑)。テクノロジーを利用して人間が持っている能力を最大限活かす事ができれば、何歳からでもヒーローになれる。そう確信した瞬間でした。

超高齢化社会を、ワクワクする社会に


現在は、父が創業した株式会社RDSの代表取締役として、モータースポーツや医療・福祉、最先端ロボットなどのさまざまな領域でデザイン・製品開発を行っています。

自分たちのように面白い挑戦をしている人の様子を多くの人に伝えたいと考えて、「HERO X」というメディアを自分で立ち上げたり、ラジオでの発信にも力を入れたりしています。最近では、F1アルファタウリホンダのオフィシャルパートナーや世界スーパーバイクに参戦するMIE RacingやAstemo REAL RACINGのパートナー、大学講師に至るまで、様々なことをしています。

最初に「カーボン松葉杖」を作った時から揺るがない僕の信念は、「かっこいいは正義」。自動車や自転車は洗練されたデザインが生まれているのに、車いすや松葉杖は全然かっこよくない。イノベーションが生まれない理由は、「高齢者や障害のある人が使うものだから関係ない」と考え、自分ごと化している人が少ないからです。

2025年の日本は、約30%が65歳以上になるという超高齢化社会に突入していきます。およそ3人に1人がなんらかの不自由さを抱える可能性がある社会で、車いすや松葉杖はもはや他人ごとではないですよね。

だからこそ、乗る人を選ばない、みんなが乗って自慢したいと思うようなかっこいいプロダクトを作っていきたいんです。僕たちのサービスやプロダクトを何百万人、何千万人の方に使ってもらうことで、「医療や福祉のプロダクトは使えればダサくてもいい」という固定観念をくつがえしていきたいと思っています。

さらに目指すのは、僕たちが持つテクノロジーを一般社会に広く還元することで、ワクワクするような社会を作ること。超高齢化社会を悲観せず、日本を「試験場」と捉えて前向きにいろんな挑戦をしていきたいですね。

最近、僕たちが作ったプロダクトを使った方から、嬉しい言葉をもらう場面も増えました。時速35キロ出る車いす型のモビリティに乗った人から、「車いすになって初めて風を切った」という言葉をもらったのは今も忘れません。一見当たり前に思えるささやかな喜びや幸せは、誰かにとっては当たり前じゃないかもしれない。すべての人に動く喜びや走る喜びを提供できる、自分たちの挑戦の価値を噛み締めています。

今後、一人ひとりに最適化されたサービスやプロダクトを購入できる時代がやってくる中で、個人の健康データの必要性が高まると考えていて。僕たちのテクノロジーを介して得られたデータをシステム化することで、病気を未然に防ぎ、疾病リスクを最小限に抑えることもできるんじゃないかと思っています。可能性は無限にありますね。

僕は、とにかく面白いことをどんどんやっていきたい。前例がない挑戦をしている時のワクワクが、僕の生きる活力になっています。チャレンジし続けるのは、面白いから。ただそれだけです。壁が高ければ高いほど挑戦しがいがあると思っています。

今僕たちが生きている社会は、過去の先人たちが遺してくれたものだと考えていて。そうであれば、今度はこれからの未来を生きる子どもたちのために、今僕たちがワクワクする面白い社会を作っていく番ですよね。そのために、時に失敗もたくさん重ねて、無謀とも思えるチャレンジをしていきたいです。

2022.05.19

インタビュー・ライティング | 安心院 彩
ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?