世の中を良くするために、命を使いたい。子どもが教えてくれた、本当にやりたいこと。

子どもが暮らす未来のために、志を持つ人のサポートをする道を選んだ藤巻さん。自分がなりたい姿に向かって努力を続けていく中で、子どもを授かったことで変わった考え方とは、どんなものだったのでしょうか。お話を伺いました。

藤巻 美雪

ふじまき みゆき|子どもの未来を良くしていく
株式会社mannakaの取締役を務め、現在産休中。「下北沢カレーフェスティバルミスカレーグランプリ」2013・2014年度グランプリを受賞し、カレーに関わる様々な仕事も行う。

認められない苦しみ


私は、東京都墨田区で生まれました。両親が20歳の時に生まれた子どもで、両親は、若い親の子どもだからと言われて苦労することがないようにと、厳しくもたっぷり愛情を注いで私を育ててくれました。「勉強しなさい」と言われたことは一度もなく、私のやりたいことをやりたいようにさせてくれました。

高校生の頃、私は教師になることを夢見て、大学受験に励みましたが、思い通りにはいかず。夢を叶えるためには浪人しなければなりませんでした。はじめは、浪人をさせられないと両親は言っていたのですが、私の夢に賛同して、浪人することを許してくれました。

ですが、周囲の反応は全く正反対のものでした。「どうせ結婚して仕事を辞めるのだから、浪人してまで4年制の大学に行く必要はないし、短大にでも行けばいいじゃない」と母は知人から言われたそうです。私のことを思って言ってくれたのはわかっていましたが、私自身を否定されているような気がしてなりませんでした。

「自分自身」の評価とは関係の無いところで、「女性だから」という理由だけで自分の人生を決められてしまうことに、強い反発心を覚えていました。その頃の私は、特定の誰かに対してということではなく、社会に対して「見返してやる」という気持ちが強かったんだと思います。

それから大学に進学して、教師になるための勉強をしながら、今まで経験したことのない事にどんどんチャレンジしていきました。その中で社会に認められる存在とは何か、自分なりに考えた結果行き着いたのは、経営者でした。

負けたくないの一心で仕事に打ち込む日々


大学を卒業して、150店舗程の飲食店を経営している会社に就職しました。入社したばかりの私は、「誰よりも早く出世し、誰よりも仕事で結果を残してやる」という思いが強く、周りから見てもとてもギラギラしていたと思います(笑)とにかく5年で独立するという目標に向かって邁進していました。

社会で認められている存在とは、仕事ができる人で、社会的地位があり、お金をたくさん稼いでいる状態の人だと思っていました。私の中でそのイメージにぴったり来るのが「経営者」。そのためにはまず就職先の会社でキャリアアップすることが必要だと考えていたのです。

2年目には新業態のブランドの立ち上げもやらせてもらい、3年目には本社で企画の仕事をするようになりました。

とにかく必死でした。元々自分に対するコンプレックスが強く、「人の倍努力しないと人並みにはなれない」と思っていました。走っては転び、また走っては転びの繰り返し。新作ドリンクのメニュー開発では、「こんなの売れない」「魅力ない」とばっさり切られることも。悔しくて悔しくて、ひとり隠れて泣いたこともありました。それでもいつも思うことは、「いつか認めさせてやる」。

その頃の私は、自分が否定されることに対して、とても敏感に反応していました。認めてもらえないことが嫌で嫌で仕方がなかったんです。常に評価される人間でいたい。必要とされる人間でいたい、仕事ができる人だと思われていたい。そんな気持ちがとても強くありました。

そして入社して3年半が経った頃、もっと違うことにチャレンジしたいと思うようになりました。本社では、社長にとても近いところで仕事をさせてもらえていましたし、やりたいと思ったことがどんどん現実になっていくことが何より楽しかった。

そんな充実した毎日を過ごしていましたが、ただひとつ足りないものがありました。「どんなことがあってもやり遂げたい」と思えるような、夢中になれることがなかったんです。自分が心からやりたいと思えることを見つけたいと思い、独立することを決めました。

予想以上のことが待ち受けていた独立


独立を決めたものの、自分のやりたいことがいまいちわからなかった私は、「ワクワクすることしかしない」というルールだけを決め、それに当てはまる仕事は何でもやりました。自分の感覚だけを信じて「とりあえずやってみよう」というスタンスは、独立する前には想像もつかなかったことばかりを引き寄せてくれました。

その中でも一番予想外だったのが、カレーの仕事。きっかけは「下北沢カレーフェスティバル」という10万人規模のカレーイベントでした。そこで開催していた「ミスカレーコンテスト」に応募。そのコンテストでは「カレーが似合う女子」が投票形式で選ばれ、グランプリには「ミスカレー」の称号が与えられます(笑)たくさんの方の協力もあり、私は2年連続「ミスカレー」の称号を獲得することができました。

それから、気づけばどこに行っても「ミスカレー」と呼ばれるようになり、テレビ出演をしたり、カレー米の開発に携わったり、カレー屋さんの販促のお手伝いをしたりと、「カレーにまつわるお困りごと」を聞いて回る人になっていました。

そうやって自身のブランドや仕事を確立していきましたが、はじめから順風満帆だったという訳ではありません。「カレーを仕事にする!」と言っても、仕事の取り方なんてわかりませんし、請求書の書き方ひとつにも悩む、そんな状態でした。5万円を稼ぐことすら大変。貯金もない、特出したスキルもない、どうしたらたくさんお金を払いたいと思われる人になれるんだろうか、悩むことばかりでした。

そうやって試行錯誤しながらやっていく中で、他人に認められることに何より重きを置いていた私でしたが、認められるために仕事をしていたら仕事にならないということに気づきました。

誰かのためになるから、お金という対価がもらえる。独立してから初めて意識したことでした。そう思ってからは、とにかく出会った方に自分ができる最大限の価値を提供しようと一つ一つの仕事と向き合っていきました。

人生をかけてやりたいことが見つからない


何とか生計を立てられるようになり、仕事も順調に進んでいた頃、満たされない自分がいることに気づきました。毎日がチャレンジで、刺激に溢れ、たくさんの方に「ありがとう」と言われる、必要とされる存在であることにやりがいも幸福感も感じていました。でも何かが足りない。独立する前と同じ悩みにぶつかっていました。

そんなモヤモヤを抱えているときに出会ったのが今の夫です。彼に思い切って正直に自分の悩みを打ち明けました。そうして彼と話しているうちに、私の悩みの原因は「未来のビジョンが見えていない」ということだと気づかされたんです。

今までの私は「認められたい」、その一心で何事にも必死でやってきました。だからこそ認めてもらうために、常に前に進んでいると感じていないと不安でたまらず、「すごいね」と周りから言われることに貪欲でした。

独立しようと決めたときに思っていた「夢中になることを見つける」という思いは、どこか頭の片隅に追いやられていて、環境を変えても、結局私は必死になるばかり。夢中になれることを見つけられていなかったんです。必死になるのではなく、夢中になれることを見つけるためには、「人生の目的」が必要だと夫に教えてもらいました。

そのとき全く目的を持っていなかった訳ではありません。「ミスカレー」としてのブランドを確立していた時期で、もっともっとミスカレーとして活躍することで、「自分らしく生きること」を伝えていきたいと思っていました。

ですが、私が本当にやりたかったことは、「ミスカレー」ではありませんでした。いつの間にか、「ミスカレー」という肩書に縛られていたんです。一度苦労して積み上げてきたものを手放したくないという気持ちが強すぎて、本来の目的を見失っていました。そこから改めて「自分は何のために生きていきたいのか」を考えるようになりました。

モヤモヤの原因が明確になっても、答えは見つからず、苦悩の日々が続きました。「人生の目的」が必要だとわかっていても、なかなか見つけられない。「これだ!」と思うことがあっても何か腹落ちしない。そんな繰り返し。

夢中になれることを見つけたいと、たくさん挑戦してたくさん失敗してきて2年ちょっと。人生をかけてでもやりたいと思えることは、そう簡単には見つからないものだと痛感しました。

ずっと引っかかっていたもどかしさをほどいてくれた妊娠


仕事の内容は少しずつステップアップしながらも、明確に人生をかけてやりたいことが見つけられないまま、2015年8月頃、妊娠が発覚しました。仕事のことしか考えていなかった私に突然訪れた出来事で、戸惑いと嬉しさが半々。どちらかというと、仕事一筋で生きてきた私にとって、これからの自分の人生はどうなるのだろうかという不安の方が大きかったように思います。

すぐに離れる訳にはいかなかったので仕事も続けていましたが、体調の変化で思うようにできない苛立ちや、仕事をしていないと社会と切り離されていくような気がする、といった、不安や疎外感で感情が安定しないときもありました。今までの私は「仕事」という角度でしか人生を見ていませんでした。私から仕事をとったら何が残るのだろうと思ってしまう程、偏った価値観や考え方を持って生きていました。

そんな私に未来をくれたのが、子どもの存在でした。私の悩みなんて露知らず、大きくなっていく子ども。妊娠4カ月頃、ポコポコっとお腹を蹴られているような感覚を初めて感じました。確かに新しい命が私のお腹の中にいる。そのとき、私にはもう何もいらないと思いました。

この子が無事に産まれて、そして私が死んだ後でもこの子の未来が幸せであること。ただただそれを願う自分がいました。

私は、人が幸せになるためには、その周りの人も幸せであることが必要だと感じています。子どもの幸せのために、この子の周りが幸せな人で溢れたらいいと思い始めました。そうやって考えているうちに行き着いたのが、世界中の子どもの未来のために人生を費やしたいという事でした。

奪い合うのではなくて手を取り合う社会。周囲の人のことを思いやるのが当たり前の社会。そんな世界を死ぬまでに見てみたいと思ったんです。知れば知るほど簡単なことではないし、私ひとりで何とかなるものでも無いという思いで一杯になります。自分の無力さを感じながら、それでもできることを精一杯やる、ただそれだけだと今では思えるようになりました。

自分のためだけに生きるのではなく、自分の子どもを含めた、子どもたちの未来のために生きることが今の私の「人生の目的」です。そのために自分の命をどう使うのかを考えています。もうミスカレーである必要もありません(笑)

「認められたい」を手放してから、なんだか自分の人生を純粋に楽しめるようになった気がします。これからは子どものため、世の中のため、自分の命を使い切る人生ですね。

2015.12.25

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