東京の自然が多く残る町に生まれ育ちました。地元の高校まで進み、将来の進路を考え始めると、ぼんやりとですが企画やマーケティングに関心を抱くようになりました。というか、それこそ幼稚園とか幼いころからその節はありました。たとえばTVを観ていても、番組そのものよりも、演出やセリフの選び方、コマーシャルの手法などを観察しているほうが面白かったんです。テレビや新聞、街中から、面白いことや新しいこと、珍しいものを発見するのが好きでした。「いつかそういう仕事をしたい」、いや、「そういう仕事なら少しは役に立てるのではないか」と思っていたんです。

また、また、自らが考えた成果を残す方法の一つとして、文章を書くことが好きでした。小学生の頃から、作文の宿題が出ると周りの生徒は嫌がる中、僕は書き始めてから10分程度で執筆をしてしまい、書いている間も全く苦痛を感じたことがありませんでした。自らの考えや思いを伝えるために、「言葉」を選んでいく作業が非常に面白く、山ほどある言葉の中から、漢字やひらがな含め、何を選ぼうか考える時間が楽しかったんですね。「自分はこういうことが得意なんだな」と感じ、将来は新聞社やTV局の記者にも憧れを抱くようになりました。

そして、文章を書くことが生業にできたらという考えから、卒業後は大学の文学部に進学を決めました。

しかし、実際に大学で授業を受けてみると、その環境での学びに違和感を感じてしまったんです。「ここで4年間やっていても、何も生まれないな」と思ってしまったんですよね。逆に、自らの関心のある分野で仕事を探し、学外でテレビ局のイベントの雑務等を手伝ってみると、そちらの方がとても充実感があったんです。

ぼんやりと抱いていたマーケティング方面への関心が、確信に変わったような気がしました。なんというかビビっときて、やはりこの環境でなら自分が一番力を発揮できるんじゃないかという思いがありました。

ただ、自らのスキルや知識不足は感じていたため、半年で大学を中退し、広報や販促の分野について学べる専門学校に進学することに決めたんです。進みたい道が決まっているんだから、迷いはありません。働き始めたとき、横並びで入社する誰よりも前に居るべきだと、当たり前のように思っていた。だから力を付ける必要があったんです。

専門学校に入学してみると、大学とは違い、業界の実情に近い部分を学ぶことが出来、基礎の知識を得ることができました。決して華やかな世界ではないことも改めて理解し、ゼロから知識を積んでいきました。

そして、2年間の授業を終えて卒業した後は、今後ITの波が来るだろうと思い、社会人としてITスキルを身につけたいと感じたこともあり、コンピューターを扱う専門学校に、もう2年通いました。

将来の活躍のために何を蓄えるのかを明確に考えて積み上げていく日々でした。

そして迎えた就職活動では、「広告宣伝」という分野はどんな会社にもあり、あまり商材にこだわりは無かったため、自分が商品やブランドを知っており、マーケティング担当として愛することができるような商品を持つ会社を受けようと決めました。

そして、1社目に話を聞いた株式会社モビリティランドという、鈴鹿サーキットの運営を行う、本田技研の子会社に入社を決めました。

話を聞く中で自分が活躍できるんじゃないかという思いを感じたこともあり、他の会社は説明会にも行かなかったんですよね。そんな風に、複数社を天秤にかけない1社だけの就職活動を経て、僕は社会人となりました。天秤に掛けている時間を、鈴鹿を知る時間に使ったのです。