最高の母でなければ、最高の仕事はできない。人の成長に関わるため、生涯現役で走り続ける。
コミュニケーションをベースとした企業研修やワークライフバランスコンサルタント・コーチング事業で起業した仲村さん。ワーキングマザーとして人の成長に関わる仕事で独立した背景とは。お話を伺いました。
仲村 佳栄
なかむら よしえ|人の成長に関わる仕事
2人の子供を持つワーキングマザー。ハウスメーカー・リクルートを経て、2015年Life Gardenを起業し、個人・法人向けのコミュニケーションをベースとした研修と子ども向け教育ビジネスを軸に展開中。
価値観の土台ができたリーダー経験
東京都杉並区に生まれ、3歳から小学校に上がる前までは父親の転勤のためイギリスで過ごしました。数年間のイギリスでの生活でしたが、あまり記憶のない中、先生に言われて通訳を務めた時、自分でも人の役に立つことを経験してとても嬉しく感じたのを覚えています。イギリスではパーティーが盛んだったことも印象的でした。パーティーを企画するプロがいて、子どもたちとゲームをしたり、演劇をしたり。人を楽しませることや、豊かな気持ちにさせる事は素敵だな、と感じました。日本の小学校に入学してからも、困っている子を助けることが好きな性格は変わりませんでしたね。
小児喘息だったこともあり、スイミングに通っていました。やめたいと思うことが何度もありましたが、途中で諦めるのも嫌いで、続けていたら大好きなスポーツに。小学校5年生の時に閉校してやめたのですが、気づいたら学年でもトップクラスになるくらい得意なスポーツになっていました。
中学校に入ると、意欲的な思考が買われて、リーダーシップを取ることが増えていきました。中学2年では、生徒会長、学級委員、ソフトボール部の部長まで数々の役割をこなしました。ものすごく忙しかったですが、暇が嫌いなので充実感はありましたね。これらの経験で、リーダーシップの責任と過酷さを身をもって知る経験ができました。
中学3年の文化祭で、学校の壁面に1万4千個の空き缶で壁画を作ることになり、生徒会長として指揮を執ることになりました。顧問の先生は当時、原爆を題材にすることが多く、壁画のデザインも原爆の恐ろしさを伝える絵を作るように言われました。しかし、文化祭には相応しくないのではないかと思い、生徒会で話し合い、デザインが得意な子が平和をモチーフにしたデザインを上げてくれました。制作も生徒会とは関わりのない番長的存在の男の子が仲間と共に助けてくれ完成させることができました。この壁画は新聞にも掲載されましたが、名前が載るのは自分だけ。「みんなで頑張ったのに」と虚しさを感じました。
先生とは意見が合わず「どうして言う通りにできないのか」と思われていました。「私は先生の奴隷ではない。私は生徒の代表です」と返答したこともあります。何のために自分がやるのか、自分の意見を言わないと責任を果たせない、人の良さや素晴らしさは学力だけで測れるものではない。自分の土台となる価値観ができました。
チームでの成功体験
高校では1つのことに没頭したい、そして新しいことにチャレンジしたいと思い、剣道部に入部しました。顧問の先生からは「克己心」という言葉を学びました。己に克つ心。体力も気力も知力も、自分の限界はここまでと決めているのは自分。稽古の中で限界だと思っても倒れない自分から本当にそうだと感じました。入学当初は初心者でしたが、本気で関東大会を目指していました。
結果的には都大会ベスト16で敗退でしたが、気持ちを一つに戦う心強さ、己の限界を決めないこと、一瞬で決まる勝負への集中力は、全て剣道を通じて教わりました。克己心は勉学でも活きて、短い時間でも集中し、指定校推薦で慶應義塾大学法学部へ進学することができました。法学部を選んだ理由は、これまで感性で生きてきたので、ロジカルな視点を学びたかったからです。
入学当初は衝撃を受けました。頭が良い人は無限にいること、憲法の授業で「東大コンプレックスを持つ必要はない!」という講義が始まったこと。(笑)同学部の8割が、入学してすぐに法曹のダブルスクールに通う環境。
その波に流されたほうがいいのか、同じようにダブルスクールに入るべきかと少し悩みましたが、そもそも自分は、ロジカルな視点を学ぶために法学部を選んだだけ。大学生活は、社会に出る前に様々な経験を積む時期にしたかったので、サークルで剣道を続け、海外旅行や短期留学で視野を広げていきました。自分がどのように生きていきたいのかを考え始め、大好きな食やモノづくりに関わることを学んだり、35歳までのライフキャリアプランを描いたりしましたね。
卒業後は、一度大手ハウスメーカーに就職しましたが、自分が思い描くキャリアを実現できないと思い、1年3カ月で退職。社会人スキルを少しでも早く、結婚出産までに身につけたいと思い、リクルートに転職しました。
未経験からスタートした営業職では、上司、先輩そしてお客様から日々学ぶことが多い刺激的な毎日でした。何よりもお客様のことを考え抜き提案していく、そしてその結果として喜んでもらえることがとても楽しかったです。
1年半経った頃に、当時お付き合いしていた方が名古屋に転勤になった際、会社の厚意で名古屋に異動させてもらいました。しかし、環境は一転。仕事を教えてもらえる環境ではなく、自分が教えるような状況。1年目はもがきながらも最後は2カ月連続MVPをいただくことができました。
その後、営業のリーダーになりましたが、覚悟が足りず、チームは上手く回っていませんでした。ただの個の集まりという状況で、組織調査でも最低ラインの評価に。このままではまずいと、まずはリーダーとしての役割を全うする覚悟を持ち、藁にもすがるような想いで、コーチングの本を読み、一つ一つ実践していきました。
その結果、価値観や方向性の共有が進み、メンバーのスキル向上スピードにも大きな変化が生まれました。気づけば事業内で全国ナンバーワンの成績を上げるチームになっていました。チームを創っていくこと、人の成長や気づきに関与していけることが本当に楽しく、メンバーがMVPを受賞した時は、自分が受賞された時もより何倍も嬉しかったですね。
最高の母でなければ、最高の仕事はできない
営業リーダーや営業企画、代理店渉外等の仕事を経ていく中で、プライベートでは結婚・出産を経験し、ワーキングマザーになりました。本当は会社を退職し、自宅で子育てしながらお仕事をするプランでしたが、まだリクルートで成長したい想いが強く、子供は保育園に預けることにしました。時短勤務でも工夫次第で成果を出せば評価される環境に恵まれましたが、一方で責任とパフォーマンスを求められる年齢になり、正直「出来るのだろうか、子どもたちは大丈夫だろうか」と日々悩み続けていました。
二人目の出産を経て、職場復帰した時の上司も、私が試行錯誤し続けていることを理解した上で、仕事を任せてくれました。「これからはワーキングマザーも面白い仕事をしていくために、視野を広げてパフォーマンスを出せることを示してほしい。」そんな想いを伝えられたこともありました。
保育園のママ友にはもの凄く助けられました。急に仕事で子供を迎えに行かれなくなった時も、代わりにお迎えをしてくれ、そのお家でごはんも食べさせてもらって、お風呂にも入れてもらって。そして、私まで夕飯をごちそうになって帰ることは1度だけではありません。お互いに、助けたり助けられたり。結果、子供たちは沢山のお家にお世話になって育つことができたように思います。
そんなギリギリの状況下で業務をこなしていた際に起こった東日本大震災。一部社員を除いて、自宅待機命令が出た時、職務上私は出社すべき立場でしたが、子どもたちのことを考えて自宅待機を選択しました。みんなの力になれないことがすごく悔しく、報告と合わせて想いをマネジャーにメールしました。
その返信に「最高の母でなければ、最高の仕事はできない」というメールをもらいました。2行の短い連絡でしたが、涙が溢れました。仕事に責任を持ち、母であるという仕事も全うする。働くこと、産むことのどちらかに比重があるのではなく、どちらも100%の責任と覚悟を持つ。今は母である自分を優先しただけ、母でも企業人であってよい。心からそう思えました。
覚悟を持ったことで、目まぐるしく変化する業務の中でも、育児も仕事も諦めずチャレンジすることができました。もちろん辛いこともありました。生産性を高めるだけではカバーできない状況も沢山経験しました。それでも一人ではないから頑張れたし、組織の大切さ、有難さ、難しさを考えるようになりました。
ずっと現役でいるために選択した新しい道
大学時代に考えた35歳までの人生設計は、ほぼその通りに進んでいました。25歳で結婚、28歳までにキャリアを積んで第1子を出産、32歳で第2子を産んで家庭と仕事を両立していく。35歳まではキャリアを積むという計画を立てていたのですが、「それからの人生はどうしよう?」と思い始めました。35歳までしかプランを考えていなかったので、それから3年間は色々と試し、38歳をひとつの決断の時と置きました。
そして、変化を起こすためのひとつの選択として、プロコーチ養成スクールに通い始めました。大好きな「人の成長に関わる仕事」を視野に入れていたこと、これから益々難しくなる子どもとのコミュニケーションに生かせるのではないかと考えたこと。以前、営業マネージメントで業績不振だったときに手に取った本が「コーチング」であり、コーチングが人の変化、組織の変化に活かせることは知っていたことから、本格的に学ぶことを決めました。
スクールに通う中で、自分にも大きな変化がありました。それまで考えていた「成長」という概念が大きく変化したのです。「成長する」「チャレンジする」ことは私のモチベーションの一つ。私がそれまで考えていた「成長」とは、自分ができないことができるようになること。しかし、「成長」とはそれだけではありませんでした。「得意なことを伸ばすこと」も成長。自分の好き得意を伸ばす選択をしてもいいのではないか、と気づきました。思考が変わり視野が広がりましたね。
リクルートでの仕事は刺激もあり、自分の課題点も突きつけられながら、チャレンジし続けられる素晴らしい環境です。しかし、20年後、そしてその先のライフキャリアを思い描いた時、このままリクルートで働くイメージを想い描けませんでした。であれば、今自分の好きなことや得意なことを伸ばし、もっと広く人やチーム、企業に貢献していく道を選択してもよいのではないかと想い、大好きなリクルートを卒業する決意をしました。
生涯現役を目指して走り続けたい
2015年6月にLife Gardenを創業しました。現在は、私自身が大好きな「人の成長に関わる仕事」を主軸にしています。法人・個人向けにコーチング的コミュニケーションをベースにしたセッション、研修、企業サポートを展開。子どもたちの成長に関わるという観点では、子どもたちが日本の文化に触れて、将来グローバルに活躍する際、日本に誇りを持ち活躍する心の軸を提供できればと「子ども向け巻き寿司教室」も運営しています。
今後は大人も自分らしい生き方・働き方を選択して生きることを実現するために、ワークライフバランスコンサルティング事業を展開していきます。少子高齢化の中、労働力確保の観点からも「働く×産む」を、男女ともに自身のライフキャリアプランから考える。そこからのモチベーションの発掘、必要なスキルの装着のための研修、コーチングで企業と個人をサポートしていきたいです。
さらに、子どもが生き抜くために必要な自ら考え、決断し、行動する力。また人と協力する力が身に着くワークショップも実施予定です。大人も子供も未来の可能性は無限大。人の可能性を信じて人の成長・気づきをサポートし、「1+1=無限大」を創造していきたいですね。
生涯現役を目指して、100歳まで自分らしく走り続けたいですね。
※インタビュー:松岡 佑季
2016.05.24