大切な人が、そこにいたいと思える空間づくりを。「想い」から始まる、空間活用プロジェクト。

ソニーにて、長年商品企画に携わってきた田中さん。現在は、Life Space UXの「コンスーマーエクスペリエンスプロデューサー」として、空間そのものを生かしながら新たな体験を創り出す仕事に取り組んでいます。幼い頃から勉強も習い事も、何でも自分でゴールを決めて取り組んできた田中さんが母となった今、目に映るゴールとはいったいどんなものなのでしょう。お話を伺いました。

田中 梢

たなか こずえ|コンスーマーエクスペリエンスプロデューサー(“体験”の企画マーケティング)
ソニー株式会社TS事業準備室 コンスーマーエクスペリエンスプロデューサー兼広報を務める。

※本チャンネルは、Life Space UX(Sony)の提供でお届けしました。


Life Space UX
Life Space UXは、今ある空間をそのままに、新しい体験を創出するコンセプト。
それぞれが心地よく過ごせる大切な場所、それが居住空間。私たちはその空間をもっと快適にするために、空間のあり方そのものを見つめ直し、「LED電球スピーカー」「グラスサウンドスピーカー」「ポータブル超短焦点プロジェクター」など、空間そのものを最大限に生かした製品を提案しています。

目標を決めて取り組んだ新潟時代


新潟県新潟市で生まれ、高校まで地元で過ごしました。子供の頃から、活発なタイプでしたね。幼稚園の時、迎えに来てくれた母に鉄棒の技を見せようとしたら、失敗してアゴを痛烈に打ち、7針も縫う怪我をしてしまって。そのくらい活発というか、おてんばな女の子でした(笑)。幼稚園の運動会ではマーチングの指揮を担当したり、小学校では学級委員を務めたり、友達とワイワイ楽しく活発に過ごしていた、そんな思い出が多いです。

一方、心配性で、何事にも念入りに準備をする癖がありました。通っていた中学校は中間試験がなく、期末試験のみで成績が決まるシステムでした。年に2、3回頑張るだけで結果が残せるので、テストの1ヶ月くらい前から「この日はこの科目をこのページまでやる」とスケジュールを作り、毎日こなしていくんです。気がつくと、目標を立ててちょっとずつこなしていく、ということが好きになっていました。

両親から、勉強しろと言われた記憶は無いのですが、テストが終わった日や、通信簿を持って帰る日には、母が、家でお手製のピザなど豪華なお料理を作って待っていてくれたので、その母を喜ばせたかった、というのはあったのかなと思います。

父は一級建築士で、きっちりしていて厳しい一面もあったのですが、「興味があることは全部やってみるといいよ」と言ってくれていたので、ピアノや吹奏楽、習字や英会話など、小さい頃からいろいろと習わせてもらいました。どれも、自分で目標や計画を立てていましたね。

ただ、目標って、どこかで達成できなくなる瞬間がやってきます。ピアノを始めて10年もすると、自分の能力の限界に気づきます。プロや先生になるほどの実力はない。そんなことが分かってくると「毎週やってるこれは、いったい何のためなんだ?」という気持ちになりますし、「やめたいな」という怠け心が生まれてきちゃうんです。

それでも、「これをやったよね」という成果ができるまでは習い事もやめさせてもらえなかった。そのおかげで、何か結果を出すまでは続ける、という姿勢が自然と身に付いたのかもしれません。

高校で挫折、上京して味わった不安


高校は進学校に入ったので中学時代と同じ程度のちょっとした努力では、勉強についていけなくなってしまいました。それで、落ちこぼれてしまったというか、勉強じゃないところに楽しみを見出すようになったんですね。バイトをしてお金を貯めて、ブランド物を買っておしゃれをしてみたり。たまに新幹線で東京へ行き、渋谷で服を買ったり。センター街を流れ歩いたり、プリクラを撮ってみたり。卒業後のことなど意識せずに過ごす毎日でした。

でも学校は、進学を目指す人が大多数でしたので、3年生になると、いよいよ周りも目の色を変えて勉強し始めます。その雰囲気を感じ取り「私もまた頑張りたい。頑張ればまだキャッチアップできるのかもしれない」と気づくことができました。薬剤師になりたいとか、弁護士になりたいとか、そんな夢を語る友達のことが、すごく素敵に見えたんですね。

その空気の中にいなかったら、軌道修正はできなかったかもしれません。気づくきっかけをくれた環境や友達に、今でもとても感謝しています。

受験勉強をしながらも、東京に出るかどうかは決めかねていました。一緒に過ごしてきた友達たちと離れて暮らすことは想像できなかったので。それと、心配性なので、それまでの生活を大きくは変えたくないとなんとなく思っていたんです。ただ、英語だけは比較的成績が良く、学ぶのが楽しいと思えたので、最終的には、東京にある短大の英文科へ行くことにしました。

東京で暮らし始め、こんなにも自分の知らない世界があるのだと驚きましたね。どの駅も出口が多いし、建物は巨大。人もたくさんいます。新潟にいる時は、市内のことはだいたい分かっていましたし、人間関係も小さな頃から大きくは変わらないので、暮らしの全体像やこれから起こりうる未来を、なんとなく把握できているような感じがありました。

しかし、東京はぜんぜん違うんです。街ごとに雰囲気が違う、集まる人のライフスタイルも違う、こんなに広いとここにいる全員と知り合うことは到底できません。私のことなんて、誰からも見えていないのだろうなと、不安な気持ちを抱きました。

また、短大では周りの英語スキルの高さに驚きました。ペーパーテストでいい点を取っても英語ができるわけじゃないという、新たな壁にぶつかったのです。入学した直後のオリエンテーションから全編英語。外国人の先生が出てきて、君たちは明日からこういうセクションで、こんな授業で、といった説明をするんですけど「私、ここでやっていけるかな」と、初っ端から不安でいっぱいになってしまって。「ああ、新潟にいればよかった。地元の友達に会いたいな」そんな思いで、日々精一杯で過ごしていたのを覚えています。

短大は、入ってすぐ就職活動が始まるので、学校で何かのゴールを目指すというより、就職そのものがゴールだった感じですね。この仕事がしたいとか、この業界に入りたいとか明確なイメージをまだ抱けずにいたので、就活をしながらどんな仕事があるかを学んでいきました。

ですから、本当に幅広い業界の面接を受けましたね。金融、テレビ、アパレル、化粧品関係とか。その中の一つとしてソニーも受けました。東京に残るか新潟に戻るか、という選択にも迷ったのですが、せっかく勇気を出してやってきた東京だったので、こっちでもう少し頑張ってみようと思ったんです。帰るのはいつでもできると思って。

それで、ソニーで働くことに決めました。他にも、迷った企業があったのですが、ソニーは、学歴や性別、年齢を問わず、始めからやりたいことをさせてもらえるという話だったので、その点に惹かれたんです。

企画の根底にあるのは「想い」


できれば、ウォークマンやデジタルカメラなど、自分が身近に感じられる商品の企画をしたいと伝えていたんですけど、配属されたのは、主にビジネスマンがターゲットのPDA(個人向け情報管理ツール)の商品企画でした。

会社の組織構成や商品を作るプロセス、技術用語も分からない状態。日々の打ち合わせで出てくる単語を一つひとつメモして勉強する。そんな風に基礎から学ぶ日々で、最初はあまり仕事を楽しめませんでした。

ですが、販売実習に行ってお客様の声を聞いてから、状況は一変しました。「他社のはここがいいんだよ」とか「ここが使いにくい」「こういう時に使いたいんだ」とか、生の声を聞けて。「こうした声に耳を傾けてその声に応えるものを形にしていくというのが商品企画なんだ」と、初めて企画の楽しさややりがいを実感できたんです。

それからは仕事に意欲的に取り組めるようになった気がします。企画って、技術トレンドや市場動向などの情報分析よりも根幹にある「想い」のほうが大切なんですよね。「こういうユーザーさんにこういうシーンで使ってほしい」とか「こういう問題を解決してあげたい」とか、そういう想いです。

そんな気持ちで仕事に取り組んでいると、次第に、自分がもっと強い想いを持てる商品の企画をやってみたい、家族や友人が身近に使ってくれる商品に携わりたいと思うようになり、携帯電話の商品企画部へ異動させてもらいました。

まだ23,4歳でしたが、スペックやデザイン決めなど、1機種まるごと担当することになりました。通信事業者様への商品提案など含めて、本当に大きな仕事をさせてもらいました。

家族や友人誰もが持っている携帯電話の商品企画ということで、機能一つ決めるのも気合が入りましたね。使ってほしい人たちの顔を思い浮かべながら、一つひとつ丁寧に進めていきました。

企画した商品が街中で使われているのを見ると、思わず小さくガッツポーズしたりしていましたね。例えば、製品化するのに苦労したこだわった色合いのカラーの機種を、想定していたターゲットの人が使っているのを見たりすると、「そう、あなたに使って欲しかった色なの」と熱い視線を送って見つめたりしていました(笑)。

ありがたいことに一機種で多いと100万台以上も出る機種だったので、街で見かけることもすごく多かったんです。その度、次の企画へのやる気が湧いてきました。

やりきった感覚と、次の挑戦


それからも数年間、海外市場向けのスマートフォンやタブレットの企画等を続けていたのですが、30歳くらいになり「企画はもうやりきったかな」と思う時がありました。結婚して、年齢的にも節目を迎えて、もっと女性力を身につけたいと思い始めたんです。取り繕える「女子力」みたいなものではなくて、魅力的な大人が持つ「真の女性力」を身につけたいなと。

マナー講座みたいなものに通い出したんですけど、こういったものを仕事で学ぶなら、秘書がいいかも知れないと思ったんです。それで、希望して、今度は異動して秘書をさせてもらいました。

ここでもすごくいろんなことを学びました。会社の上層部では、日々、ダイナミックな判断がなされていて、自分がそれまで担当していた仕事というのは、その中のほんの一部だったということを認識したりしました。新しい面での、ある種、会社の真髄を見たかな、という感じです。

それを見ているうちに「もう少し私でも何かできないかな」と思い、「コーチング」の資格を取りたいなと思いました。役員をコーチングの技術でサポートすることにより、新しい形で会社への貢献ができるんじゃないか、と思ったんです。その頃、妊娠中だったのですが、大きいお腹を抱えながらコーチングの勉強に通いました。そうしているうちに産休に入り、しばらく会社から離れました。

身近な人がホッとできる空間を


子供が生まれてから、自分の感覚が少しずつ変わってきました。それまでは商品の企画をするということで、「モノ」自体に興味があったのかなと思うんですけど、子供ができてからは、「誰かと一緒に過ごす時間とか空間」のほうに気持ちが向いてきたんですね。それは、家で過ごす時間が多くなった影響かもしれません。

元々は秘書の仕事を復職後も続けていこうと思っていたんですけど、今の感覚を持って商品企画をしたら、それまでとは別の目標を設定できるような気がしました。そこで、居住空間での体験を軸に新しい商品を考えていく「Life Space UX」というコンセプトを掲げる部署に、秘書ではなく商品企画担当として復職させてもらいました。そこで自分がやりたいことを見つけられたらいいな、と思ったんです。

現在の肩書は、「コンスーマーエクスペリエンスプロデューサー」という名前です。変わった肩書きですけど、かんたんに言うと「お客様に届けたい新しい体験を考えるプロデューサー」という意味ですかね。通常の商品企画ではなく、お客様にとっての「新たな体験そのもの」を生み出すことに重きを置いている部署なので、そこを表すためにちょっと変わった名称になっています。

私たちは、「お客様がどこで何をしているか」みたいなことではなくて、その先にある、その時の感情とか、得たい感情、なりたい雰囲気みたいなものを考えます。例えば、だれかと会話をしている時に、「早く相手の心の障壁が下がったら、もっと会話が心地よく進むのに」といったように、その時にありたい価値といいますか、いる場所とかいる人によってその時々で求められる価値ってあるじゃないですか。そういった目に見えない深い部分を考えながら、じゃあそれはどんな技術とマッチングしたら実現できるのかな、と探っていくんです。

また、子供が生まれてから強く思うようになったのですが、友達や家族など身近な人たちが、そこにいてホッとできるとか、そこに帰りたいな、と思える場所。そういう空間を作っていきたいな、と思うようになりました。一人の女性として、母として。そういう、ワーキングマザーだからこその想いを生かしながら、どんな時間を過ごす場所にしたいか、空間をどう変えたいか、そのために何ができるかを考え、その作りたい空間に、ソニーの技術が生かせるならうまく生かしたい、と思うんですね。

Life Space UXでどんな体験を生み出したいかを考えていると、子供はもちろん、夫や両親、友達など、私にとって大事な人たちに、深く「想い」を巡らせて、とってもやさしい気持ちになれます。きっと、今度のゴールにたどり着いた時には、これまでよりずっと多くの人たちが私のそばで笑顔になってくれる、そんな気がするんですよね。

2016.08.05

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