クラブから教わった、人生の哲学。1人でも多くの人に、スタジアムの熱狂を。

浦和レッズが大好きで、人生の哲学をレッズから教わったという増田さん。新卒で外資系のコンサルに入社した増田さんが、憧れのクラブで働くチャンスをものにするまでに、何があったのでしょうか?お話をお伺いしました。

増田 啓介

ますだ けいすけ|サッカークラブ勤務
浦和レッドダイヤモンズ株式会社勤務。

浦和レッズとの出会い


東京都大田区で生まれ育ちました。

小さい頃から、父親に厳しく育てられました。約束は守る、人にしてもらったことを返す。ここまでやらないといけないのかと思うぐらい、本当に厳しかったですね。

小学校2年生の時に、Jリーグが始まりました。みんな三浦カズさんが大好きで、僕もJリーグにハマりました。小1の頃から野球をやっていたのが、小3の頃にはサッカーになりました。当時は特定のチームのファンではなかったですが、Jリーグが好きでテレビにかじりついて見ていましたね。部員が11人ぎりぎりの小さなサッカー部でしたが、中学でもサッカーを続けました。

中学の部活を引退した後、母親の友人に初めて連れて行ってもらった浦和レッズの試合で衝撃をうけました。何度かJリーグの試合に行ったことはありましたが、浦和駒場スタジアムに行って「こんなにすごい所があるんだ」と感じましたね。2万人収容の大きくはないスタジアムでしたが、スタジアム全体が持っている熱に圧倒されました。何回か連れて行ってもらって、次第に自分一人で見に行くようになりました。

受験に縛られるよりも自由に過ごしてほしいという親の考えもあって、高校は慶應大学付属の慶應義塾高校に進学しました。大学付属の高校にいくつか合格した中から、家からの近さや雰囲気で決めました。ひとつのことに偏ってのめり込む、いわゆるぶっ飛んだ人が多くて、面白かったですね。

僕自身も、好きなことはとことんやるものの、嫌いなことは一切やらない性格でした。学校の成績も、数学はクラスで一番、古文はクラスで最下位、と極端でした。数学と英語が特に好きで、自分から親に頼んでハワイとイギリスに短期留学に行かせてもらいました。

高校では、サッカーを辞めてゴルフ部に入りました。そんなに運動神経も良くない方で体も大きくなかったので、サッカーでやっていくのは厳しいかな、と思っていました。高1の頃は、これといったものがなく、フワフワしているような状況でした。そういう中で、レッズの試合に頻繁に行くようになり、自分が情熱的になれる場所を見つけた、という感じでした。

自分の力をつけるための選択


高校の頃は将来について何も考えていませんでした。特に何かやりたいことがあった訳ではなく、付属高校出身の「定番ルート」の経済学部に進みました。

大学に入って、高校の時より全然勉強するようになりました。経済学が好きになり、経済学の専門書から新書にいたるまで読み漁りました。

大学3、4年生の時のゼミも大きかったですね。 島田晴雄先生の元で労働経済学を学びましたが、島田先生は現場を大事にする方でした。国防のテーマでは潜水艦を見学したり、廃棄物のテーマがあれば廃棄物の会社に行ったりゴミ収集をしたり、国際のテーマでは海外の学生と一緒に合宿をしたり。論文を年間5〜6本書きました。付属高以外から大学に入ってきた人と知り合うことができたこともあって、得るものが多かったですね。

そんな中でもレッズの試合は、ほぼ全試合見に行っていました。スタジアムに通っていると段々、「毎試合行くのが当然」みたいな気分になっていくんですよね(笑)。海外や地方の試合も行ってました。場所の近さや遠さは問題ではなく、単純にレッズの試合がある場所に行く、という感覚です。ユニフォームだけを持って、行って、試合を観て、観光もせずに帰る。

大学の後半になると、スタジアムの中での知り合いがかなり増えていましたね。試合が終わると、毎回同じ仲間で集まってお酒を飲んでその日の試合を振り返って、また月曜日が来る、という感じでした。

就職活動の時は、外資系のコンサルを中心に考えていました。インターンで自分に合っていると感じたのと、あまり長期的にコツコツやる性格ではないので、短期的にハードに働いて自分のベースをつくれるところという基準でした。

将来的に、浦和レッズで働きたいという気持ちは持っていましたが、新卒で直接入ろうとは思いませんでしたね。レッズに新卒採用はありませんし、新卒でサッカー業界に入っても、自分の力がないとそのまま埋もれちゃうだろうなと。次のステップとして自分のやりたいことをやるのも、まずは自分のベースを作ってから、と考えていました。

選考を受けていく中でご縁のあった、アクセンチュアに入りました。

激務の中でも試合に行く。海外にもない、スタジアムの熱。


仕事はめちゃくちゃ楽しかったですね。月何百万円というコンサルフィーを払うお客さんの目は厳しいし、労働時間もものすごく長い。そういうきつい中で、結果を出した時に得られるお客さんの信頼や、クライアントの会社の業務が提案通り改善されて目に見えて出てくる結果に面白さを感じました。

周りの人も優秀で学ぶ所が多くて、自由で型にはまらない人が多いところも面白かったですね。

仕事は忙しかったですが、レッズの試合には変わらず通っていました。毎日夜中3時まで働いて朝9時に出勤する毎日が続く中で、全試合行った年もあります。土曜日の朝まで徹夜で働いて、そのまま新幹線に乗って地方の試合を見に行く。1日だけ有休を取って韓国まで応援に行って、翌日そのまま羽田から出勤する。そんな生活でした。

在職中、イギリスに約半年間、UAEに約3ヶ月間の海外出張に行きましたが、滞在中は毎週の様に現地のサッカーの試合を見に行っていました。マンチェスターユナイテッド、アーセナル、チェルシー、バイエルン、ドルトムントなどのスタジアムに行きましたが、満員の埼玉スタジアムの雰囲気に勝るスタジアムは、ほとんどありません。スタンドから生まれてくる熱が全然違うんです。

高校の時に快く語学留学や英語の塾に行かせてくれた親のおかげで、貴重な海外での経験を得ることができました。

準備して力を蓄えて、チャンスをものにする


アクセンチュア時代は、中途半端に2〜3年コンサルをやって辞めるのではなく、どうせやるのであればマネージャーに昇進してプロジェクトを自分である程度回せるようになるまでは頑張ろうと考えていました。その中で、もしチャンスが来れば、サッカーの仕事をしたい。そう思いながら仕事をして、上司や同僚の強力なサポートもあって、入社して6年でマネージャーになりました。

ちょうどその頃に、浦和レッズのサポーターによる差別的横断幕の問題が起きました。公式戦1試合が無観客試合に、その後もスタジアムでの旗や横断幕は一切禁止になりました。浦和レッズといえども、インパクトは大きく、スタジアムは以前のような熱狂を失いかけていました。

コンサルタントとしてやってきた経験を活かして、微力ながらもクラブに対して出来ることがないだろうか。 どうやって再び同じ問題が起きない様にしながらスタジアムの盛り上がりを回復させていくかというテーマで、20ページぐらいの提案資料を自分で作り、クラブのスタッフに送りました。

資料を送ったあと、クラブの社長から呼ばれて、提案内容についてプレゼンをしました。その流れで、浦和レッズのスタッフとして働くチャンスをいただきました。嬉しかったですね。 チャンスはいつ来るか分からない。1日1日、できることを増やしていく。日々の積み重ねに、無駄なものは何もない。そう信じて、いつ来るか分からないチャンスをものにするために、常に準備をして力を蓄えておこうと考えていたのが、よかったですね。アクセンチュアの厳しくも個性的な環境の中でコンサルをやっていたからこそ、自分からアクションを起こし提案をすることができました。

仕事は大好きでしたし、自由な社風も自分に向いていると思っていたので、頭の片隅でコンサルの仕事に未練がなかった訳ではありませんが、自分が行きたい道に行こう、とチャレンジすることに決めました。上司や同僚含めて周囲も、そんな自分のチャレンジを受け入れ、背中を押してくれました。

基本的に、後悔をするのが大嫌いなんです。チャレンジをしないのが一番の失敗ですから。無鉄砲な決断でしたが、妻も理解を示してくれて、ありがたかったですね。

クラブから教わった哲学。浦和からサッカー文化をつくっていく。


現在は、レッズでの仕事が楽しくて毎日充実していますね。レッズのエンブレムを身に着けて仕事ができることを本当に誇りに思うと同時に、多くの方の思いを背負っている責任も感じています。こうやって好きなことを仕事にできたのは、自分一人の力ではありません。今までお世話になった方々に本当に感謝しています。

コンサルでやっていたようなデータの分析・施策の検討から、サポーターミーティングの実施、試合時のブースの設営・運営、チラシの作成まで業務範囲は広いです。今は、ファンコミュニティ部という部署に所属し、ファン・サポーターの方の意見を伺いながら、皆さんにどうやって楽しんでもらうか、どうやってスタジアムに足を運んでもらうか、を考えています。

2006年、2007年頃は毎試合のように埼玉スタジアムが6万人のファン・サポーターの盛り上がりですごかったのですが、2015年はチャンピオンシップのガンバ大阪戦でも、来場者はスタジアムのキャパシティの3分の2の4万人にとどまりました。世界の中でも他に類を見ない、最高の雰囲気の埼玉スタジアムを、少しずつ取り戻したいと思っています。

また、スタジアムに来なくても、街の人が皆、レッズの試合結果を気にするような文化を創っていけたらとも、考えています。好きなクラブが試合に勝つと嬉しいし、負けると落ち込む。試合のある週末が、待ち遠しくなる。そんな空気を日本中で醸成したい、自分が味わっていた思いをより多くの人に感じてもらいたいと思います。

個人としてはスペシャルな人間でありたいですね。「これなら増田さん」というような武器を持って、役に立てるといいですね。

浦和レッズの選手・サポーターは、0対3で負けている後半ロスタイムでも、決して諦めません。試合が終わる笛を聞くまで、強い気持ちを持って全力で戦います。僕も諦めるのがとにかく嫌いですし、何をするにも「気持ち」が一番大切だと思っています。

何事も真剣に。目の前のことに対して情熱を持って取り組む。気持ちを前面に出して最後までやりきる。レッズを応援しているうちに、そういう哲学が培われてきた様にも思います。

スタジアムでは、さまざまなバックグラウンドの人たちが同じ方向を見て楽しめるのも、素晴らしいなと思いますね。

サポーターからスタッフへと立場は変わりましたが、浦和レッズへの思いは変わりません。真っ赤な情熱を胸に、浦和レッズの為に全力で頑張っていきます。

2016.02.26

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