大阪で生まれました。長男です。両親は二人とも長崎県小値賀町の大島出身で、子どもの頃は夏休みを大島で過ごしました。毎年6月頃になると、「皆に会える、早く大島に帰りたい」といつもそわそわしちゃって。一人で電車と船を乗り継いで、大島に行っていました。

親父の親族は皆出稼ぎのため島から出ていましたが、夏休みは親族の子どもたちが帰ってきて一緒に過ごすんです。牛小屋の屋根裏を基地にしたり、花火をしたり、子どもだけの自由が本当にたまらなかったですね。

うちは、昔の家父長的な家族でした。工務店を経営していた親父は、本当に怖かったですね。お風呂は親父が一番最初、ご飯も親父が帰ってくるまでは誰も食べられませんでした。

子どもの頃、僕が他の子どもたちと喧嘩をして、警察に連れていかれたことがありました。少林寺憲法を習っていて、喧嘩はするなという教えを破ったことになるんですが、この時の親父はすごかった。警察に迎えにくるやいなや、鬼のような剣幕で、僕を思い切り突き飛ばしたんです。

僕の体は吹っ飛び、口の中も血だらけ。思わず警察が止めに入るくらいで、「お前何しに道場いっとんじゃー!」と怒鳴り出して。本当に死ぬんじゃないかと思いましたね。

親父は島から大阪に出て苦労してきた人なので、自分にも人にも厳しかったんだと思います。親父は18歳で島を出て、他の兄弟たちはそれを追いかけてくる形で、大阪で一緒に住み始めました。子どもの頃から、親族が「今月は実家にいくら送る」とか仕送りの話をしていたのを聞いていました。家族が大島の実家に仕送りをするのが、当たり前の環境で育ったんです。

そういう背景があるから、僕は高校を卒業しても大学にはいかないだろうと思っていました。周りの友達は大半が大学進学を考えていたんですが、僕はお金払ってまで大学で学ぶ価値はないと自分に言い聞かせていました。本当は大学に行って、将来母校と呼んでみたいと思ってたんですが、親や周囲には悟られないようにしていました。


手に職をつけようと思い、高校卒業後はプログラミングや情報処理のスキルが身につく専門学校に入学。アルバイトをしながら学費を払って、勉強しました。

でも、値段相応というか、授業の質は低く、誰も真剣に学んでいませんでした。僕もやる気が出ないまま資格も取れず、情報処理技術者の道は諦めました。