誰でも気軽に留学できる環境づくりを。田舎から世界に飛び出した僕が感じたこと。

オンラインで世界中の語学学校を予約できる「uboook(ユーブック)」、TOEICコース専門でフィリピンの留学先を紹介する「8weeks(エイトウィークス)」など、留学に関わる事業を展開する田中さん。高校卒業後、地元の造船所で工場勤務をしていた時に、海外に飛び出すことを決めたきっかけとは?地方から世界に飛び出した田中さんにお話を伺いました。

田中 彰太

たなか しょうた|留学に行く日本人を増やすサービスの運営
「uboook」「8weeks」等を運営する株式会社ブルードの代表取締役CEOを務める。

周りと同じように地元企業に就職し、遊んで暮らす


私は山口県下関市で生まれました。小学生の頃にソフトボールを始め、すぐにプロ野球選手を目指すようになりました。中学ではクラブチームに入り、高校も野球の名門校に進学し、地元の学校ながら寮生活を始めたんです。

高校2年生の時には、地区大会の決勝まで進み、あと一歩で甲子園というところまでいきました。ただ、次第に実力の限界を感じるようにもなっていました。たとえ自分が大学でも野球を続けてプロになれたとしても、二軍止まりだろうと。また、今でさえきつい練習を、大学でも続けるのはちょっと厳しいと感じていました。

そこで、3年生の夏の大会を最後に野球を辞めることにしたんです。そして、進学する人はほとんどいない高校だったこともあり、私も地元の造船所に就職しました。毎日工場で溶接の仕事をして、残業がなければ5時に上がれます。その後は、とにかく遊び歩いていましたね。

しかし、1年半ほども同じことを繰り返す生活をしていると、飽きてしまうんですよね。いったい自分の夢は何なんだろうって。

また、職場では残業代を稼ぐためにわざと時間をかけて仕事をする人も多くいました。私は仕事自体は楽しいし、効率を上げて誰よりも早く終わらせようとするのですが、周りからは反感を買っていました。上長からでさえ、今よりも工程が短くて済むことが分かってしまうと、他の仕事もしなければいけなくなると怒られるんです。一所懸命仕事をする人が報われない職場環境に納得がいかず、不満を持っていました。

「自分にもできるかもしれない」と経営者になることを決める


そこで、次第に自分の夢を探すようになりました。造船所では海外向けの営業の仕事もあり、スーツを着て英語を話す姿に憧れ、まずは営業職を目指し始めました。

ただ、そのためには英語が必要でした。また、夢を探すために経営者の本を読もうと思い、初めて手にとった本に「これからの時代はコンピューターと英語だ」と書かれていて、すぐにパソコンを買い、英会話学校にも通い始めました。

英会話学校では、留学を経験している人もいて衝撃を受けました。片田舎で暮らしていた私には、留学なんて無縁の世界だったので、悔しい気持ちもありました。ただ、留学に行きたいと思いつつも、地元から出ることが怖くて中々踏み出せずにいました。

そんな時、孫正義さんの自伝を読みました。今に至るまでのストーリーを知った時に、すごいと思ったと同時に、「自分でもできるかもしれない」と思ったんですよね。彼も九州の田舎出身だったので、努力次第でなんとでもなると思えたんです。

そして、自分も経営者になることを決意し、同じカリフォルニアに留学したら何かが変わると思い、留学も決心できたんです。本を読んだ次の日には留学エージェントに行き、その場でアメリカの短期大学への留学手続きをしました。

ただ、実際の留学までは1年以上時間があったので、まずは海外に行く練習をしようと、オーストラリアにひとり旅に行きました。初めての海外は、最高でしたね。英語が話せずに悔しい思いもしましたが、それでも世界中の人と話して、世の中の広さを実感できたんです。自分と同じくらいの年齢でも世界を飛び回っている人がいることを知り、早く留学に行きたいと気持ちは高まっていきました。

留学・ベンチャー企業を経ての起業


そして、3年ほど働いた造船所を辞め、留学生活が始まりました。アメリカには多様な価値観を持つ人がいて、それまで日本教えられてきた価値観はあたりまえではなかったと実感しましたね。

特に野球部時代には、個を捨てて集団を大切にするようにと徹底して言われていました。しかし、人種のるつぼであるアメリカでは、一人ひとりがそれぞれの価値観を持ち、その価値観を受け入れ合うことで社会が成り立っている状態を見て、「自分の価値観」を持たなければやっていけないと感じたんです。

勉強は苦手だったので大学の授業はかなり大変でしたが、なんとか2年半ほどで単位を取り終えることができました。そして卒業後は、日本に帰ることにしました。日本で事業を起こし、盛り上げたいと思ったんです。大学でビジネスを学んでいる時、日本のケーススタディーは全く出てきませんでした。「日本はもう終わった」と言われ、中国や韓国の事例ばかり出てきて、それが悔しかったんです。

日本に帰ってきてからは、起業するための力をつけようと、ベンチャー企業で働くことにしました。初めは契約社員として求人媒体の営業をすることになりました。完全成果報酬で、「自分で採算が取れるようになったら正社員にする」と言われ、テレアポから始まったんです。

数をこなせば「量が質に変わる」と信じていたので、毎日200件以上電話しましたね。正直かなり辛かったのですが、ここでダメだったら自分の人生は終わりだと思っていたので、辞めるわけにはいきませんでした。

半年ほどすると成果を出せるようになり、営業だけでなく新規事業の立ち上げにも携わるようになりました。仮想通貨やホテルの当日予約サービス、フラッシュマーケティング事業などを作りました。しかし、どれも上手く立ち上げることができませんでした。

そして、新規事業は中断して既存事業に注力することになりました。ただ、個人的には、既存事業での営業はある程度のところまでやりきった感覚がありました。そこで、これは良いタイミングだと思い、2年半ほど働いた会社を辞めて、2012年に独立することにしたんです。

気持ちを込めることのできる事業は留学だった


そして、市場が伸びることが明らかだった、スマートフォン向けWEBサイト制作事業を始めました。ただ、私は営業で案件は受注できたのですが、開発チームをうまく作ることができず、案件はあるものの開発が追いつかず、すぐに事業をたたむことにしました。

ビジネスチャンスがあるからといって、思い入れのない事業をやってはダメだと痛感しましたね。大変な時に、踏ん張れないんです。そして、改めて自分はどんな課題に取り組みたいか振り返って考えた時、留学に関わることに取り組みたいと思ったんです。

私自身留学に行くことで大きく人生は変わりました、しかし、日本ではまだまだ英語を喋れる人も少なく、その分海外を遠くに感じている人が多いんです。日本が世界で認められるようになるためには、海外と日本の架け橋になるような存在が必要。そのために、まずは留学に行く人を増やせたらと思ったんです。

そして、4ヶ月ほど留学を斡旋する会社で働き、日本人が留学にハードルだと感じているのは、「費用」と「勇気」であることが分かってきました。そこで、まずは費用の壁を下げるため、自ら格安で留学を斡旋するエージェントを作ることにしました。

そして、語学学校と提携するために、アメリカに行き学校を回ることにしたんです。学校からは、「メールで契約すればいいのに」と驚かれましたね。(笑)それでも、日本と他の国の留学生の違いに関してヒアリングしていきました。

すると、「アジア圏からは、オンライン予約が少ない」と教えてもらいました。世界では、留学に行くのに対面のエージェントを通すのではなく、オンラインの予約サイトで申し込む人が多かったのです。そして、対面でなければ人件費を下げて安価に経営でき、結果として安く留学に行ってもらうことができると確信を持つことができました。

日本人が国際人としての自信をつけられるように


そこで、2013年、世界中にある語学学校の予約をWEB上で完結できる留学予約サイト「uboook(ユーブック)」を立ち上げることにしたんです。留学を考えている人からの相談などは、メールやチャットでできます。

人も、店舗も、運営費も最小限に抑えられ、語学学校からの紹介料だけで経営ができるので、留学希望者からはお金は一切もらっていません。むしろ、留学に行く費用を抑えてもらうために、「留学応援金」をこちらから出しています。

また、他にもTOEICの勉強に特化したフィリピン留学専門の紹介サービス「8weeks(エイトウィークス)」も運営しています。今後は「TOEFL対策」「IELTS対策」など、目的別で留学先を選べるようにしていけたらと思います。さらに、将来的には留学の費用を下げるために、現地での生活や航空券のサポートをしたりと、様々なジャンルに展開していきたいと考えています。

個人的には、特に地方に住む人に情報を届けていきたいですね。私自身、田舎に生まれたことで、世界に出られるような人間じゃないとコンプレックスを持っていました。でも、留学って、実際に行ってしまえば大したことではないんですよね。そのため、最近では出張カウンセリングをしに、地方に行くようにもしています。

そして、様々な事業を通じて、日本から留学に行く人の数を何倍にも増やせたらと思います。ただ、日本から出ていくだけでなく、日本に来る外国人の数も増やしたいと考え、将来的にはインバウンド事業にも進出したいと考えています。日本がシンガポールのような国際都市になることで、日本人に国際的な感覚が身につくのではないかと。

私自身、サンフランシスコにいた時に、人種や住んでいる地域に関係なく、みんなひとりの「地球人」であることを感じていました。その感覚を持てることが、平和な世界や、一人ひとりが豊かに生きる社会に繋がっていくと思うんです。

これからも日本人が世界中の人と触れ合う機会を作れるよう様々な事業を立ち上げていき、経営者としての道を歩んでいきます。

2015.06.30

ライフストーリーをさがす
fbtw

お気に入りを利用するにはログインしてください

another life.にログイン(無料)すると、お気に入りの記事を保存して、マイページからいつでも見ることができます。

※携帯電話キャリアのアドレスの場合メールが届かない場合がございます

感想メッセージはanother life.編集部で確認いたします。掲載者の方に内容をお伝えする場合もございます。誹謗中傷や営業、勧誘、個人への問い合わせ等はお送りいたしませんのでご了承ください。また、返信をお約束するものでもございません。

共感や応援の気持ちをSNSでシェアしませんか?