自分の好奇心を満たせるからこそ続けられる。 人の自己実現を加速させるコミュニティ作り。

問いでつながるコミュニティ「議論メシ」を運営する黒田さん。新卒で入ったマーケティング会社から、経営者、キャリアコンサルタント、ディスカッションパートナー、コミュニティ運営と、さまざまな仕事を経験してきました。キャリアの転換を通して見えたこととは?お話を伺いました。

黒田 悠介

くろだ ゆうすけ|「議論メシ」主宰、ディスカッションパートナー
1985年生まれ。東京大学文学部卒業後、ベンチャー企業2社を経て2011年に起業。13年からスローガン株式会社でキャリアカウンセラーとして数百人の就活生と対話。15年、フリーランスになりディスカッションパートナーとして約100社を支援。17年、「FreelanceNow」「議論メシ」というコミュニティを発足。著書は『ライフピボット 縦横無尽に未来を描く 人生100年時代の転身術』(インプレス)。

屁理屈をこねては大人を困らせていた


東京都練馬区で生まれました。3歳下の弟と、銀行員の両親の4人家族です。家の本棚には、父の趣味で『Newton』のような科学雑誌や科学系の書籍シリーズが並んでいました。父が好きだった本を、小学生の時から読んでいましたね。

そうしてインプットした知識をもとに自分の頭の中で考えたことを、人に伝えるのが好きでした。自分としては議論をふっかけているつもりはないんですが、それでよく先生や大人を困らせて「また屁理屈をこねる」と言われていました。全然可愛くない子どもでしたね(笑)。

中学校への進学では、受験をしました。数学や理科は得意でしたが、社会や国語が破滅的にズタボロで。第一志望の中学校には入れず、都内の中高一貫の男子校に、最下層の成績で入りました。

1年生の最初のテストでも、下から数えた方が早いくらいの順位でした。でも、物理だけは100点。すると、先生がそのことを褒めてくれたんです。

ちゃんと褒めてくれたことが、すごくうれしかった。それならもう少しがんばってみようかなと勉強してみたら、そこから学年トップの成績が維持できるようになりました。人から褒められたり認められたりするのがただうれしくて、それがモチベーションになっていましたね。

初めて自分の意思で決めたこと


進路を考える時期になると、学校や東大出身の父に勧められて、東京大学の理科一類に進むことにしました。自分で進路を決めたというより、周りの期待もあり自然な流れで。そういうものだと思いながら受験をしたので、そこに強い自分の意思はありませんでした。

大学に入学してからは、それまですごく興味のあった素粒子や分子に関する研究をしていました。でも学んでいくうちに、この研究を突き詰めていったとして、それが実際に日の目を見て社会で役立つのは一体いつになるのだろうと感じるようになって。机上の学びではなく、世の中ですぐに活用できる学びは何か。そう考えたときに、人間の脳や心の仕組みを理解する心理学に興味を持ちました。どんなビジネスやサービスも、そこに人間が関わっている以上、心理学が活かせると思ったのです。2年間学んだ後、転入をすることに。そのとき初めて自分の意思で進路を決めました。

心理学のゼミでは、友人と議論したり、最新の研究を調べて自分なりの論を組み立てたりすることがすごく楽しかったです。ゼミの教授や両親からは研究者の道に進むとばかり思われていたのですが、一度社会に出てリアルな現場で、心理学を活かしてみたいという思いもありました。

そこで大学卒業後は、マーケティング系のベンチャー企業に就職することにしました。例えば、店頭で「誰がどういう物をなぜ買ったか」をリサーチして、生活者の行動や気持ちを集めてデータ化し、企業のマーケティングに活かす提案をする会社です。大学の実験室では扱えなかった、生身の人間のデータを扱えたら楽しそうだなと思っていました。

入社してからは、リサーチ部署でさまざまな企業の商品開発や販促支援のためのリサーチを請け負い、データ分析の仕方などを学びました。やりたいことが叶ったのですが、半年後に新規事業の部署に異動することに。クチコミを使って商品などの感想を広める新しいサービスの立ち上げに、2年間携わりました。

社員が100人程度の会社で働く中で次第に感じるようになったのは、それぞれの部署でやっている業務の全体感が把握しにくく、社内の調整をスピーディーに進めらないもどかしさでした。

そこで、もう少し小規模な企業でチャレンジしてみたいと思い、社員が10人ほどのベンチャー企業に転職することにしました。

すると数ヶ月後、その会社が新規事業を立ち上げるために子会社を作ることになり、代表取締役社長をしてみないかと声がかかったんです。経営者になるなんて想像したこともなかったのですが、自分が成長できる貴重な機会だと思って引き受けることにしました。

“自己成長”から“社会貢献”へ


26歳で会社を経営する立場になり、失敗をしながら多くのことを学びました。社員との信頼関係を築き、行動や態度の変容を起こすためには、対話が重要だということを知れたのは大きな経験でしたね。

当初は、目の前のビジネスをどう成功させるか、自分がいかに成長するか、そうしたことに強烈なフォーカスを当てていました。でも続けるうちに、徐々に経営者という仕事が自分にフィットしていないのではと感じ始めたんです。

例えば、さまざまな経営者と食事会や面会をする機会が頻繁にあったのですが、みんな前向きな意味での野心がすごく強いんですね。「社員を増やして」「売り上げを伸ばして」「会社をもっと大きくして」......。そうした話を聞いて素直にすごいと思いながら、自分もそれに向けてがんばろうという気にはなれなくて。それが本当に今、自分がやりたいことではないと気づいたんです。

一方で大きな関心事は、若くて優秀な人材がベンチャー企業に入ってこないことでした。そういう人たちは、みんなすでに仕組みが出来上がっている大企業に行ってしまう。でもこれから伸びる産業に、若くて優秀な人材が入ってくれば、もっと社会は面白くなるんじゃないかと思っていました。他の会社の経営者と話していてもやはり同じことを感じている人が多く、これは何とかすべき社会課題だと思いました。

このとき、自分がいかに成長するかということより、そうした社会課題をどう解決するかに、関心のベクトルが変わったんです。

経営者としての仕事を突き詰めて上に登っていくのではなく、自分が感じた社会課題など、その時々の関心に従っていろいろなことをやってみたくなりました。そのためには、もっと身軽でいたいなと。社員を抱えて意思決定をするとなると、「この人たちを路頭に迷わすわけはいかない」と、守りに入ってしまうことも多かったんです。だからこそ、経営者というポジションを手放そうと決めました。

2年ほど会社を経営した後、人材系の会社に転職することに。代表との面接で、まさに自分が課題に感じていた“人の才能の最適配置”を目指すというビジョンに共感し、入社することにしたのです。自分が若い人材とベンチャー企業をつなぐ存在になることで、両者のサポートができればと思いました。

人体実験としてフリーランスに


新しい会社では、キャリアコンサルタントとして、就活生にベンチャー企業で働く選択肢を伝える仕事をしていました。未経験でしたが、それまで複数の会社を経験してきたので、どんな質問を受けても相談に乗ることができましたね。

ただ、一つだけ答えられなかったこと。それは「フリーランスってどうですか?」という質問でした。本やメディアで調べてみたのですが、「めっちゃ大変」と言っている人もいれば「めっちゃ楽しい」と言っている人もいて、いまいちよくわからなかったんです。「なんか大変そうだよね」とかお茶を濁したりしていましたが、やはり一度自分の体を使って経験してみないとわからないなと思ったんです。あらゆる職業について自分の言葉で伝えられるキャリアコンサルタントになるために、フリーランスになろうと決めました。

独立後は、フリーランスについて研究しながら情報発信をすることを仕事にしようと考えていたのですが、最初は仕事がなくて苦労しかなかったですね。

なにせ営業をしたくなかったんです。新卒当時に営業をしたときも、本当に全然だめで。営業しないで仕事を取るには、セルフブランディングをするしかないと思いました。「◯◯のことなら黒田さん!」という存在になれば、仕事が来るだろうと考えたのです。

それで「フリーランス研究家」という肩書きを名乗ったのですが、甘い考えでした(笑)。そもそもユニークな肩書きを作ったところで、それを知ってもらわないと意味がないわけで。数カ月間は月の売り上げが1万円台の状態が続きました。しんどかったです。

仕事がなくて暇だったので、とにかくいろんな人に会ってみようと、ビジネスマッチングアプリを使って、毎日3〜4人ほど初対面の方と話をすることにしました。例えばランチをしながら、相手の事業についてディスカッションをして課題解決をする。そこに報酬は発生しないのですが、それを続けた結果、「あの人とディスカッションするとなんか面白いよ」「事業のことを一緒に考えてくれるよ」といった噂が広がり、少しずつ認知してくれる人が増えたんです。

そして徐々にクチコミが広がると、報酬を支払うのでディスカッションの相手になってほしいと依頼が入るように。それからは、「ディスカッションパートナー」という肩書きで仕事をすることにしました。簡単に言うと、経営者や新規事業リーダーの相談役。依頼者の壁打ち相手としてディスカッションをすることで、相手が次にすべきアクションを導き出す仕事です。

議論をすることが幼い頃から好きでしたし、経営者やキャリアコンサルタントをしてきた経験も、引き出しとして役立ちました。自分の得意なことで、相手に発見やヒントを与えられる仕事となったのです。独立してから半年後、ようやく数珠つなぎで依頼が来るようになりました。

さまざまな人との対話を通してわかったのは、もらう報酬以上の価値を提供するつもりで相手と対峙することの大切さです。自分が相手に「何を与えられるだろう」「どんなお土産を持って帰ってもらえるだろう」と考えながら話すことで、相手が喜んだり感動してくれたりする。そこで、払ったお金に対してプラスアルファの価値を受け取ったと感じてくれた人は、「じゃあ今度◯◯さんが起業するらしいので紹介しますよ」などと言ってくれるようになり、次のつながりが生まれるんです。

最初はとにかく人に会おうと思って始めたことでしたが、試行錯誤するうちに、人とのネットワークの構築の仕方を学ぶことができました。

“社会貢献”から“目の前の個人のため”に


いずれキャリアコンサルタントをしていた会社に戻るつもりでフリーランスになったのですが、想像以上にその仕事がしっくりきている自分がいました。そして、フリーランスとして仕事を続ける中で気づいたのは、面白いことをしているフリーランスの人ほど、一人で頑張っていないということ。何かしらのコミュニティを持っていて、メンバー同士でサポートし合いながら、うまく活動している人が多いんです。

そこで今度は、自分でも何かコミュニティを作ってみようと、エンジニアやデザイナーなどフリーランスが集まる「FreelanceNow」というコミュニティを立ち上げました。仕事を依頼したい企業と、仕事を請け負うフリーランスのメンバーのマッチングをメインとする場です。

そのコミュニティを運営しながら、ディスカッションパートナーの仕事も順調に進めていく中で、一つの課題を感じました。それは、一対一で議論をするだけでは、アイデアの広がりや深まりに限界があるということです。

あるディスカッションで、専門知識がないとわからない難しい相談を受けたことがありました。そのときに一対一では議論が思うように進まず、試しに専門家を呼んで3人でやってみると、議論がどんどん盛り上がったのです。

そこからは、さまざまなゲストを呼び、いろいろな人がごちゃ混ぜの状態で、議論の場を設けるようになりました。すると、本質的で新しいアイデアが飛び交うだけでなく、参加者同士の出会いが次々と生まれていくのを目の当たりにしたんです。“議論”というものに人を繋ぐ力があることを知り、その面白さを確信した瞬間、ワクワク感が止まりませんでした。この感覚をもっとたくさんの人と共有したい。そう思い、議論でつながる場として、「議論メシ」というコミュニティを作りました。

議論メシの活動は、毎月数回メンバーが立てた“問い”のもとに集まって議論をするのがメインです。「趣味のロボットプログラミングを事業にするには?」「新しい仕事をするにあたってどんな肩書きが良い?」「どんな社会科なら小中高生がワクワクして学んでくれる?」など、自分ごとの問いであれば、テーマは何でもありです。議論することを通して、メンバー同士で新しいコラボレーションが生まれ、それぞれがやりたかったことの実現につながることも多々あります。

あるとき、上京して知り合いもいない方が、議論メシに入ってくれました。まずはその方と一対一で対話をしたら、新しい事業をしたいとのこと。そこで事業の方向性について、「議論メシ」に投げかけたところ、多くのメンバーが集まりさまざまなアイデアが出てきました。それだけでなく「一緒にサービスを考えますよ」「サイト作りをしますよ」「初期ユーザーになりますよ」と、手をあげてくれる仲間ができた。いろいろなスキルや知識を持つメンバーが協力してくれた結果、その人は独立して事業を立ち上げられたんです。一人がしたいことを、みんなでできることに変える力がコミュニティにはあります。

こうしてコミュニティの運営をしていくうちに、目の前の人の活動にフォーカスするようになりました。経営者からキャリアコンサルタントになった時期には、「自分のため」から「社会のため」へと関心のベクトルが変わりました。それがコミュニティを運営するようになり、今度は「社会のため」から「目の前の個人のため」へとベクトルが変わったのです。

コミュニティを通して、目の前の人が新しい気づきやものの見方を手に入れたときの、目の輝きがパッと変わる瞬間。それが、ものすごく面白いんです。その人の人生に直接役立つことができた手触りを感じられます。

メンバー一人ひとりはバラバラに存在していて、それぞれ全く違う物語の中で生きているのですが、コミュニティを介して、その物語がつながって新しい展開を生み、前に進んでいく。そのための場を作り新しい物語を紡ぐサポートをしているので、まるで編集者になったような感覚もあります。

目指す姿は決めない方が面白い


今は、ディスカッションパートナーをしつつ、コミュニティ運営をメインに仕事をしています。「Freelance Now」は約6000人、「議論メシ」は約200人のメンバーが所属するコミュニティになりました。

特に立ち上げから3年半経った「議論メシ」は、これまで700回以上イベントを開催し、参加者は約6000人にのぼります。今は月20回ほどイベントをしていて、メンバー同士の議論以外にも、大手企業やベンチャー企業、行政など約120団体と議論してきました。

例えば、出版社の新レーベル開発担当者と読者との関係作りを議論したり、人材紹介サービス企業の方々と新規事業の方向性について議論したり、「議論メシ」のメンバーが第三者の視点を持ち寄ることで面白いコラボレーションが生まれています。

今の活動を通して改めて、リーダーシップを発揮するというより、ファシリテートする働き方が自分には合っていると実感しています。そもそも英語でいうファシリテーションとは、「容易にする」という意味があるんですね。誰かがしたいことをできるようにする。コミュニティをメンバーの自己実現の加速増幅装置にしていきたいです。

「人への貢献」というと、なんだかすごく聞こえがいいですが(笑)。実際には、私自身研究者肌みたいなところがあって、いろいろなことを実験するのが好きなんです。どういう問いやファシリテーションなら、意見やアイデアが出やすいのかなど、試すのが面白くて。自分の好奇心を満たしながら人の役に立つことが、仕事になっているという感覚です。

人のためだけに始めたことって続かないと思うんです。でも自分が面白くて始めたことが、いつの間にか誰かの役に立って社会性を帯びてくると、結果的に長く続けられる。だから何をするにも、まずは自分の好奇心を起点にすることを大事にしたいです。

将来については、いつかこうなろうとか、ここを目指して生きようとか、考えたことがありません。むしろ、この先いかようにも変化できるしなやかさを残した、柔らかい状態でいたいと思っています。

実際にこれまでも、その時々で感じた課題感や好奇心をもとに実験を繰り返してきたら、結果として今の形があるというだけなんです。アメリカの心理学者が提唱した「計画的偶発性理論」というキャリア論でも、個人のキャリアの8割は偶発的なことで決定されているといわれています。つまり、未来のなりたい姿や目指す場所を、あまり入念に考えても仕方ない。それよりも、自分の好奇心を満たせるものを、直感に従って選択し続けたいと思うんです。

それを仕事につなげていく中で、スキルや人とのネットワーク、自分に対して深めた理解を蓄積していくことこそが、この先の未来のキャリアを作っていくのだと思います。

もしかしてこの先、別のテーマを持ったコミュニティを始めるかもしれませんし、何か新しいサービスを始めるかもしれません。その時々できっとやり方は変わっていくものなのだと思いますが、人の自己実現をサポートしたいという軸は何年経っても変わることはないと思います。

2021.05.06

インタビュー・ライティング | 野下 わかな
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