訪問理美容で、誰もがその人らしく美しく!17歳で母になった私の社会での挑戦。

福祉施設への訪問理美容や、福祉理美容師の育成を行うNPO全国福祉理美容師養成協会(ふくりび)の事務局長を務める岩岡さん。17歳で妊娠がわかり、高校を中退して専業主婦の生活を送っていたところから、NPO法人の立ち上げを行うまでにはどんな背景があるのか。お話を伺いました。

岩岡 ひとみ

いわおか ひとみ|美容のチカラで福祉・医療業界を支える
NPO全国福祉理美容師養成協会(ふくりび)事務局長、愛知学院大学経営学部非常勤講師を務める。

17歳で一児の母になる


私は大阪で生まれ、名古屋で育ちました。母子家庭で家庭が裕福ではなく、そこから抜け出すためには勉強するしかないと考え、毎日図書館にいるような子どもでした。また、グループへの帰属意識は低く、むしろ周りと同じことをするのはかっこ悪いとすら思っていました。

そして、高校は進学校に進み、大学に進学したいと考えていました。ただ、家計を考えると難しいかもしれないし、自分が大学に行くことで2人の妹に我慢はさせたくないと思っていました。私は大学に行きたいと言っても、その先やりたいことはなかったし、看護師になりたいと話す妹に学校に行って欲しいと。

すると17歳の時に妊娠が発覚しました。相手の彼は年上で働いている人だったので、私はこの人と結婚して奥さんになるんだと、嬉しかったですね。不安とか、産まない選択肢はなかったんです。また、私が学校を辞めたら、妹のために学費が浮きますから。

そこで高校を退学し、結婚して一児の母となりました。それからは専業主婦としての生活が始まりましたが、子育てや家事は楽しく、ママ友もできて充実した生活を送っていました。同級生が高校卒業する頃には私も大検も取っていたので、焦りも全くなかったですね。

ただ、3年ほど楽しく生活を送っていたところ、旦那さんから「何か人の役に立つことややりがいがあることを始めてみたら」と、働くことを勧められたんです。働きたいとは思っていませんでしたが、確かに子どもが保育園にも行き始め、家事や育児にも慣れて余裕が出てきていたので、パートに出ることにしました。

ルーティンワークは飽きてしまう


働くと言っても、社会を知らない19歳の私にはどんな選択肢があるかもよく分からず、とりあえず、資格も必要なくて、今の自分でもすぐにできそうだと感じた美容室の受付の仕事をすることにしたんです。祖母が美容師だったので、華やかな美容の世界に興味を持っていたこともありました。

ただ、仕事を覚えて一通りこなせるようになると、繰り返しの業務にすぐに飽きてしまいました。そして、その後も飲食店や喫茶店など職を転々とするようになりましたが、同じ結果でした。昔から器用ではあったので、すぐに仕事は覚えることができました。そのため、周りからは信頼してもらえることも多かったのですが、単純なルーティン作業になると飽きてしまったんです。

そうやって仕事を転々としながら、次はネイルスクールに通うことにしました。すると、そこでは家の近所で美容室を経営している人が来ていて、その人のお店で受付をしないかと誘われたんです。そこで、家から近い方が子育てには何かと便利なので、また美容室の受付の仕事をすることにしました。

しかし、住宅街の美容室の受付は、平日は特に暇で、役割が無くて困ってしまいました。しかも、代表からは「働いているのだから何か価値を出してもらわなければ困る」と言われてしまったんです。

そこで、その美容室のメンバーで休日に行っていた、福祉施設での髪の毛を切るボランティアに着いて行くことにしました。

社会に求められているから広めたい


初めて訪問した介護施設では、認知症の方の髪の毛を切っている姿を見ました。すると、みんな髪を切られている間に、冗談を言うほど元気が出てきて、どんどん綺麗になっていくのを喜んでくれていたんです。

この時、この訪問理美容は、とても人の役に立っていることを実感したと共に、誰にも知られていないのがもったいないと感じてしまったんです。きっと多くの人に求められていることだし、代表たちが何年も前からやっていることなんだから、仕組みを作って社会に広めていくべきだと。

そこで、私は福祉施設に電話やFAXを使って営業をしてみることにしたんです。すると、思った以上に興味を持ってもらうことができ、やはり社会に求められていることなんだと実感できました。また、私自身福祉施設のことを何も知らなかったので、ヘルパー2級(現:介護職員初任者研修)の資格を取ることに決め、美容とヘルパーの仕事を掛け持つようになっていきました。

訪問の需要が増えてくると、今度は訪問する美容師の数が足りなくなってしまいました。そこで、パートを募集してみると、あっという間に何十人もの人からの応募があったんです。それも、ほとんどが主婦の方でした。話を聞くと、美容師として働きたいけど、結婚して子どもを産んでからは、労働環境的に美容室には戻れない人ばかりだったんです。女性が出産してからも美容師として働ける場所は、社会に求められていると分かっていきました。

個人的にも、ルーティンの仕事ではなく、自分で考えて新しいことに挑戦するのはやりがいを感じていました。

苦手と向き合うため美容師の学校に通う


そして訪問理美容は公益性も高いので、本格的にNPO法人を立ち上げて社会に広めていくことにしました。ただ、美容師をマネジメントする上で、私自身が美容師の免許を持たないとうまくいかないこともありました。それでも、私は不器用だったし、年下の人に混じって専門学校に行くのは嫌だったので、資格を取りに行くことは頑なに避けていました。

ただ、今まで苦手なことに向き合ってこなかったことを代表から厳しく言われ、しぶしぶ専門学校に通い始めることにしたんです。ただ、通信の学校だったので、実際に実技の練習のために学校に通うのは3年間の中でも最後の2ヶ月位でした。そのため、私は実技の練習はせずに、NPOの立ち上げの仕事や、提案書類作りばかりしていて、結局技術の練習は疎かにしていました。

しかし、このままじゃさすがに資格を取れないし、どうせ試験を受けるなら時間を無駄にしないためにも絶対に一回で合格したいと考えてたので、試験直前の数ヶ月は毎日練習しましたね。本当に不器用で全然できなかったので、泣きながらパーマを巻いていました。(笑)

その末あってか、試験本番では練習では一度も成功しなかったことができ、無事1回の試験で資格をとることができたんです。人間、土壇場の集中力はすごいものだと感じましたね。また、初めて苦手なものと向き合うことで、自分の中で1つ壁を乗り越えられたような感覚もありました。

世の中のあたりまえを作り続ける


その後も子育てと仕事の両立で苦しさを感じる時期もありましたが、全力で走り抜けて今に至ります。代表が訪問理美容を初めて20年ほど経ちますが、やっと社会的にその価値が認知されてきたと実感しています。高齢者障害、病気によって美容室に来ることが困難な、「普通に綺麗になること」にハードルがある人にも、訪問理美容があれば綺麗になってもらうことができます。

また、訪問理美容では、美容師の働き方の幅を増やすことにも貢献できるんです。私が美容の専門学校通っている時も、周りは結婚や出産したら美容師を続けられないと言っていたし、美容室の忙しさが働き方として合わないと感じている人もいました。でも、訪問理美容であれば、ある程度自由に働き方を選べるので、美容室で働くか開業するしかない美容師の選択の幅を広げることができるんです。

私自身は美容師としてカットすることはほとんどありませんが、スタッフが「ありがとう」とお礼を言われている姿をみるのが、すごく嬉しい瞬間なんです。髪を切った側と切られた側、どちらの嬉しさも一緒に受け取れているような感覚ですね。

また、私たちは「誰もがその人らしく美しく過ごせる社会の実現を」とミッションを掲げ、訪問するだけでなく医療用のウィッグを作ったり、知的障害を持つ人向けにメイクの講座を開いたりしています。新興国でも、手に職をつけてもらうために美容の訓練なども行っています。

ただ、私たちは、訪問理美容含めて今行っている活動が「社会であたり前」になったら、また次のことに挑戦していくんだと思います。すぐに代表が新しいことを思いつくので、私はそれを仕組み化したり、マニュアル化したりして、継続的なものに作り上げていきたいですね。

世の中では、何か自分で見つけて成功した一部の人ばかりが注目されますが、私自身は自分の中からやりたいことが浮かんでくるタイプではありません。でも、私みたいな人も世の中にはたくさんいて、人をサポートするのが得意な生き方があってもいいし、そっちの方が収まりが良い人もいると思うんです。

私はこれからも、自分が得意な仕組みづくりの力を活かして、人を助けるサポートをしていきたいです。

2015.04.29

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