後悔しないため、今できることをやる。メーカー勤務からアメリカNFLチアへの挑戦。

アメリカンフットボールの最高峰、アメリカNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)でチアリーダーとしての挑戦を始めた橋詰さん。大学卒業後、日本のメーカーできながら未経験のチアを始め、本場アメリカへ渡るまでには、どのような想いがあったのか。お話を伺いました。

橋詰 あずさ

はしづめ あずさ|NFLのチアリーダー
アメリカNFLのWashington Redskins Cheerleadersに所属する。

バレエと英語が原点


東京都葛飾で生まれました。運動好きの活発な子どもで、5歳の頃、幼なじみと一緒にクラシックバレエを始めました。通っていたスイミング教室にバレエ教室が併設されたのがきっかけです。

小学校高学年の頃には、週に5日ほどバレエのレッスンに通いました。大変でしたが、踊るのが好きだったのでそれほど苦ではありませんでした。バレリーナになりたい気持ちは心の片隅にはありましたが、バレリーナになれるのはほんの一握りの人だけなので、自分には到底無理だとあきらめていました。

中高一貫の学校へ入ってからも、学校のダンス部で踊りつつ、バレエ教室に通う毎日でしたが、将来はダンス関係ではなく、英語を使って国際交流ができる仕事をしたいと考えていました。母からいつも海外で勉強していた時の話を聞いて育った影響だと思います。学校には交換留学プログラムがあり、できるなら留学したいと考えていました。そのために必死で勉強をして、高校1年生の時に学内選考に通ると、アメリカに一年間留学することになりました。

この時は不安よりも楽しみの方が大きかったですね。留学先は芸術学校で、座学は午前中だけ。午後はバレエのレッスンを受けました。バレエを通したコミュニケーションを取ることができたので、英語があまりできなくても意外と大丈夫でした。

アメリカの授業スタイルは日本とはまるで違いました。日本では生徒が先生の方に机を向けて、一方的に話を聞くようなスタイルでしたが、アメリカでは先生をみんなで囲み、意見を出し合うような授業なんです。驚きましたね。そのやり方に惹かれ、高校卒業後は、海外の大学に進学しようと決めました。

日本に戻り高校を卒業すると、カナダのオタワにある大学に進学しました。カナダは教育水準が高いことが有名ですし、オタワを選んだのは日本人があまりいない地域だったというのが決め手です。高校の時の留学では思ったよりも英語を喋れるようにならなかったので、もっと自分を追い込んで英語をしっかり勉強したいと思ったんです。

大学の授業は英語で行われます。周りの学生とはまず英語の能力で差がありますし、課題の量も多かったので、授業についていくだけで必死でした。首都とはいえ田舎町だったので、ダンススクールもありませんでしたし、サークル活動が盛んな大学でもなかったので、とにかく勉強していることが多かったですね。

留学したての頃は、自分の気持ちを周囲に100%伝えられず辛かったです。それでも、留学すると決めたのは自分。逃げ帰ろうとは思いません。絶対に卒業すると心に決めていました。

「日本人」としてしたい仕事


学校には様々な国から来た人がいて、世界中の友達ができました。世界のことを知れば知るほど、自分は日本人であると気づかされました。考え方や振る舞いって、知らずのうちに育った環境に大きく影響を受けているんですよね。これは日本にずっといたら感じられなかったことです。

いくら英語ができるようになっても、私はアジア人であり、日本人。それが私のアイデンティティだと分かりました。また、留学して日本をより好きになりましたね。何と言っても言葉が通じますし、サービス面での気遣いも厚く丁寧で、何かと便利ですから。

そういった思いもあって、日本人の代表として海外でモノを売る仕事がしたいと思い、大学卒業後は日本に帰って就職しようと決めました。日本が世界に誇れる仕事といえば、ものづくり。中でも、日本の電化製品は海外にいても身近に感じることができたので、電機メーカーに就職しました。

入社してからは「密着イメージセンサー」という、コピー機などに使われる製品の国内営業をすることになりました。希望とは全然違う部署でした。それでも、仕事が私に合っていたので、楽しく働けました。コピー機メーカーやATMメーカーのお客様に対して、相手のニーズに合わせて製品のカスタマイズ提案をするのが、私の仕事。裁量を大きく与えられていたので、自分で色んなことを決められるのが性に合っていたんです。

働く上で意識していたのは、とにかく「自ら動く」ということ。「こういうものがほしいんじゃないかな?」とお客様のことを先回りして考え、提案する。社内の仕事でも、周りから何かを言われる前にやる。そんなことを考えて仕事に取り組みました。

一番やりがいを感じるのは、製品の新規採用が決まった時ですね。新規採用ってあまり頻繁にあるわけではないので。最初は「ちょっと気になっている」という程度にお客様から連絡を頂くんですけどて、他社製品とふるいに掛け、最終的に私たちの製品の方が品質がいいことをちゃんと認めてもらえると、本当に嬉しかったです。

誰かのために貢献できる踊り


入社して3年目になる頃には、仕事はだいぶ落ち着き、自分の時間を確保できるようになりました。仕事が終わった後の時間を有意義に使うため、新しい何かを始めたいと思っていたんです。大学時代はあまり踊りに関われなかったので、バレエやダンスなど、また何かしら踊れることを探していると、チアリーディングに出会いました。たまたま友達がチアリーダーだったのがきっかけです。

大学時代にカナダにいたため、サークル活動を経験できなかった私にとって、仲間と一緒に創り上げる団体競技であるチアリーディングはとても魅力的でした。それに、チアリーディングはただ踊るだけでなく、踊りを通して所属しているスポーツチームの試合を盛り上げたり、スポーツチームと一緒になって地域に貢献できるんです。自分が踊ることで誰かに貢献することができるなんて、何て素晴らしい仕事なんだと思いましたね。すぐにフットボールチームのチアリーダーに応募したんです。

完全未経験の挑戦なので、とにかくやってみよう、受からなかったらそれでいいやという気持ちでトライアウトに臨みました。試験は昼間に行われ、その日の夜のうちに合否を伝える電話が来ました。キャプテンから「合格」と言われた時には、飛び上がるほど嬉しかったですね。

それから、仕事のかたわら、アメフトチームのチアリーダーになりました。入った当初は、踊りを覚えるため、平日1回と休日1回の全体練習に加えて、毎日家で踊っていましたね。

チームに入って2ヶ月目、初めて試合で踊りました。この時は本当に緊張しました。アメフトのチアって、プレーの進行中は試合を見守って、試合が中断する度にサイドラインという芝生の上で観客を盛り上げるために踊るんです。曲がかかった瞬間にどの曲かを判断して踊り始めるので、振り付けを間違えていないかものすごい緊張感があるんです。2時間踊りっぱなしで、試合後はもうヘトヘトになっちゃいます。

大変でしたが、その分やりがいもすごいんです。観客を盛り上げて、選手に声援を届ける。そんなことを意識しながら無我夢中でパフォーマンスしています。お客さんとのコミュニケーションも盛んなので、しばらくやっていると個人的に声をかけてもらったり、常連になってもらえたりするのが嬉しかったですね。

本場の熱気に触れ、挑戦を決める


一方仕事では、海外営業の担当になりました。英語での仕事や、海外に行って違う文化に触れられることが楽しかったです。学生時代は北米にしか行ったことがなかったのですが、仕事ではヨーロッパに行くことも多かったので、自分が訪れたことのない新しい土地に足を運ぶのは大きな喜びでした。

こうして仕事自体も充実していましたし、チアも順調でした。チアを始めて3年目には、キャプテンになりました。ちょうどその年、私の所属するチームが、日本社会人選手権「ジャパンXボウル」に出場。これは創部以来初めての快挙で、私自身もこんなに大きな試合で踊るのは初めてでした。

当日は、東京ドームに2万5千人の観客が押し寄せました。普段は多くても数千人規模だったので、東京ドームの3階席まで埋まった姿を見ると、とても感動しました。声援の熱気はもう鳥肌が立つほどでした。そんな大勢の前で踊れることは本当に嬉しかったです。

こうした経験を積むと次第に、アメフトの本場アメリカで踊ってみたい気持ちが強くなりました。元々日本のチームで一緒に活動していたチームメイトがNFLのチアリーダーに合格したことがきっかけで、アメリカのチアには興味をもちはじめました。この東京ドームでの試合からちょうど2週間後に、元チームメイトが活動しているアメリカのナショナルフットボールリーグ(通称NFL)の試合を見に行く予定を組んでいました。NFLで活躍される日本人チアリーダーのパフォーマンスを見てみたいと日頃から思っていましたので。

行ってみると本場のアメフトは、日本とは盛り上がり方がもう全然違いました。訪れる人の数はもちろんのこと、スタジアムの駐車場でバーベキューをしている人もいたりと、まるでお祭りみたいな感じなんですよね。試合自体の熱気も凄まじく、スタジアムを埋め尽くした満員のファンの盛り上がりは本当にすごかったんです。

その熱気に触れて、ついに私はNFLチアを目指すことに決めました。この場所で踊ってみたい。ただそれだけです。そしてとにかく1回トライアルを受けてみることにしました。

その5ヶ月後、ゴールデンウィークの連休を利用して再びアメリカまでトライアルを受けに行ったんです。この時、最終試験まで進んだのですが、結果は不合格でした。

残念な気持ちはありましたが、同時に準備不足を痛感しました。もっと練習を積んで準備万端の状態でもう一度挑戦したい。このままやらなかったら絶対後悔する。そう思い、すぐに翌年のトライアルに向けて動き出しました。

諦めるという選択肢は全くありませんでした。1年でもいいからNFLで踊りたい。ただそれだけだったんです。

それからは踊る時間を増やしました。週2回のチーム練習に加え、個人的なダンスレッスンを週2回行い、ジムにも通いました。また、受かった時のことを考えて貯金も始めました。NFLのチアは生活費をまかなえる仕事ではないので、アメリカでの生活資金が必要なんです。さらに、トライアルの空気に耐えられるように、精神力も鍛えました。

仕事は大好きでしたが、NFLで踊れるのは一生に一度。NFLチアに受かったら、仕事は辞めようと考えていました。例え1年だけでも、NFLで踊れたら何か得るものがあるはず。そこで学んだことを活かしてまた次の仕事に活かせたらと思いました。

初めてトライアルを受けたおよそ1年後の2016年3月、2度目の挑戦のためにアメリカに来ました。自信満々というよりも、わりと冷静でした。受かろうとして躍起になるのではなく、とにかく自分がやってきたことを全部出しきろうと思いました。

私が受けたチームは、1週間通しでトライアウトを行いました。毎朝6時から夜の11時位まで、踊りっぱなし。そんなに長い期間のオーディションを受けたことがなかったし、新しい踊りを次々と覚えなくてはならず、中盤は本当に辛かったです。でもそんな時こそ、必死で練習をすればストレスを吹き飛ばすことができました。

そうして無事選考に通過していき、最終オーディションまでこぎつけました。最終オーディションは、お客さんを入れたショー形式で行われます。練習は大変でしたが、本番は「観客を楽しませて、自分も楽しむ」と言う気持ちで、とにかくステージを楽しみました。

ステージが全部終わり、30分ほど待たされて選考結果が発表されます。番号が次々と呼ばれていく中で、私の番号も呼ばれました。その瞬間、安堵感に包まれました。よかった。今までやってきたことが報われた。ほっとした穏やかな気持ちになり、思わず涙が流れましたね。

しかしここでの合格は私にとって通過点でしかないので、気持ちはすぐに切り替えました。NFLで大勢の前で良いパフォーマンスをするため、ここからいよいよ本格的に頑張っていきたいと思います。

今できることを!


現在は、NFLのWashington Redskins Cheerleaders(ワシントン・レッドスキンズ・チアリーダー)のルーキーとして活動しています。トライアウトに合格してからは、大慌てでアメリカへ渡る準備を進めました。会社の方々には前もってNFLのトライアウトについて相談しており、退職し、アメリカで生活することに関しても温かく背中を押してくれました。迷惑をかけてしまいましたが職場の方々には本当に感謝しています。

住む家も決まらない状態でアメリカに来たので、今、友達のところに泊めてもらいながら、家や車を探したりと、生活基盤を作る準備をしています。働くためのビザもまだ取れていないので、給料はもらえません。これまでの貯金を切り崩して生活しています。

NFLのプレシーズンは8月半ばから始まるので、今はそこに向けて踊りを覚えたり、カレンダー撮影や試合以外のショーの準備をしています。先日は、チームのドラフトパーティで、ルーキーのメンバーとして初めてパフォーマンスをしました。NFLのチアは人気が高く、日本の時とはまた違ったファンとの交流があって楽しいですね。

今の私を突き動かすのはは、とにかく踊りたいという気持ちです。アメフトはアメリカで一番人気のスポーツで、最大で9万人規模のスタジアムがあります。そんな大勢の観客前で思いっ切り自分のパフォーマンスをしてみたいです。

何年続けられるかはまだ分かりませんが、数年の間はNFLでチアをできたらいいなと思っています。また、せっかくアメリカにいるので、何年かしたらNBAのバスケットボールチームでチアをしたいとも考えています。アメフトとはまた違ったスタイルで、学べることがあると思うんです。

その先、日本に戻るのかアメリカで暮らすのかは、あまり考えていません。日本とアメリカをダンスでつなぐようなことをしてみたいとか、NFLチアで学んだことを日本で伝えたいとか、チア業界に貢献したいとか、今はまだぼんやりとですが、やりたいことはあります。

またチアとは別で、日本にフィットネスの文化を広めたい気持ちもあります。チアを始めて改めて気づきましたが、日本は海外と比べて、大人になってから運動をする機会が少ないんですよね。アメリカではダンサーもチアリーダーも、みんなジムで身体を鍛えています。そういうジム文化を日本にも根づかせたいなと。いずれにせよ、どこか勤めるよりも、自分発信で仕事をしたいという気持ちが強いです。

私はひとつの目標を決めて一直線に進むというよりも、目の前のことを一つずつ積み重ねていく性格なので、どんなことでもその都度全力で取り組んでいきます。将来はどういうご縁に導かれるか分かりません。とにかく、今やれることをやるだけ。やらなかったら必ず後悔しますから。とにかくまず一歩踏み出すことが大事で、そこから新たな道を切り開きたいです。

2016.06.27

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