東京都葛飾で生まれました。運動好きの活発な子どもで、5歳の頃、幼なじみと一緒にクラシックバレエを始めました。通っていたスイミング教室にバレエ教室が併設されたのがきっかけです。

小学校高学年の頃には、週に5日ほどバレエのレッスンに通いました。大変でしたが、踊るのが好きだったのでそれほど苦ではありませんでした。バレリーナになりたい気持ちは心の片隅にはありましたが、バレリーナになれるのはほんの一握りの人だけなので、自分には到底無理だとあきらめていました。

中高一貫の学校へ入ってからも、学校のダンス部で踊りつつ、バレエ教室に通う毎日でしたが、将来はダンス関係ではなく、英語を使って国際交流ができる仕事をしたいと考えていました。母からいつも海外で勉強していた時の話を聞いて育った影響だと思います。学校には交換留学プログラムがあり、できるなら留学したいと考えていました。そのために必死で勉強をして、高校1年生の時に学内選考に通ると、アメリカに一年間留学することになりました。

この時は不安よりも楽しみの方が大きかったですね。留学先は芸術学校で、座学は午前中だけ。午後はバレエのレッスンを受けました。バレエを通したコミュニケーションを取ることができたので、英語があまりできなくても意外と大丈夫でした。

アメリカの授業スタイルは日本とはまるで違いました。日本では生徒が先生の方に机を向けて、一方的に話を聞くようなスタイルでしたが、アメリカでは先生をみんなで囲み、意見を出し合うような授業なんです。驚きましたね。そのやり方に惹かれ、高校卒業後は、海外の大学に進学しようと決めました。

日本に戻り高校を卒業すると、カナダのオタワにある大学に進学しました。カナダは教育水準が高いことが有名ですし、オタワを選んだのは日本人があまりいない地域だったというのが決め手です。高校の時の留学では思ったよりも英語を喋れるようにならなかったので、もっと自分を追い込んで英語をしっかり勉強したいと思ったんです。

大学の授業は英語で行われます。周りの学生とはまず英語の能力で差がありますし、課題の量も多かったので、授業についていくだけで必死でした。首都とはいえ田舎町だったので、ダンススクールもありませんでしたし、サークル活動が盛んな大学でもなかったので、とにかく勉強していることが多かったですね。

留学したての頃は、自分の気持ちを周囲に100%伝えられず辛かったです。それでも、留学すると決めたのは自分。逃げ帰ろうとは思いません。絶対に卒業すると心に決めていました。