島根県隠岐諸島にある離島、西ノ島で生まれました。生まれた頃は人口が7000人を超え、活気がありました。中学の同級生は130人ほどいて、私が通っていた学校の他にもう一つ中学があるほどでした。

家は、船のエンジンの修理屋をやっていました。長男だったので、必然と家業を継ぐものだと思っていました。継ぎたいとか継ぎたくないという気持ちはなく、長男だから継ぐのが当然だという時代でした。

中学卒業後、技術を学ぶために大阪のエンジン会社に技術研修に行きました。夜は、工業高校の夜間部に通いました。エンジンを触るのは好きだったので、仕事は楽しかったですね。ただ、昼の仕事でも学ぶことだらけなので、夜まで学ぶのはそりゃ大変です。それで、高校はすぐに中退しました。

技術研修を1年で終えてからは、大阪でトラックの運転手などをしました。実家の修理屋には、そこまでたくさんのお客さんがくるわけではありません。親父が元気だったので、まだ帰る必要はなかったんです。都会での生活を楽しんでいましたね。

4年ほど経った後、親父が高齢化してきたこともあって西ノ島に帰りました。戻ることに抵抗はなかったです。仕方ないことでしたから。

久しぶりの西ノ島での生活は静かすぎると思いましたね。結構うるさいところで暮らしていたので、島が静かすぎて眠れないほどでした。(笑)

まだ遊びたいという気持ちもありましたが、仕事は面白かったですね。やっぱり、エンジンや船を触るのが好きなんですね。修理屋は他にも何件かいたので、一生懸命仕事をしましたよ。夜中も仕事をして、翌朝の漁に間に合うように仕上げたり。信頼してもらって、また依頼してもらえるのが嬉しかったですね。