震災で感じた「日常」を記録する意義。
「没個性」を脱する挑戦でたどり着いたもの。

【another life. × team RICOH THETA特集】1回のシャッターで、取り囲む全ての景色を簡単に撮影することができる360°全天球カメラ「RICOH THETA」を生み出したチームの特集です。1人目はマーケティングに携わる朝夷さん。何でもできるタイプだったという中学時代から一転、高校生以来、没個性に悩むようになった朝夷さんを変える転機となったのは、どのような出来事だったのでしょうか?

朝夷 隆晴

あさひな たかはる|RICOH THETAのマーケティング
株式会社リコーにて、1回のシャッターで、撮影者を取り囲む全ての景色を簡単に撮影することができる「RICOH THETA」のマーケティングに携わる。

※この特集は株式会社リコーとの協力でお届けしました。

現在、リコーは、YRPユビキタス・ネットワーキング研究所と共催した「RICOH THETA」のアプリケーションまたはガジェットを開発するオープンコンテスト「RICOH THETA デベロッパーズコンテスト」を開催中です。
詳しくはこちらをご覧ください。

何でもできた中学時代、高校進学後の挫折


私は埼玉県さいたま市に生まれ育ちました。地元の公立の小中学校に通い、比較的勉強が得意な方で、クラスの学級委員も務めていました。また、バスケ部に所属する傍ら、足が速かったため地域の駅伝大会のメンバーに選ばれる等、いわゆる「なんでもできる」タイプの学生でした。だからこそ、何かに苦しんだりすることもあまり感じずに生活していました。

ところが、高校受験を経て慶應義塾高校に進学して、びっくりしたんです。クラスメイトは何かに秀でたり、目立てる部分を持った人の集まりだったんですよね。漠然となんでもできたような私は、そんな環境で「自分には何も無い」と感じてしまい、 初めての挫折を経験しました。

そんな背景もあってか、半ば現実逃避のように映画鑑賞にのめり込むようになり、年間200本も観るようになっていきました。 自分に自信が持てなくなってしまってそれまでよりも内向的になっていました。

その後、高校を卒業後は内部進学で慶應義塾大学の法学部政治学科に進学しました。将来何をしようか決まっていなかったこともあり、なるべく広く選択肢を保てるようにという選択でした。

そして、大学に入学してからも、モヤモヤは晴れることがありませんでした。大学の性質上、目立つ部分を持っていると感じた内部進学生に加え、 外からとても勉強してきた外部生が入って来て、ある種没個性的な自分への悩みは変わらずにありましたね。

それでも、自ら選択できる自由な時間が増えたこともあり、 何か社会と関わることをしたいと思い、ファストフード店でアルバイトをするようになりました。社会勉強の意味もありましたし、忙しくすることで紛らわしている部分もありました。

イスラエルへのバックパック旅行で掴んだ自信


そんな生活を続けて大学3年生を迎えると、「なんかこのままだとダメな人間になるな」と感じるようになりました。就職活動が近づいて来たことによる危機感もありましたし、

「このまま社会人になって、自分は社会に対して何が出来るんだろう?」

と感じてしまったんです。

そこで、何かしら経験を積まなければと思い立ち、 自分が思ってもみなかった環境に身を置こうと考え、夏休みを使って一人バックパック旅行に出ることにしたんです。

そして、全く行ったことが無く、新しい体験ができそうな環境を考えた結果、イスラエルに行ってみることに決めました。元々、中東についてはニュースで報道されている程度の知識しかなく、それもわかりにくい、と感じていたことに加え、 欧米のように出来上がった社会ではなく、今まさに動いている国に行ってみたいと考えたんです。

現地では、村単位で生活をしており、徴兵等で若い労働力が足りない部分を、外部からのボランティアで補う仕組みがありました。そのため、私もその制度を利用し、実際にイスラエルで仕事をするようになりました。

最初に担当したのは飲食コーナーのキッチンでした。しばらくすると日本でもできることではなく、なかなか経験できないことをしたいと考え、なんとか人づての紹介で、観賞用の鯉の養殖に携わることになりました。たまたま鯉の種類が描いてある漢字のポスターがあり、それを読めたことで、向こうではエキスパートのような扱いを受け、ラッキーではありましたね。(笑)

それからは毎日朝5時に起きて2時・3時くらいまで働き、シエスタ(昼寝)をして、夕方からご飯に行き、夜は他の国からのボランティアたちと大体深夜まで飲んで遊んでという日々を過ごしました。睡眠時間が短く、肉体仕事のハードさはありましたが、毎日ワクワク感があり充実した毎日でしたね。

ところが、現地に行って2ヶ月目の9月、9.11のテロが発生し、日本に戻ることになってしまいました。

元々、日本とイスラエルは直行便が無かったので、行きも帰りもバンコクを経由し、せっかく立ち寄るのだからという気持ちもあり、往路の途中カオサン通りで2泊ほどしていました。そして、日本への帰りも同じカオサン通りに立ち寄ったのですが、2ヶ月前と同じ町並みのはずが、全く違う景色に見えたんです。それもそのはずで、行きは初めての海外一人旅の不安心から足元しか見ないで歩いていたんですね。落ち着いて見る風景や空気感はとても新鮮なものでした。

そんな違いを肌で感じる中で、「何かしら得たものがあったのかな」と思いましたね。今まで日本で見て来たことが全てではないんだという気づきや、色々な人の価値観に触れる中で、自分の可能性も広がるような感覚がありました。そして、少し自分に自信がついたような気がしました。

その後、帰国してからは就職活動を始めました。正直、旅に出る前は、社会に出るまでの猶予期間を伸ばしたいという気持ちもあったのですが、先送りにせずにまっすぐに取り組もうという気持ちが固まったんです。

そこで、旅で関心をもった海外と関わる環境があり、色々な人に出会える職業という軸で、株式会社リコーに営業職で就職を決めました。

再び新しい挑戦を、社内公募で新規事業部へ


入社をしてからは、コピー機やプリンターの大手企業をお客様としたセールス業務を行うようになりました。まずは慣れてみなければという思いもあり、目の前の仕事に注力していく日々でした。また、社会人になってもワクワク感は忘れたくないと思い、祝日に合わせて有給を取得し、バックパック旅行にも継続的に行っていました。理解のある環境にも恵まれていましたね。

そこで、入社して4年経ち、そろそろ仕事に慣れて来たかなという頃、3月にバックパック旅行でラオスに行ったことがありました。そして帰国して久しぶりに携帯電話のメールを見てみると、「朝夷送別会について」というタイトルのメールが入っており、自分が大阪に異動になることを知りました。

最初は呆然として、人ごとのような感覚でしたね。「ああ、行くんだ」と。(笑)

しかし、バックパック旅行を始めて以来、自分が日本のことをよく知らないことに気づき、 ちょうど兵庫県より西に行ったことがなかったので、 せっかくなので、西日本に足を運んでみようと、結果的に前向きに考えるようになりました。

実際に大阪に行ってからも業種は変わらず、大手企業や地場産業を中心に法人営業を行いました。 また、一人暮らしをすることも初めてだったので、生活的・精神的な自立が出来た点は大きかったですね。

そんな大阪生活も3年ほどすると、一区切り着いた感覚もあり、いつまでも営業でなく、何か新しいチャレンジがしたいと考えるようになりました。「この後自分はどうなっていくのだろう?」と考えた時に、イスラエルに行くことを決めた時のように、新しい環境に身を置きたいと考えるようになったんです。

すると、ちょうどそのタイミングで、社内の新規事業として「次世代カメラ」を作るプロジェクトがあり、人員の公募がありました。

職種は企画やマーケティングだったので、正直経験はなかったのですが、挑戦してみたいという思いから手を挙げ、縁があり新規事業開発センターに異動することになりました。 ちょうど、30歳のことでした。

震災で気づいた、「写真」の意義


新しい部署に入ってからは、新鮮なことだらけでした。次世代カメラというコンセプトの元、まわりの空間をワンショットでキャプチャする商品を作る事業だったのですが、まだ技術開発も並行で行っている段階のため、マーケティングも足の長いもので、それまでとは全く働き方も変わりました。

そして、そんな風に新しい環境で仕事を始めた矢先、東日本大震災が起こりました。社内では同じ事業部の上司をリーダーに「セーブ・ザ・メモリープロジェクト」と言う名前で、津波で流されてしまった写真を回収し、洗浄・デジタル化を行い、写真の原本とデジタルデータを本人にお返しするという活動が始まりました。

そこで、私自身次世代カメラのマーケティングに携わりつつ、仙台の拠点に常駐し、写真の清掃からデジタル化まで一連の行程に携わらせていただきました。

やはり、直接目の当たりにした現場は思っていたのと全く異なる惨状でした。衛生状態も悪く、節電や物資不足などでいろいろと制限された環境で、ここでも実際に現地へ行くことで、改めて出来事の大きさを感じました。

そんな中、ご自身の写真を見つけた方が、思い出を取り戻して喜ぶ姿に立ち会えたのは本当に印象的でした。それまでが対法人の営業ということもあり、初めて世間に直接貢献できる仕事ができているという感覚を覚え、非常にやりがいを感じました。

また何より、写真が持つ力や、日々を記録することに意義を強く感じたんです。

元々、スマートフォンやSNSの発展により、写真自体の立ち位置が「ハレの日に皆で撮るもの」から、どんどん日常を記録していくものになっていき、カジュアル化している傾向がありました。そこで、「次世代カメラ」のプロジェクトでは、その傾向の極論として、「場の雰囲気を写す」というコンセプトで商品作りを行っていきました。

この経験以来、手探りだった事業への思い入れは一層大きなものになっていきました。

旅で感じたようなワクワクを!


その後、2011年11月には東京に戻り、 出張ベースで仙台に行きつつも次世代カメラのプロジェクトに力を注ぐようになりました。商品名も社内コンペの結果、ギリシャ文字で全天球を表すΘ(シータ)から取って、「RICOH THETA(シータ)」と決まり、販売方法など、どんどん具体的な部分を決めて行きました。

そして、迎えた2013年9月、新規事業開発センターに入ってからほぼ丸3年が経つタイミングで、ドイツの展示会にてRICOH THETAの発表を行いました。

コンシューマーエレクトロニクス世界最大級の展示会において360°周りの空間全てを撮影でき、撮影したデータを様々な角度から見渡すという新しい体験は、「こんなことできるのか!?」と大きな評価をいただくことができました。

しかし、実際に触ってもらうと驚きと興味をもってもらえるのですが、新しい価値の商品であるが故に伝えるのが難しく、現在もマーティングに携わる中で、もっとブレークスルーのためにしなければいけないことが山積みという感覚です。

また、個人的には、私が初めての旅で得たようなワクワク感を提供できるようなプロダクトにしていきたいという思いがあります。そのためにも、より多くの方に知っていただくのはもちろん、利用シーンや世界観自体を広げていけるといいなと感じています。

これまで、好奇心と行動力で転機が生まれて来た感覚があるので、今後も変わらず、ワクワク感を持って新しい挑戦をしていきたいですね。

2015.05.11

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