学ぶ人が「学び方」を選べる社会にしたい。実践の場を通じて、先生のための学ぶ場を。

学校の先生や先生を目指す人など、子どもと関わる大人向けの教育プログラムを提供する活動や、東日本大震災被災地にて教育支援を行う中川さん。「教育」を軸に様々な活動を行う根底には、どのような想いがあるのでしょうか。お話を伺いました。

中川 綾

なかがわ あや|子どもに関わる大人のサポート
株式会社アソビジ代表取締役、エデュケーショナルフューチャーセンター理事、プロジェクト結コンソーシアム理事、日本イエナプラン教育協会理事。ファシリテーター。 特技は、泳げない人も絶対に泳げるようにすること。趣味は、ハンコづくり。

ずっと教師になりたかった


東京都世田谷区で育ちました。小さな頃から、体育や図工、音楽などが好きでした。一方で、社会や算数など、覚えたり理解したりする勉強は苦手で、好きにもなれませんでした。体育などの好きなことで認めてもらえていたので、勉強はできなくてもいいやと自分に言い訳していました。

中学生の頃から、将来は、教師になりたいと考えていました。中学の体育の先生の影響ですね。

体育の授業中に、周りがうるさくて先生の指導が聞こえないことがありました。私はその状況に苛立ちながらもどう注意していいのか分からない。すると、先生が「ふざけるのと、楽しむのは違うよ」、と一言。すぐに、クラスが静かになりました。

自分が表現できなかった感情を、上手に伝えられることに感動しました。そして、こういう先生になりたいなと、その時はっきりと思いました。

高校で水泳部に入ってからは、体育教師になりたいとより明確に考えるようになっていきました。特別速く泳げる訳ではありませんでしたが、自分でメニューを考えて練習することが好きでした。

幼稚園から大学までの一貫校に通っていたのですが、内部進学の大学では体育学部がなく、体育教師になるためには、外部の大学を受験しなければいけませんでした。勉強が苦手で、成績はクラスで下から2、3番目。ずっと劣等生でしたから、家族や先生は大反対。わざわざ外部受験をして大学進学できなかったらどうする、内部進学すれば良い、と。

それでも、私には「体育教師になりたい」と、確固たる意志がありました。通っていた学校の教えのひとつに「信念徹底」とありましたので、やりたいことが見つかっている私の状況は、むしろ喜ばしいことじゃないかとさえ思っていましたね。

周囲の反対を押し切って外部の大学を受験し、一浪しましたが、希望の大学に進学することができました。

「学び方」を選べる環境を作りたい


大学での学びは、自分の好きなことだったので、自発的に楽しく勉強できました。高校時代までずっと劣等生でしたが、大学では優等生でした。「やりたいこと」であれば、どんどん学べると実感しましたね。

好きなことを一生懸命学べる。一方で、高校までそうではなかったので、「いったいこれはどういうことなんだろうか?」と考えるようになりました。

考える中で、日本の教育は、不特定多数の人に向けられたもので、一人ひとりに合わせたものではないと感じ始めました。高校時代はそれはそれで受け入れていたんですけど、大学に入ってからは、苦手だった数学や理科も、自分の好きな体育に関係する勉強の中で自然と興味を持つことができて。「個人に合った学びの環境」があったら、色々な学びに対して、もっと興味を持てるんじゃないかと考えるようになりました。

医学部に進んだ友人から、「あなたはなりたいものがあって良いよね。私は医者にはなりたくてなったんじゃない、なれるからなったんだ」と言われたことも衝撃的でした。私はなりたいものが運良く見つかった。けれど、考えてみれば、そもそも「興味を持てるものと出会えるかどうか」は、運に任されている。学校の中では、皆と同じことをすることが求められ、その中で「やってみたいこと」「興味のあること」をたまたま見つけられる人もいれば、そうでない人もいる。

友人の言葉を聞いて、ますます、「どういう学び方で学ぶのか」を学ぶ側が選べる環境が必要だと感じ、それぞれの人に合った学びの場を実現したいと考えるようになりました。

そんな時、アメリカに「チャータースクール」というものがあることを知りました。州から認定を受ければ、公立学校として認められ、かつ既存の学校教育の方針に縛られずに、独自の教育を提供できる仕組みでした。この仕組があればそれぞれの生徒に合った学びの場を提供できる。

日本でも導入できないかと考え、チャータースクールを推進している人たちの勉強会に参加したところ、日本にも制度を導入しようと政府や行政に働きかけている人は、多くいることが分かりました。

誰かが動いてくれているなら、いつか制度は変わる。それなら、私は制度を変える働きかけをするよりも、日本で制度が導入された時にすぐに動けるように実践を積んでおきたい。そう考えるようになりました。

教育現場と制度を繋ぐ存在に


将来、学校を作るためには、教育の現場を知ることが必要だと考え、大学を卒業した後は、私立の中高一貫校で教師として3年ほど働き、その後、東京都の公立学校の講師として働きました。私立の学校しか知らなかったので、公立の学校も知りたいと感じていたところ、タイミングよく知り合いに紹介されたんです。

講師として色々な学校に行き、体育を教えました。普通中学高校だけでなく、特別支援学校、定時制高校、通信制高校、チャレンジスクール、小学校など、様々な形態の学校を知ることができました。

講師の仕事の合間に、時間を作ってアメリカに3ヶ月ほど行き、「PBL(プロジェクトベースドラーニング)」が実践されているチャータースクール校を見学しました。プロジェクトベースドラーニングとは、生徒が自分でテーマと目的を決めて、体験学習や問題解決学習を行い、研究結果を発表するというスタイルの学習方法。

見学した学校のひとつでは、ほぼ全ての教科がプロジェクト化されていて、学校の先生や子どもだけではなく、地域の人たちも巻き込んで教育が行われていました。このスタイルは、活用の幅が広く、また日本の教育現場でも総合的学習の時間などで取り入れやすいものだと感じましたね。

また、オランダにも学校視察に行きました。オランダでも学校設立の自由が保障され、「オルタナティブ学校」が公立学校と同じ扱いを受けていました。学校の総数の2割を占め、種類がいくつもあり、学ぶ側が選べる環境。一つの地域に色々な種類の学校があるので、もし自分に合わなければ、別の学校に転校できる。

選択する難しさはありますが、選べること、自分に合った教育を探せる環境があることはいいことだと感じましたね。ただ、この制度を日本に導入するのには、時間がかかるだろうとも感じました。

様々な教育の実情を知り、先生たちの生の声を聞いていくうちに、学校を作ることだけが全てではないと考えるようになりました。新たな学校を1校つくることも大事だけれども、現在の日本の教育現場に新たな取り組みを紹介し実践をサポートしていくことの方が、効果が大きいのではないかと感じたんです。

教育現場の先生たちの中には、何が良いのか分からなくて、もがき苦しむ人がたくさんいました。私は教師として中から改革するよりも、外から支援することの方が得意。教育現場と仕組みを繋ぐ役割こそが、私のすべきことではないかと考えていました。

NPO法人と株式会社を作っての独立


アメリカ、オランダの旅から帰ると、「PBLを実践する場」を作るために、教員時代の同期と一緒にNPO法人を立ち上げ、学校や企業にプログラムを提供し始めました。PBLが実践されたら、「やりたいことから学ぶ」場所が作れると感じたんです。

2年ほどは東京都の講師と並行して活動していました。その後、NPO法人だけでなく、株式会社もあった方が、やりたい仕事をする上で便利だと感じたので、2009年、株式会社アソビジを創業しました。この時に講師の仕事は辞めて、教育現場で頑張る現役の先生や、先生を目指す人のための仕事に集中することにしました。

2011年3月に東日本大震災が起きてからは、被災地での活動も始めました。とにかく何かしたいと思い、友人たちと団体を作りました。最初は落ち着いて避難できる場所を確保することが大事だと思って現地に行くと、そのニーズはありませんでした。じゃあ他に何が求められているのか考えると、子どものサポート、支援の場が必要だとたどり着きました。

被災地では、復旧の仕事が忙しくて、子どもを見てあげられる大人がいなかったんですよね。子どもたちは、瓦礫の中で遊んだり、避難所で漫画を読んだりごろごろすることしかできない。十分に遊べず、窮屈さを味わっていました。そこで、子どもたちをサポートする場を作ろうと考え、放課後の時間に子どもたちと一緒に遊んだり、学校の先生のサポートをしたりといった活動をしました。

これまで培ってきた「教育」という自分の専門性を今活かせなかったら、意味がないと思って、活動に取り組みました。

誰しも変わるし、成長できる


現在、NPO法人と株式会社では、「先生の学校」の企画など、学校の先生や先生を目指す人など、「教育に関わる大人」向けプログラムの提供をしています。提供したい価値は同じです。

根底にあるのは、大学時代からの想いと変わりません。「学び方」を学ぶ側が選べる環境を作りたいんです。そのために、学校に関わる人と一緒になって、今の教育現場をより良くしていきたいと考えています。特に、義務教育が変われば、多くの子どもにとっての教育の質を高められると思っています。

一方で、チャンスがあれば、自分たちの学校を作りたいとも考えていますね。モデル校を作って、自分たちでも色々な学び方の選択肢を提供してみたいです。

企業で働く人向けの研修も提供しています。大人ができていないことは子どももできるはずがない。逆に、大人が変われば、子どもも変わる。楽しく、遊ぶように働く大人を増やすことも大切なんです。

それから、震災復興支援も続けています。今は、仮設住宅での遊び場の運営、託児所の運営、学校と地域を繋げるサポートと、3つの活動をしています。この活動もライフワークのひとつとして、これからも関わり続けたいと思っています。

私は、教育に対して、根本に「誰しもが変われるし、成長できる」という想いがあります。諦めが悪いんですよね。ただ、私が何か影響を与えることで変わってもらえるのではありません。変われるかどうかは本人次第で、他人が変えることはできない。でも、ダメだと決めてしまったら、そこで関係は終わってしまう。絶対に変われると本人が自分を信じて「成長しよう」ともがいている時に、伴走するのが好きなんです。

いつもと違う世界が見えたら、人は変わることができる。周りが見せてあげるのではなく、本人が見ようとしたら変わる。そうやって、学ぼうとし始めた人が、自分にあった学び方を選べる環境を作るために、私はこれからも教育に携わり続けます。

2016.01.04

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