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バドミントンに救われ、生かされている。
人生をリセットした今、伝えたいこと。

小椋 久美子さん/バドミントンを通じて自身の経験を伝える

はてぶ

バドミントンを通じてスポーツの楽しさを伝える活動を行う小椋さん。北京オリンピック5位入賞、全日本総合バドミントン選手権では5連覇という華々しい成果を残す一方で、怪我や周囲の期待に葛藤することもあったそうです。現役を引退し、「人生をリセットした」と語る小椋さんが、今伝えたいこととは。お話を伺いました。

純粋にシャトルを追いかけるのが好き

三重県三重郡川越町で生まれました。4人兄妹の3番目で、小さい頃から好奇心が強くて怖いもの知らずな性格でした。親に怒られて、押入れに入れられてもそのまま寝てしまう、外に放り出されてもどこかに行ってしまう。私だけピーピー音がなる靴を穿かされたこともありました。

小さい頃から運動が好きで、水泳、合気道など、習い事をたくさんしていました。その中で一番早く結果が出たのがバドミントンでした。姉の影響で8歳から始めて、シャトルを追いかけるのがすごく好きだったんですよね。相手が決めようと思ったショットを拾ったり、相手が読んだ逆のコースにショットが決まったりするのが快感だったんです。一対一でシンプルだったのもよかったですね。

小学3年生の時に県大会で3位になって、4年生からは東海大会で連続優勝。水泳とか他の種目だとどうしても勝てない子がいたんですが、バドミントンではそれがなくて、3つ上のお姉ちゃんと互角に打ち合えることもありました。負けず嫌いな性格だったので、どんどん上達していきました。

中学のバドミントン部は、県内では強い方でしたが、顧問の先生はソフトテニスをしていた方でしたし、全国区の強豪校とは全く違いました。私自身、全国大会に出るようになってからも、純粋にシャトルを追いかけるのが好きなのは変わらなくて。好きなことを続けていたら結果が出て、というような感覚です。とにかく大好きすぎて、楽しすぎて、1日も練習を休んでないんですよね。中3の時には全国で3位になり、大阪の強豪校から推薦のお話をいただきました。

でも、進路はすぐに決められず迷いました。実は、小学生の頃から保育士になりたかったんです。とにかく小さい子が大好きで、8個下のいとこの面倒を見るのがすごく楽しくて。だから、元々は地元の高校に推薦で入って、卒業後は岐阜の短大で保育士の免許を取ろうと考えてました。もし大阪の高校に行くなら、保育士の夢は捨ててバドミントン選手を目指すことになる。分岐点でした。

最終的には、大阪の高校に進学しました。やっぱり毎日やっているバドミントンの方が、保育士よりリアルなイメージを描きやすかったんです。小学生の時から地元の高校にお世話になっていたので、県外に出ることで三重県を裏切るような申し訳なさがあったんですけど、母や顧問の先生が「こっちは全部任せていいから、自分の好きな道に行っていいよ」って言ってくれて、心が決まりました。期待や愛情を感じるのと同時に、それに応えようっていう責任感も生まれましたね。

もう自分一人のバドミントンじゃない