働く人が幸せになれる職場環境を。歯科医院で院長の妻としてできること。

横須賀市にある歯科医で、歯科衛生士として働きつつ、医院長の妻として経営にも携わる齋藤さん。「今の仕事は家業」と話すようになるまでに、どのような体験をしてきたのか。お話を伺いました。

齋藤 友美

さいとう ともみ|歯科衛生士
歯科衛生士。さいとう歯科医院にて働き、現場と経営の仕事に携わる。

命の「重さ」に耐えられない


神奈川県横須賀市で生まれました。幼少期は内気で泣き虫でしたが、成長するに連れて活発になり、学校の帰り道木登りをしたり、松葉杖の真似をして傘を折ってしまって母に叱られたり、元気に遊ぶこどもでした。

近くに住む幼馴染の影響で、幼稚園から高校卒業までピアノを習っていました。練習はあまり好きではなく、ポップスの弾き語りなど、自分の気に入った曲を自由に弾くことを楽しんでいました。

医療系のドラマやドキュメンタリー番組を見るのが好きで、特に手術シーンの看護師に憧れていました。中学3年生で、みんなが進路を決める頃、「なんとなく医療系がいいかな」と漠然と考えていて。でも、「医者は私の学力じゃ無理」と思い、目指そうともしませんでした。

ある日、担任の先生に勧められて、看護学科のある高校に見学に行きました。看護学校では、今まで見たことがなかった赤ちゃんの標本を見ました。胎児の標本が、1ヶ月ごとにあるんですよ。胎児が形になった時期のものからなんですけど、3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月と標本が置かれていて。それを見た時に、かなりの衝撃を受けましたね。私、ちょっとこの重みに耐えられないかもと思いました。

怖いというのとも違うような気がするのですけど、逃げ腰になったというか。「なんとなくなりたい」で進んではいけない気がして、自分の責任感に自信がなかったというか。

結局、「高校に入ってから考えてもいいんじゃない?」という母の言葉に納得し、普通高校に進学しました。

歯科衛生士という職業に出会って


高校卒業後の進路を決める時、ピアノを活かした職業の専門学校に行くか、医療関係の学校に行くか悩みました。医療に興味を持ちつつも看護師になる覚悟はない。他に医療職の資格が取れる学校は何かないかと就職雑誌をめくっていると、歯科衛生士という仕事を見つけました。

「歯科医院の花型」とか、「就職率100%」とか、ちょっと聞こえの良い文句が書いてあったので、これだと思ったんです。仕事内容はよく分からず、何に惹かれたのか分かりませんが、見つけた瞬間、「決めた!」と。直感でした。国家資格だし、就職に困らないとも思いましたね。母には「そんな大変そうな学校、あんた大丈夫?」と心配されましたが、とにかく「歯科衛生士になる」と決めて、進学させてもらいました。

専門学校の勉強は科目がたくさんあり大変でしたが、楽しかったですね。自分のやりたいことでしたし、仲間と一緒に勉強するのが好きでした。

2年間で学校を終え、歯科衛生士の国家試験に通り、学生時代にお世話になっていた専門学校の附属病院で働き始めました。朝が早い上に、夜間診療がある日は夜の10時頃まで働くこともありました。

それでも、勉強から開放された喜びや就職できた喜びで、夜間診療がない日は仕事が終わると即座に買い物に行ったり飲みに行ったりと、遊びばかり充実していました。元々練習嫌いでしたし。

ところが、1年ほど経ったある日、先輩から叱られてしまいました。1年も経つのに、知識が全然ついていないし、知識を得ようとする姿勢も見られない。「このままでいいと思っているのか?」と。

突然そんなことを言われたので、ショックでした。「指示されたことはやってるのに」と、反発する気持ちもありました。ただ、冷静に考えれば確かにその通りだと思いました。その先輩は、時間と労力を使って私に色々教えてくれていたので、素直に話を聞けたんだと思います。

それからは、自宅で新しい治療の勉強をしたり、休日にセミナーへ行ったり、実践を積むために他の医院でアルバイトさせてもらったりしました。先輩の言葉が、私の「やる気スイッチ」を押してくれたんですね。感謝しています。

練習嫌いも、同期や仲間と一緒だったので克服できました。練習を重ねるに連れて、技術的な成長を実感できましたし、患者様から感謝されることも増えてきて、仕事の楽しさを感じるようになりました。そのうちに「歯科」で働くことのやりがいや充実、面白さにのめり込んでいきました。

7年ほど働いたタイミングで、歯科衛生士の現場から専門学校の教務へと異動しないかという話が出ました。会社の意向と反して、私としてはもう少し現場の仕事を続けたいと思い、転職することにしました。

崩れ落ちた7年の経験と自信


転職先は、全国から患者様が来るような、最先端のインプラント治療が行われる医院でした。ただ医院長がすごい怖いんですよ。スタッフがちゃんと対応できなかったりすると、注意どころじゃなくて、罵倒する、ものを投げるような人で。「自分がちゃんとできるようになれば、そんなことされなくなるのかな?」と思いながら、毎日が憂鬱で仕方なかったです。

新しい環境のやり方に馴染めず、周りにマイナスの影響を与えるからと「マイナススタッフ」と呼ばれました。休み時間になると、医院や院長の不平不満愚痴文句ばかり言っていました。7年間やってきた治療のやり方が考え方が身についてしまっていて、それを新しい医院のやり方に変えられなかったので、どんどんマイナスのスパイラルに入っていったというか。そこに馴染もうとすらしていませんでした。私が変われなかったのが一番の原因でした。

結局、3ヶ月で辞めました。このままだと、自分らしく生きられないと思ったんです。

完全に自信を失い、歯科衛生士以外の仕事をしようと、カラーコーディネーターの試験情報を見てみたり、おしゃれなカフェや、写真家のアシスタント、といった求人情報を見てみたりもしました。でも、行動に移すほどの情熱は持てませんでした。国家資格の歯科衛生士とお給料も全然違いますし。

そうやって1ヶ月ほど何もせず実家で過ごしていると、両親から「そろそろ働いてくれ」と言われてしまい、歯科医院での仕事を探すことにしました。結局、家から通いやすい場所にあった、歯科医院で働き始めることにしました。

新しい職場の雰囲気は、あまり良いものではありませんでした。スタッフ同士が悪口を言い合ったり、喧嘩をしたりすることも日常的で、かなり険悪な雰囲気でした。掃除が行き届いていなくて、ホコリが溜まっているような所もありました。

一方で医院長は、前職の経験を持つ私を貴重な存在としてありがたがってくれました。新卒で勤務した医院で経験したことや、自分の考え方は間違っていなかったんだと、自信を取り戻せましたね。自分をまるごと受け入れて認めてもらえたようですごく嬉しかったです。

なので、医院長に協力しようと、一つ一つの仕事を早く終わらせて、空いた時間で掃除をしたり、使いやすく工夫したり、環境を整備していました。

医院長の妻として


働き始めて数年した頃に、医院長と結婚しました。歯科衛生士としてだけでなく、医院長の妻として、経営にも関わるようになりました。「経営者の妻は経営者」となるわけです。

スタッフだったそれまでとはわけが違い、何かする度に、「それって経営者の妻としてどうなの?」と医院長から言われるようになりました。私なりに色々考えた上での行動なのに「なんで分かってくれないんだろう」と悲しくなりましたね。「もう何もしたくない!」と、ふてくされたこともあります。

でも、感情に振り回されていたら、人生の時間がもったいないと気づいたんです。それからは自分をコントロールできるようになりました。私は私自身の経営者なんです。マイナスの感情が起きても潰されないと心に決め、つまんない感情に振り回されて行動をやめないようにしようって思ったんです。

そう決めてから、医院長である夫との関わり方が変わりましたね。お互いの価値観を一致させるために、仕事でもプライベートでも、なるべく何でも一緒にすることにしました。そうすると、それぞれが勝手に動いてお互いの溝が深まることなく、ふたりの間での共通言語が生まれるんです。夫婦で経営することがどういうことか、徐々に分かりました。

とはいえ、いままでのやり方を変えるといった方針を掲げると、「ついていけない」と辞めてしまう人も多くて、思うようにうまくいかないこともありました。医院を経営していく上で、患者様を増やさなければならない。そのためには、患者様に選んでもらえるような歯科衛生士と歯科助手を増やす必要がある。どうしたらいいか夫婦で真剣に話し合い、歯科医院向けのコンサルタントに入ってもらい、ノウハウを取り入れることにしました。

それまでは、シフトに入っているメンバーでその日その日で診察をしているだけでしたが、メンバーお互いが考えていることを共有するために、スタッフ全員でミーティングをすることにしました。他の医院さんで取り組んでいる良い事例をシェアして、自分たちでできそうなことを考えたりするんです。「どうしたらもっと患者様に喜んでもらえるか?」とか話しました。

外部のセミナーで聞いたことをスタッフに共有して知識がつくと、患者様に丁寧な説明ができるようになります。徐々に患者様が増え、スタッフが辞めたり入ってきたりといった出入りも以前よりは落ち着きました。小さなことでも周りへの感謝の気持ちを伝えるようになったり、組織の雰囲気も少しずつ変わりました。

関わる全ての人が幸せに働ける職場を


現在は、京急久里浜駅近くのさいとう歯科医院を医院長と一緒に経営しつつ、歯科衛生士として現場にも立っています。

歯科衛生士としては、患者様から「眠くなっちゃったな」と言われる瞬間が一番嬉しいですね。実際にウトウトされる方や眠ってしまう方もいます。それだけ自分を信頼して、身を預けてくれるということですから。

患者様の中には、涙ながらに人生の悩みなど聞かせてくださったり、逆に私を励ましてくださったりする方もいます。お口のケアを通して関わるうちに「あなたに会えて良かったわ!」と言っていただくこともあり、歯のことだけでなく、患者様のライフスタイルに関われる仕事につけて、本当に良かったと実感しています。

一方で、マネージャーとして、スタッフを教えたりする立場になって、また違った喜びを感じますね。研修体制をしっかり作って、スタッフが成長するのが嬉しいんです。患者様のため、医院のため、自分の成長のため、一緒に働く仲間のために一生懸命になれる仲間をどんどん増やしていきたいですね。

今後は、女性スタッフがもっと働きやすい環境を作りたいと考えています。女性は結婚や出産で生活のスタイルが変わるので、女性に合わせてフォローできる体制を作る必要があります。子どもが風邪を引いてしまった時など、なるべく融通が効くようにしたいんです。まだ十分な体制を築けているわけではないので、誰かが休んでも大丈夫な体制やチームワークを作りたいですね。

そうやって、スタッフが笑顔になってもらえるような職場を作りたいです。働くスタッフが笑顔でないと、患者様も笑顔になりませんから。まずはスタッフの人に、「ここで働くのが楽しい」と思ってもらえるような環境づくりをしたいです。「明日も仕事か・・・」とネガティブな思いはしてほしくないですから。

さらに、いきいき働くスタッフの家族まで幸せにできればと思います。楽しい職場を作っていき、私自身も、心に余裕のある生活を送りたいですね。

夫婦で経営していると、私が医院の中にいるから色々ややこしくしているんじゃないか、と思うこともあります。しなくてもいい心配や不安も正直たくさんあります。それでも、ふたりで悩みを共有できるのは、やっぱりいいことだと思います。苦しみは半分、楽しさは二倍ですから。関わる全ての人が笑顔で幸せに暮らせるような歯科医院を目指して、夫婦で頑張ります。

2016.03.18

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