私は広島県広島市で、自衛官の父と看護師の母を持つ家庭に生まれました。固い仕事に就く父とは対照的に、叔父は2代目の経営者で、山口県に30件以上の店舗を構えるチェーン店を運営しており、小さい頃から両極端な大人と接しながら育ちました。

そして私が憧れを抱いたのは、経営者の叔父の方でした。何に対しても「どうして?」と質問を投げかける私に対し、父は「そういうものだ」とか「そんなの知るか」という態度だったのが、叔父は「なんでそれを気にするの?」と深堀りをしてくれたんです。また、どこか野心的な雰囲気にも魅力を感じていました。

また、普通の人と同じことをするのが嫌なやんちゃ坊主だったこともあり、皆が学校に近いからという理由で同じ学校に行くことに違和感を感じ、中学受験をして、大学まで続く私大の附属校に入学をすることに決めました。

ただ、その学校は第一志望でなく、皆親がお金持ちの子どもが通うような学校だったため、公務員の家庭に育った私は劣等感を感じてしまい、いまいち馴染めない日々を過ごしました。同級生達は大きな家に住み、ファミコンのカセットも沢山持っていて、入部したテニス部のラケットも、とても高価な物ばかりだったんです。正直、暗黒時代と言ってもいいほど、あまり学校生活を楽しめずにいました。

また、そんなコンプレックスや叔父への憧れもあり、中学生の頃から、将来は起業して社長になろうと決めていました。何をするか、いつ起業するか等は全く決めていませんでしたが、周りにもそう伝えていましたね。

しかし、高校に進学すると、成績優秀者が集まる特進コースに入ることができ、そこには外部からの受験生も多数入って来たため、人の幅も広がり、カルチャーも変わっていき、次第に私自身前向きになっていきました。遊んでばかりの学生でしたが、学校は無遅刻無欠席で、瞬発的な勉強が得意なため定期テストの成績も良いタイプでした。

ただ、そんな風に要領よく物事をこなしながらも、大きな挑戦は避けてしまうタイプだったこともあり、大学はそのまま附属校に内部進学で入学することに決めました。成績的に内部でも行けることが決まってからは、受験勉強をするよりも、ユニークなアルバイトをする方が将来に繋がるんじゃないかと思っていたんです。高校生ながら夜のクラブでボーイのアルバイトをする等、中途半端な生活でした。

大学に入ってからは、青年実業家の先輩の事業を手伝い始め、絵画の販売やブティックの運営を行っていました。授業にはほとんど行きませんでしたし、仕事で稼いでいたこともあり、大学生ながら外車を乗り回していました。

そんな風にビジネスには早い段階で触れながらも、「どうやったら何の仕事で起業できるんだろう?」ということは常にもやもやと考えていましたね。