世界中の人を幸せにする。研究者を超えた実践者としての取り組み。
慶応義塾大学で「幸福学」を研究する前野さん。研究の範囲は、理工学から心理学、社会学、哲学まで、様々な分野にまたがり、全ての研究は、「世界中の人の幸せと平和に貢献するため」と話します。工学部を卒業し、エンジニアとしてのキャリアを歩んだ前野さんが、なぜ研究者に転身し、「幸福学」の研究を始めたのか。お話を伺いました。
前野 隆司
まえの たかし|世界中の人々の幸福と平和に貢献する
慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科委員長・教授 兼 システムデザイン・マネジメント研究科付属システムデザイン・マネジメント研究所長。
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人の心に興味がある子ども
山口県に生まれ、広島県で育ちました。活発な性格ではなく、運動よりも喋っているのが好きでした。
変に大人びていて、友達が話題にしているテレビ番組などには興味がありませんでした。それよりも、「自分とはなんだろう。世界とはなんだろう。宇宙とはなんだろう」といった、抽象的なことを考えるのが好きで、本を読み漁っていました。
心の研究をする哲学者、絵を描くのが好きだったので画家、「資源が少ない日本を豊かにするには、科学技術が必要だ」と聞いていたのでエンジニア、と将来なりたいものはいくつかありました。
画家になっても、成功するのはほんの一握りの人だけ。エンジニアだったら大抵の人が食べてはいける。画家で成功する自信はありませんでしたし、文系科目より理系科目が得意だったこともあり、画家や哲学者の夢は諦め、大学は工学部に進みました。
しかし、入ってみると、工学部の勉強は面白いと感じられませんでした。最低限授業に出るだけで、美術部の部室で絵を描いてばかりいました。
ところが、4年生になって卒業論文を書き始めると、工学の楽しさに気づきました。それまでのように理論や方程式を覚えるのではなく、理論を駆使して創造的にシステム全体の設計をするのが得意だったんです。
卒業論文は4ヶ月ほどで出来上がりました。論文にまとめて投稿したところ一流の論文誌に掲載され、翌年東京大学の講義で使われました。「工学の研究って楽しいんだ」と感じ、大学卒業後は、研究を続けるために大学院に進学しました。
2年間で修士課程を終えた後は、カメラ・事務機器製造メーカーに就職しました。博士課程に進み研究者になることも視野に入れていましたが、大学の世界に対して「閉ざされている」印象があり、魅力を感じられず、外に出ることにしたのです。
企業エンジニアから研究者の道に
入社してからは、学生時代から取り組んできた振動の研究を活かし、「超音波モーター」の開発を行いました。超音波モーターは、カメラのレンズに用いられるものです。開発に携わったカメラは、世界中で販売されていました。日本でも世界でも、どこに行ってもそのカメラを持っている人がいる。自分の仕事の成果が目に見えて、心から嬉しかったですね。
入社して4年経つ頃、超音波モーターの最先端技術を学ぶため、会社の制度で2年ほどアメリカの大学に留学しました。将来博士号を取ろうと思っていたので、会社だけでなく、自分のキャリアにもプラスになると考えていました。
留学してみて、アメリカの大学院の、日本と全く違うシステムに、大きな衝撃を受けました。
先生が初日に、「一番優秀な学生は質問しない。次に優秀な学生は一度の質問で理解する。最悪なのは、何度も質問する学生だ」と言うんです。学生はみんな、先生に質問するのではなく、自分たちで協力して研究するようになります。日本だと、先生の研究の一部を手伝うように指示されるのが一般的なので、雰囲気が全く違いました。
世界中から集まった優秀な学生が自由に研究を進めるだけでなく、アメリカの大学では企業との共同研究も盛んでした。良いものが生まれるはずです。学生時代に抱いていた「大学は閉ざされている」というイメージが変わり、アメリカのようなシステムで研究できるなら、研究者になるのも良いなと感じましたね。
とはいえ、仕事は楽しかったので、定年近くになって社長になれなかったら、50歳くらいで大学に移るか、という程度の思いでした。ところが、50歳くらいの研究者を採用するのは、トップクラスには入らない様な大学の場合が多いことに気づきました。50歳くらいの人を採ってスター教授にして、学生を集めるんですね。
いい大学では、若い研究者を大学内で育てている。慶応義塾大学の公募を見て、35歳前の方が移りやすいことに気づきました。他の大学もそうでした。後から入る方が、より実績を求められる狭き門なんですね。
だったら受けてみるかと気楽に受けたら、受かってしまった。じゃあ、早いけどいいかな。そう思いました。キヤノンもものすごく好きでしたが、恩師の「仕事は適当に選べ」という言葉が後押しになりました。慶応は私立の中でも新しい気風があるし、可能性がありそうだな。そんな感覚で、9年勤めた会社を辞めて、慶応に移りました。
工学と倫理学の統合
大学に来てからは、ロボットの研究を始めました。僕の専門分野の、「振動」や「モーター」は、カメラに限らず、色々なものに応用できます。学生に人気があるのはロボット研究だったので、ロボットハンドを動かすための自由な方向に回転するモーターや、触覚センサーなど、ロボットの部品の研究をすることにしたんです。
始めの1年間は、苦労しましたね。大学での評価は、書いた論文の質と量で決まります。若い頃から大学で研究している人と比べて、僕は論文の数が圧倒的に少なかったので、しばらくは評価されませんでした。悔しくて、歯を食いしばって仕事をしました。
その甲斐あって、2年目には、研究成果を出せるようになり、賞も取りました。自発的に研究を進めてくれる優秀な学生が研究室にたくさん来てくれ、どんどん良いものが生まれました。次第に、部品ではなくロボットそのものを作りたいという学生も集まり始め、研究範囲はロボット全体に広がっていきました。
ロボットの機械的な部分を全体的に作れるようになると、ロボットの心にも興味が湧いてきました。ロボットの心の作り方を考えるためには、人の心がどう作られるかを知らなければなりません。工学だけでなく、哲学や心理学も学ぶようになりました。
ロボットの研究を進めると、小さい頃から興味を持っていた「人の心を知ること」につながる。「ここにやりたいことがあったな」と思いましたね。
同じ頃、大学で「技術者倫理教育」を科学技術教育の中で必須にしようという動きがありました。技術の発展にともない、「どんなものを作るべきか。作るべきではないか」といった倫理観が、技術者に一層求められるようになっていました。「『べき』について考える倫理は心の本質の問題だ」と、ピンと来て、技術者倫理の担当を務めることにしました。
工学の研究と並行して、倫理学者や哲学者との交流を通じて、倫理学を学びました。工学と倫理学。価値を扱うという意味で本質的に近いところにある学問なのですが、日本の大学では理系と文系に分かれていて、お互いの交流はほとんどありません。どちらも研究する立場にあって、不満ではなかったものの、やりづらさを感じるようになりました。
倫理学を学び始めて8年ほど経った頃、学内で、理系・文系を横断してシステムズエンジニアリングを包括的に研究する「システムデザイン・マネジメント研究科」を作る、という計画が持ち上がりました。システムを包括的に考える上で、倫理学や哲学も必要だと提案し、自分が担当したいと自ら手を挙げました。これで、文系・理系に分かれている「工学」と「倫理学」を包括的に研究できると思いました。
幸福学はポジティブな倫理学
僕は、倫理学の中でも、「ポジティブな倫理学」を研究したいと考えていました。倫理学では、「これはすべきではない」など、ネガティブなことに対して考えることが主流でした。でも、「幸せになるにはどう生きるべきか」とポジティブなことを考えるのも倫理学です。
そこで、新設されたシステムデザイン・マネジメント研究科に移ってすぐ、ポジティブな倫理学である「幸福学」の研究を始めました
僕自身は日頃から「幸せ」を強く感じていたので、それを解き明かしてみたい気持ちもありました。人はどうやって幸せになるのか。そのプロセスを解明することで、多くの人の幸せに貢献できるのではないか。
エンジニアとして長年歩む中で、「技術は本当に人を幸せにしているのか」と、疑問を感じ続けていました。学会で賞を取っても、研究者の虚栄心が満たされるだけで、実用化されない研究がたくさんありました。
日本人の1人あたりの実質GDPが上がって、生活が豊かになっても、生活満足度は上がっていないというデータもあります。
技術を使って経済を豊かにしても、人の幸せに直結しない。それなら直接的に幸せに繋がることをしたい。そんなことを考えていました。
幸福学を研究すると宣言すると、周りには驚かれましたが、自分の中では一貫性のある選択でした。自分にとっては、工学の一層外にある倫理学に研究範囲を広げたように、倫理学の中でも一層外側にある「ポジティブな倫理学」へ広げただけでしたから。
過去にも、ポジティブ心理学や幸福学は研究されていましたが、部分的であったり、主観的なものだったりと、体系化されたものはありませんでした。そこで、工学的で客観的なアプローチをして、世界中の研究をまとめて解析し、体系化することを始めました。
数年間の研究の末、「幸せの4つの因子」を見つけました。色々な要因の中で、鍵だと思われる4つの因子です。それぞれ、「やってみよう!」因子、「ありがとう!」因子、「なんとかなる!」因子、「あなたらしく!」因子と名づけました。今までにない体系化された「幸せ」の研究の成果として、革新的なものが見つかったと感じましたね。
幸せになるための方法が分かると、今度はその方法を多くの人に伝えて、「世界中の人を幸せにしたい」と思い始めました。最初はどうしていいか分からず、中々踏み出せなかったのですが、講演会や授業で、「僕は世界中の人を幸せにしたい」と言葉にしてみたら、多くの反響がありました。その瞬間、自分の世界が変わるのを感じました。
「幸せ」は多くの人が必要としている。研究室や学会という狭い世界にこもるのではなく、もっと広い社会に広めるべきだと確信しました。
世界中の人の幸せと平和に貢献する
研究者としてではなく、「実践者」として世界中の人を幸せにしていこうと決めてから、出会う人の数が一気に増えました。今は、色々な人や企業と一緒になり、幸せのメカニズムを伝えたり、実生活に活かしたりするための活動をしています。
幸せ度を高めるワークショップを提供したり、「幸せ」なサービスや商品の開発をしたり、「幸せ」な会社経営に取り組んだりと、それぞれの人がやりたい形に合わせて色々なことをしています。色々なことが起きすぎて、自分でも整理ができていないですね。
最近では、夫婦や家族向けのワークショップが、特に感動的でした。家族の繋がりは、分かりやすく幸せを感じさせてくれるものです。ワークショップ中に、それぞれの夫婦のシルエットが重なって部屋中に愛が溢れているのを感じられたり、子どもが自発的に親に感謝を伝え始めて絆が深まる瞬間を見られたり。最高でした。
僕も、妻も幸せにすることを第一に考え、それを公言しています。研究に夢中になってしまい、自分ばかり幸せになって、妻を置いてけぼりにしてしまっていた時期がありました。大きな反省です。夫婦ふたりでワークショップの司会をするようになったのですが、それからはお互い幸せ度が上がったと実感しています。
実践者として幸せを広めていく活動をしながら、幸せを体系化する研究も続けています。中立的な立場にある大学だからこそ、できることがあります。世界中の人の幸せに繋がるものであれば何でもしようと思っているので、研究において特定の目標を持たず、学生にはそれぞれが好きなことを研究してもらっています。また、「人間にかかわるシステムであれば何でも対象にする」と決めて、幸福学に限らず、理工学から心理学、社会学、哲学まで、様々な分野にまたがる研究をしています。
直近の目標は本を書くことですね。幸せの4因子に関してまとめた『幸せのメカニズム』という本の続編として、具体的にどうしたら幸せになれるのか、ノウハウ集のようなものを書いて、広めたいのです。
会社員時代、自分は最高に幸せだと思っていましたが、研究者として自分で舵を取るようになり、幸福度はさらにとんでもなく上がりました。研究者の枠を超えて色々な人と出会うようになってからは、より幸せを感じるようになりました。
さらに、人の心を研究する中で、「心は幻想である」と分かってからは、幸せの天井が見えた気がします。心なんて存在しないなら、死も怖くない。死が怖くなければ、何も怖くない。悟りを開いた人って、こういう「曇りなき幸せ」を感じているのだと思います。
これまで、転機がいくつかありましたが、それぞれの転機において、何も捨てる必要はありませんでした。いつも、これまでやって来たことの延長として、できることをゆっくりと広げてきました。その結果、50歳にして、世界中の人を幸せにしたいという大きな夢が見つかったのです。
これからも世界中の人の幸せと平和に貢献していきます。
2016.01.27