アフリカで切り拓く、可能性をふやす未来。悩みながらでもいい。心が動く直感を信じて

ケニアに移住し、貧困層の事業主たちへ、マイクロファイナンスを提供する小林さん。理念を「可能性をふやす人を、ふやす。」と掲げ、アフリカの経済発展のため文化を根付かせたいと語ります。その想いの原点とは?お話を伺いました。

小林 嶺司

こばやし れいじ|株式会社HAKKI AFRICA 代表取締役 CEO
株式会社HAKKI AFRICA 代表取締役 CEO 大学を中退し、インテリアEC事業で起業をする。2013年より鎌倉に本社を移し、シェアオフィス・シェアハウス・ゲストハウスを次々にOPEN。4年で13店舗まで伸ばし、地域No.1になった所で事業売却。2019年よりアフリカ・ケニアのスラム街へ引っ越し、マイクロファイナンス事業のスタートアップHAKKI AFRICAを起業。

心許せる友達がいなかった


神奈川県茅ヶ崎市出身です。住んでいた場所は、集落と集落の間隔が500メートルほど離れているような田舎町。自然豊かだったため、小学生の頃は木登りや秘密基地づくりをして遊んでいました。好奇心が旺盛で、隣町まで自転車を漕ぎ、冒険をするのが好きでしたね。自分が行動したぶんだけ世界は広がるんだと知り、新しい価値観に触れることが楽しかったです。

でも、コミュニケーションは苦手で、極度の人見知りでした。小学校では心を許せる友達が一人もできませんでした。クラスのどのグループにも属さない一匹狼でしたね。

地元の中学校へ進学後も、その性格は変わりませんでした。自分の行動を人に見られることが恥ずかしく、入っていたサッカークラブでは「あまり上手くない自分のプレーを他人に見せていいのだろうか?」と思うほど。逃げるように自分の存在を消して過ごしていました。教室でポツンと一人、まさに影のようでしたね。

高校に進学すると、クラスメイトに恵まれます。協調性のある子達ばかりで、人の悪口を言う子はいませんでした。行事にも協力的で「みんなで一緒にやろうよ」意欲的な子が多かったですね。そんな雰囲気の中、教室でだんだんと自分を表現できるようになっていきます。友達と話しているだけで「人と出会うって楽しいな」と感じられました。自分の居場所はここだと思える、初めての体験でしたね。


生き方が定まった仲間との出会い


東京の大学へ進学後も、ただ平凡な日々が過ぎていくばかりでした。授業に出て、バイトに行って、お金もそこそこあって。何不自由ない毎日でした。一方で、自分の心に正直に生きていない感覚もありました。心のどこかで、高校1年生のクラスで体感したような、お互いを高め合える自分の居場所を探していました。

そんなとき、流行っていたSNSで知人が紹介していた一冊の本に目が留まりました。世界中を旅する自由人・起業家の生き方や旅の体験が詰まった本でした。自由奔放にやりたいことをやって生きる姿に、こんな人がいるんだと衝撃が走りましたね。それと同時に、悔しい気持ちがこみ上げました。年齢が10歳しか変わらない人が、楽しく自己実現をしながら生きている。この人にできて自分にできないはずがない、と負けず嫌いに火がついたんです。

それから、SNSで出会った若者が集まるコミュニティに顔を出すようになりました。みんなが熱く夢を語り合っていて、中には国際協力をやりたい、世界中を一人で旅したい、と明確な夢を持っている人もいました。

それまでは心のどこかで、自分を表現したら否定されると思っていました。でも、コミュニティで出会った人たちに挑戦したいことを口にすると、どうやったらできるか?を一緒に考えてくれるんです。少しずつ自分の心に嘘をつかず生きられるようになっていきました。仲間同士で応援し合う雰囲気は、どこか高校1年生のクラスで味わった感覚と似ていて。もう一度自分の居場所を見つけられたようで、嬉しかったですね。

志高い仲間に感化され、自分も何かやろうと、渋谷にカフェバーをオープンします。19歳で初めての起業でした。いざ開店すると、コミュニティの仲間が100人くらい駆けつけてくれて。みんなあまりお金もなかったと思うのですが、ちゃんとお金を落としてくれるんです。嬉しかったですね。自分がつくった場所で仲間が喜んでくれている、その光景に心が震えました。自分がつくった空間やサービスで、人を喜ばせたい。そんな生き方がしたい。熱い気持ちが込み上げ、自分の中で生き方がパシッと定まった瞬間でもありました。

悩みながらも、とりあえず、やる。


将来について考えたとき、就職という選択肢はありませんでした。誰かの下で働くイメージが湧かなかったんです。起業家としてやっていきたい気持ちは強かったものの、具体的なやりたいことはわかりませんでした。まずは自分の価値観や世界を広げようと、大学2年生のときに休学をし、世界一周の旅に出ました。

エチオピアに立ち寄った時のこと。突然、大勢の黒人たちに囲まれて、ぼったくりに遭いました。ひどい体験でしたが、その後、その人たちの代わりに謝ってくれる人がいて。出会ったある教師は、「国が急速に発展しているから、未だにそういうことをするやつらがいるんだ」と言いました。その言葉が強く印象に残ったんです。

実際、ケニアやタンザニア、アフリカの多くの国々で街の発展を見ました。近い未来、アフリカのプレゼンスが更に上がるであろうと確信しましたね。

さまざまな体験をしましたが、結局、旅中では起業をしてやりたいことは見つからないまま帰国。復学しましたが、大学よりも夢を語り合える仲間といる方が居場所を感じられていたことから、通学する意欲がだんだん薄れていきました。当初から就職の選択がなかったこともあり、中退して起業することを決意しました。やりながらしっくりする事業を見つけていこうと、見切り発車でのスタートでしたね。

出勤初日は、「さぁ、何をやろう?」と考えることから始まりました。最初はインテリアを扱うEC事業を手がけます。でもだんだんと、より人に寄り添った事業を手がけたい気持ちが湧いてきました。そのとき頭に浮かんだのが、シェアハウス事業でした。仲間たちと夢を語り合った場所がシェアハウスだったこともあり、人とのつながりといえば、すぐに思い浮かぶ場所でした。どうしたら実現できるか悩みながらも、シェアハウスをやりたい意思を、SNSで発信したり友達に言ったりしていましたね。常にアンテナを張って情報収集をしていました。

すると友達から、「鎌倉に空き家が出たらしいよ」と知らせが届きます。そうして2013年、念願だったシェアハウスを鎌倉にオープンさせることができました。理念は、「新たな可能性の創造」と掲げました。自分が仲間と出会って変われたように、シェアハウス事業を通じて関わる人の人生を好転させられたらという想いがあったんです。

4年間で13店舗まで伸ばし、どんどん事業は拡大。規模が大きくなるのは嬉しい反面、大きくなりすぎて一人ひとりにきちんと関われなくなっていくことへのジレンマがありました。人の可能性を広げたいと始めたのに、本来の目的にコミットできなくなっていく。理念と現実の乖離に葛藤しました。

一度リセットをしようと、譲渡できるタイミングで事業を売却し、再スタートを切ることに。まっさらな状態になり、これから何がしたいかな?と考えます。すると、世界一周で訪れたアフリカのことが思い出されたんです。心のどこかでまたアフリカへ行きたい、あの場所へ戻りたい、と惹かれ続けている自分がいました。

思えば学生時代から、やりたいことを次々と挑戦し、実現させてきました。その中で、アフリカに根を下ろしチャレンジすることは、人生で成し遂げたい残り最後の夢といっても過言ではない。今こそ夢を叶えるべきだと、好きなアフリカで暮らし、事業を起こすことを決意。2018年、アフリカ・ケニアへ引っ越し、早々に起業しました。




誠実に生きる人が報われない


アフリカでおこした企業では、理念を「可能性をふやす人を、ふやす。」と掲げました。これまでやっていたゲストハウス事業の理念は「可能性をつくる」。でも、それだと僕らがずっと関わる人たちに目をかけ続けなければならないと気づいたんです。最終的には自立して、自分の人生を自分の手で好転させていってほしい。そんな思いがあり、理念をアップデートしました。

移住してしばらくすると、アフリカの社会問題を目の当たりにしました。アフリカは人口が爆発的に増加しており、雇用が追いついていません。失業率は30%〜40%。かといってハローワークなどのセーフティーネットなどもないため、職に就くことは容易ではありません。自分で事業をおこそうとしても、銀行は金利が高かったり、そもそも信用がなく貸してくれなかったりと、資金集めのハードルが高い。結果的にその日暮らしを余儀なくされている国民が多くいました。

真面目に働こうとしてもその受け口がない。そんな現状を目の当たりにし、ケニアの貧困層の小規模事業主たちに向け、低金利でお金を貸すマイクロファイナンス事業を展開しようと決めました。マイクロファイナンスとは、バングラデシュで生まれたサービスで、金融機関ではお金を借りられない貧困層へ、低金利で貸付をする民間の銀行のことです。低金利でお金が借りられれば、事業を起こすことができる。その日暮らしから抜け出せ、生活を豊かにしていくことができる。経済発展への良い循環を生むには、マイクロファイナンスが必要だと考えました。

現地の人に物を与えるのではなく、彼ら自身で経済を回し、生活が豊かになる仕組みをつくりたい。そんな自分の想いともマッチしていましたね。何より、面白そうと感じた自分の心に従い、事業をスタートさせました。

誰かの背中を押す生き方を


現在は、ケニアの小規模事業者向けマイクロファイナンス、株式会社HAKKI AFRICAのCEOを務めています。今も、アフリカの発展のため、日本政府による寄付で道路やダム建設は進んでいます。しかし賄賂がはびこっており、誠実に頑張っている人が報われない現状があります。さらに日本の寄付も100年先まで続けられるかわかりません。

だからこそ、サスティナブルな仕組みが構築できるビジネスで行う意味があるのです。現地の雇用を生み、子ども達に教育を受けされられる環境を整えれば、国は発展していく。マイクロファイナンスには、そんな未来への可能性を感じています。

事業をする中で意識しているのは、困っていることを我々が教えて解決してあげるのではなく、彼らだけで解決していけるよう仕組みや方法を文化として根付かせていくことです。それは社員に対する教育も同じですね。雇用している現地従業員には、なるべく考えさせるマネジメントをしています。

将来的には、自分たちがいなくても現地の人たちで経済を回し、豊かな生活が送れる世界をつくりたいですね。企業理念に「可能性」という言葉が入っているのは、僕自身が仲間との出会いを通じて自分の可能性を広げてもらったから。だからこそ手がけるプラットフォームやサービスを通じて、関わる人の可能性を広げ、人生が好転するような活動をしていきたいです。

これまでいろいろなチャレンジをしてきましたが、その時々で自分の直感に従った選択をしてきました。答えが出ず、悩みながらでもいいと思うんです。アンテナを張り、とりあえずやってみる、その世界に飛び込んでみる。そうすればおのずと、チャンスは呼び込めると思っています。そんな自分のあり方と、「可能性をふやす人を、ふやす。」という理念を掲げた事業を通じて、誰かの背中を押す生き方をしていきたいです。

2020.07.20

インタビュー・ライティング | 貝津 美里
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