自分のことは、早めに諦めました。

料理研究家として、雑誌などへのレシピ提供や著書を出版する傍ら、編集プロダクションの代表も務めるオガワさん。 自分のことを「かなり早くに諦めた」と話す背景には、どんな思いがあるのでしょうか?

オガワ チエコ

おがわ ちえこ|料理研究家、編集プロダクション運営
料理研究家兼ライター。編集プロダクション「6線ストライプ制作合同会社」の代表も務める。

著書『彼の家に作りに行きたい!純愛ごはん』(セブン&アイ出版)
6線ストライプ制作合同会社

小1から中二病でした


幼い頃、周りの子と同じになりたいと思っていました。
親が学校の先生だったこともあり、小学生の頃から、周りの子と違う学習セットを使っていたんですよね。
だいたい周りから、「なんで違うの?」って聞かれるじゃないですか?
それがもう面倒で仕方なかったです。好きで違うのを使っている訳じゃないのに。

でも、ある時から、割り切るようになりました。
みんなと同じになりたいと思うのを止めたんです。
だって、どうあがいても私のピアニカや絵の具セットは、人とは違いますし。

それどころか、気付かぬ間に「人と違うのがいい」と変換している自分がいました。
今思えば、それが他の子への優越感に変わっていったのかもしれません。
完全な中二病ですね。

高校受験で面接に遅刻して、挫折して入った高校は、1ミリも面白くありませんでした。

先に挙げた背景から、周囲に対し上から目線だったこともありましたし、
私はここにくるべきではなかった、と思い上がっていたんですよね。
そんな態度だったこともあり、友達が全然いませんでした。
お弁当を一緒に食べる人がいないから、お昼だけおばあちゃんの家に帰っていたこともありました。
もちろんトイレでのぼっち飯も何度も経験しています。

「友達って、自分から声をかけなければできないんだ」と感じたのを覚えています。

学校が嫌いだったこともあり、その頃から、
「同じ時間に、同じ場所に行って、同じ嫌いな人に会わなくていい」

そんな仕事に、将来就こうと思い始めました。

何をやってもダメだったんです


高校を卒業する頃には、とにかく実家を出ようと思っていました。
親が厳しいこともありましたし、地元がつまらなかったんですよ。
どうやったら実家を出られるか考えた結果、音楽系の短大に進むことに決めました。
もともと音楽をやってはいたのですが、地元にもある学部だと、
「近くの学校でいいじゃん」と言われてしまうと思ったんです。

念願の一人暮らしで、嬉しいことはたくさんありましたが、
キッチンが自分の物になったのは、格別でした。
昔から料理が好きだったものの、実家のキッチンは母のものだったんですよね。

もともと音楽を仕事にするつもりはなかったので、
将来は、料理研究家になろうと思うようになりました。
友達からの誘いで始めたキャバクラのバイトをしながら、お金を貯め、
短大を辞めて、料理学校に入り直したんです。

ところが、料理研究家ってどうすればなれるのかわからなかったんですよ。

TVで見る料理研究家はお金持ちの奥さんばかりだったので、
私もお金持ちと結婚しようと頑張ってみたのですが、全く好きになれず、失敗しました。

人気レストランで働くのが良いかも、と思ってバイトをしてみましたが、
総料理長と恋人関係になってしまい、店を追い出されました。
「この方法も違うじゃん!」という連続でしたね。

それならば、一度真っ当に働いてみようと思い、正社員として歯科助手になりました。
ところが、どうやっても仕事中に寝てしまい、
ある日見かねた先生が治療中に、私を起こすため、床を「ドン!」と踏みつけたんですよ。
それで急に目が覚めて、慌てて寝てないアピールをしようと思い、
とっさに治療台を起こすボタンに触れてしまい、急に患者さんの体が動き出すという失態を犯しました。
その結果「ふざけるな!」と怒られてしまい、次の日から出勤しなくなりました。
その後、デパートの受付として働いてみたものの、お客様とのトラブルでクビになったりして、
本当に色々とダメだったんです。

自分のことを諦めました


そして、辿り着いたのはキャバクラのキャッチのバイトでした。
「2回目のお水は辞められない」という話を聞いていたので、ホステスには絶対に戻らないという覚悟がありました。
実際に、これが天職なんじゃないかというくらい、キャッチとして成果をあげることができたんです。

ところが、店から、中でホステスをやらないかと誘われるようになったんですよね。
最初は断っていたのですが、ある日、本当に寒い日に外でキャッチをしていた時に誘われて、
意志の弱い私は、折れてホステスに戻ってしまいました。

がっかりする反面、自分が必要とされているということが、実はすごく嬉しかったんですよね。
必要としてくれる人がいるのなら、水商売をきちんとやろうと思いました。

やるからには結果を出そうと決め、3ヶ月でナンバーワンになりました。

同時に、自分のことを諦めました。
自分は何においてもだらしなく、遅刻や挫折や失敗ばかり。普通に働くことができない。

だからこそ、こんな私を必要としてくれる人がいて、それに自分が応えられるならば、頑張ろう。
それ以外のことはもう無理、できない。
そんな風に区切りをつけたんです。

ところが、頑張った反動は確実に来ていました。
高級クラブに移ったあたりから、体調を崩し始め、このまま水商売を続けるべきか、悩むようになったんです。

ちょうどその頃、夜の仕事について書いていたブログに関して、スポーツ新聞から取材を受け、
その流れで連載をいただくことができました。
国語教諭である母親の影響もあり、作文は得意でしたし、物書きをすることが楽しくて好きでした。
だからこそ、その話をもらってすぐ、水商売を辞めました。
これでやっていこう、そんな覚悟がありました。

諦めたからこその生きやすさ


ライターとしての活動を始めてからは、書けるものはなんでも引き受けていました。
AVレビューや官能小説まで、とにかくなんでもやりました。

今の編集プロダクションは、元芸人の人間たちと立ち上げたのですが、
本当にいい仲間に恵まれ、仕事の幅もぐっと広がりました。

その一つとして、念願の料理研究家としての活動もスタートすることができました。
媒体問わず、メディアにおける料理に携わる仕事を行っており、
今は、料理と恋愛をトータルコーディネートするような書籍や連載の案件が多いです。

最近は、小料理屋の一日ママをやったりもしていますね。
あとは、4月からNHKラジオ『すっぴん』で、毎週火曜日に料理のことを喋らせてもらっています。

仕事はとても楽しいですよ。
何より、フリーランスという働き方が私には合っています。
「同じ時間に、同じ場所に行って、同じ嫌いな人に会わなくていい」という環境でしか働けない私にとっては、
これ以外に方法はありませんし。

よく、色々なことを嫌だと言いながらも続けている人がいるじゃないですか?

もちろん続けることも大事だと思うんですが、
私は、「これは自分にはできない、無理」と諦めてしまえば楽になると思うんですよね。
その中で実際にできることは少ないはずですし、
そしたら自ずと、やりやすくて生きやすい働き方ができると思うんです。

私は20代前半と、わりと早くから自分を諦めました。

これからも、このまま、こんな自分ができることで、しかも周りから必要とされることだけを地道にやっていこうと思っています。

2014.04.03

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