一生人に貢献し続ける生き方を。人生を変えたコーチングとの出会い。

定年まであと10年というタイミングで、IT企業をやめてメンタルコーチとして独立した瀬越さん。40代を超えてコーチングに出会い、見つけた自分らしさとはどんなものだったのでしょうか。お話を伺いました。

瀬越 敏弘

せごえ としひろ|メンタルコーチ
人と組織を成長させる「INFINITY」代表 エグゼクティブコーチ

チームフロー認定プロコーチ
産業カウンセラー
日本臨床心理カウンセリング協会 認定臨床心理カウンセラー
Points Of You 認定トレーナー(国際資格)

おとなしく内向的な性格


愛媛県松山市で生まれました。コミュニケーションに苦手意識を持つ、内向的な子どもでした。大勢でいると自分から喋りませんでしたし、周りからは「いるかいないのか分からない」と言われることもありました。

一方で、デパートの屋上で開かれた「子どもカラオケ大会」に出たり、高校の応援団長に立候補したり、積極的な一面もありました。周りから意外に思われることが、何となく心地よかったですね。

中学では、バレーボール部とバスケットボール部を、高校でハンドボール部を全て1年経たずにやめました。夢中になれなかったんです。中学生の頃から続けていたバンドは楽しかったんですけど、うまくなるために必死に練習するというような感じではありませんでした。

父が医師だったので、医師になることを期待されて育ちました。ですが、決められた道を進むことに反発した気持ちがあり、高校時代には文系を選び、医師にはならないと決めました。

とはいえ、勉強に身が入りませんでした。兄と姉が東京の大学に進学していたので、東京の大学を目指したのですが、浪人しました。上京して東京の予備校に通い始めると、都会の刺激的な生活に負けて、あまり勉強しませんでしたね。結局、二浪しても志望校に入れず、滑り止めの大学に進みました。

就職活動では、人に何かを伝える仕事ということで広告代理店をいくつか受けましたが、不採用。メーカーから営業職で内定をもらいましたが、自分に合っていないと感じて断りました。

どんな仕事をしようか考えている時、システムエンジニアの求人が目に留まりました。当時、システムエンジニアは割と新しい仕事で、IT未経験でも入社後頑張れば成長できる、と書かれていて、その話に惹かれたんです。新しいことにチャレンジすることに魅力を感じ、ソフトウェア会社に入りました。

人に貢献できる仕事が楽しい


ITに関わるのは初めてで、覚えることが多くて必死で仕事をしました。5年ほど働くと、10人くらいのプロジェクトのリーダーになりました。

地方銀行のお客さんのところに常駐してシステム開発を進めましたが、リーダーになりたてで、なかなかうまくいきませんでした。例えば、お客さんとの打ち合わせで用意しておかなければならない資料を作り忘れたりするんです。相手の担当の方から、毎日叱られましたね。

システム運用が開始して落ち着いた頃、担当の役員から誘われ、ふたりで食事に行きました。最初は、お酌をしながら堅い話をしていたんですけど、二軒目にバーに連れて行かれました。すごく堅い雰囲気の方だったので、そんなにお酒を飲まないだろうし、まさかタバコを吸う人ではないだろうなと思っていたのですが、二軒目でいきなりタバコを吸い始めて。「実はこういうところでは吸ってるんだよ」と、いろんな内面を出してくれました。

その時に、「色々と慣れないこともあったけど、よく頑張ってくれたよね。ありがとう。事務も効率化できたし、瀬越くんのおかげだよ」と言われました。ずっと叱られっぱなしで、私は散々なリーダーだったんですけど。そう言われた瞬間、それまでのつらさが吹っ飛びました。その方に、そういう言葉をかけられたというのが嬉しく、この仕事をしていて本当良かったと思えました。

それから、自分が関わったお客さまにはこのシステムを入れて良かったと言ってもらいたいという思いで仕事を続けました。

入社して10年ほど経った頃、違う業界の仕事を知り経験の幅を拡げたいという思いで、別のIT企業に転職しました。転職先は製造業のIT会社でした。取引先の受発注システムや生産管理システムなどの開発に携わり、システムエンジニア、システムコンサルタントのほか、営業も経験させてもらいました。お客様は町工場から海外に進出している企業まで幅広く、様々な考えや想いの方と接することができて、仕事が本当面白いと感じていました。

自分を俯瞰して見ると楽になる


その後、「コンサルタントのスキルをもっと伸ばしたい」という思いで、外資系のIT企業に転職しました。転職先は、優秀な方が多く、実力主義で、厳しい環境でした。分からないことを自ら聞きにいく主体性が必要で、それまでの職場とは全く違い、仕事の仕方が明らかに変わりました。激務でしたが、楽しんでいましたね。

働くうちに、次第にプロジェクトマネージャーとして、責任のある仕事を任されるようになりました。プロジェクトのメンバーがつらそうにしている時期もありましたが、やりがいを持ってくれていると感じられる瞬間もあって、そういう時は嬉しかったですね。

ただ、大変なこともありました。ある時、大きなトラブルが発生して。対応に追われ、夜遅くまで帰れない状況が何ヶ月も続きました。マネージャーとして責任を取らなければならない。周りにはなかなか相談できない。精神的に追い詰められて気力がなくなり、お客さんへのメールを1行2行書くにしても、1時間くらいかかるようになってしまいました。

その後、6ヶ月間休職をすることになりましたが、メンタルクリニックの先生から自律していく生き方を教えられたり、家族や上司のサポートがあったりもしたので、復職できました。

そのおかげで自分の状態を、「今はつらい状況だな」とか、「ストレスがかかってるな」とか、俯瞰して見られるようになりました。ちょっと俯瞰して見られるだけで、すごく楽になるんですよね。それに気づいてから、ストレスをコントロールできるようになり、復職の3ヶ月後くらいには、プロジェクトマネージャーの仕事にも戻れました。

一生人と社会に貢献し続けたい


45歳の時に、心理カウンセリングの学校に通い始めました。私の周りでメンタルで病んでいる人が多く、会社に来れなくなったり、退職したりする人がいて、そういう人たちをサポートしたいと思ったんです。さらに、傾聴だけでなく質問を通してその人の可能性を引き出す方法も学びたいと思い、コーチングスクールにも通いました。

コーチングスクールのプログラムの中で、私自身もコーチングを受けました。コーチからの質問を通して自分自身の過去を思い出していると、「コミュニケーション」というキーワードが所々に出てきたのです。

それまではコミュニケーションを取るのが苦手だと固定観念から、初対面の人と会っても自分のことはまず話さなかったですし、人前で話すと緊張して声が震えるので、自分の思いなんて絶対に伝えられませんでした。どうせうまく伝わらないし、面倒くさいと思って話すのを避けていたんですよね。

それが、過去を振り返る中で、自分の思ったことが相手に伝わって、相手がちょっと動いてくれたとか、そういう場面がいくつか出てきて。自分にとって、実はコミュニケーションが大事だったんだと気づいたんです。大事というより、好きなんだなと。

その時、考え方がガラリと変わりました。下手でもいいから、自分の思いを伝えることで、違う視点での生き方が見せられるとか、その人に影響を与えられる方がいいなと。コミュニケーションで人に貢献したいと思ったんです。

また、過去を振り返って、本当の達成感を味わったことがないと分かりました。何かひとつやり切ったものがあるといいなと考えてみると、「ホノルルマラソンで走りたい」という気持ちが、ふと浮かんできました。

20代の頃、新婚旅行とその翌年にハワイに行ったんですけど、「いつかここでマラソン走れるといいね」と妻と話していたんですよね。その時の思いを実現できるといいなと思い、3ヶ月ほどトレーニングして、ホノルルマラソンに出場しました。

ホノルルマラソンは早朝5時頃から始まり、スタート前に花火が打ち上がります。その花火を見ている時に、「本当に来れたんだ。スタートラインに立てたんだ」と、感極まって、走る前から涙がボロボロ出てきてしまいました。途中で足が痛くなって、休んだり歩いたりしたので、5時間30分位かかったんですけど、走り切った時、「自分でもやればできるんだ」と感動しましたね。

最初は他人のためにと思って始めたカウンセリングやコーチングですが、自分の人生も変わりました。このメンタルサポートを仕事にしたい。そう思い、コーチとして独立することを考え始めました。

少し前から、定年に関係なくずっと貢献できる仕事はないかと探していたんですよね。80歳を過ぎても病院で医師として診療を続けた父の影響でした。父と同じ様に、何歳になっても人への貢献を続けたいと考えていたんです。

定年まで働いてからキャリアチェンジをすることもできました。ただ、定年後も仕事を続けるためには独立して早めにキャリアを積む方が良いと考え、50歳で会社をやめました。リスクもあるけど頑張ろう、と。

次の一歩に踏み出す支援を


現在は、メンタルコーチとして、個人向けのセッションや企業の中でのコーチング、経営者向けのコーチングなどを提供しています。加えて、モチベーションアップやコミュニケーション力アップの研修も行っています。

また、プロジェクトマネジメントの経験を活かし、マネージャーの育成や円滑なプロジェクトの実行にも貢献したいと思っています。

コーチングを通じて、コミュニケーションに対する気持ちに気づいてから、妻との関係も変わりました。以前は、お互い言わなくても分かると、お互いの内側にあるギャップをそのままにしていて、ちょっとした表面的なズレが出るたびに喧嘩していました。それが、コーチングを学ぶことによって、自分の意見を言って良いとか、相手の意見をちゃんと聞くとかが分かるようになり、接し方が変わったことで関係性が変わりました。

今では、ホノルルマラソンの時には一緒にハワイに来てくれて、いろんなサポートをしてくれています。食事を作ってくれたりとか、走り終わった後にすぐにアイシングやマッサージしてくれたり。そういう、良い関係になれました。

コーチングによって、自分の価値観やどう生きたいかが分かると、次の一歩に繋がります。自分の価値観に気づいていない人が多いので、コーチングや研修を通じて自分を知る手助けをして、その人の成長に関われたらと思います。

独立してから、「生きている意味」を強く実感できています。色々な人と関わる機会が多くなって、人との繋がりが変わって。嬉しいことですね。幼い頃に2回ほど大きな事故で死にかけたことがありますが、死ななくてよかったと思います。生きていられることに感謝しなければいけないですね。

せっかくもらった命を大切に使うべく、「出会った人に、これから出会う人に、その人の本当のやりたいことを一緒に見つけ、その人の背中を押してあげる」メンタルコーチの仕事をし続けます。そして、父と同じように生涯現役で人と社会に貢献していきます。

2016.03.15

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