「ファイトネス」で人に喜びを与えたい。
人と人を繋げ、良いご縁の循環を。

格闘技を取り入れた独自の企業研修プログラム「ファイトネス」を広めている大山さん。柔道選手から総合格闘家へ転身し、現役を引退した現在は格闘家のセカンドキャリアのパイオニアとして、ファイトネスの輪を広げようと取り組んでいます。そんな大山さんが「人と人を繋げると、良いご縁の流れが巡る」と語る理由とは?お話を伺いました。

大山 峻護

おおやま しゅんご|Fightness for Biz代表
元総合格闘家。今の仕事は、企業や学校を訪問して格闘技プログラムの指導や講演などトレーナー業を行う。柔道家としては、第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級優勝。総合格闘家として2001年にデビューし、PRIDEに参戦。2004年K-1・HIERO'S参戦。2010年 Martial Combat参戦 ライトヘビー級王座。2011年 パンクラス参戦。2011年 ROAD FC参戦。 2012年 ROAD FC初代ミドル級チャンピオン。

ヒーローになりたい


神奈川県で生まれ、父の転勤で5歳から栃木県那須町で育ちました。人見知りで、小さい頃は母がそばにいないとダメな子どもでしたね。自分を表現するのが苦手で、友達が欲しいのにうまく関係性を築くことができません。自分からは話しかけられないので、自宅の庭にいろんなおもちゃを置いて、友達が声をかけてくれるのを待っていました。

強いヒーローが好きで、特にウルトラマンに憧れました。自分も強くなって、誰かに勇気や感動を与えたいと思っていました。その思いを汲んでくれた母の勧めで、近所の柔道教室に通い始めました。

人見知りなので、初めは教室に行くのが苦痛でしたが、ヒーローに憧れる気持ちが強かったので、柔道を続けられました。小・中学校は柔道漬けの毎日でしたね。

特に好きな柔道選手がいました。その人は、日本一の柔道家を育成する、全寮制の私塾の出身でした。「自分もこの人のようになりたい」と思って14歳のとき、入門テストを受けて私塾に入りました。

私塾の生徒は全国レベルの猛者だらけで、コテンパンにされました。自分の無力さを思い知りましたが、頭の中では、大観衆の中で自分が相手を投げるシーン、活躍している姿を常に思い浮かべていました。妄想をしていると楽しくて、不思議と「いつかそうなれるんじゃないか」と思えてくる。だから、くじけずに柔道を続けられたんです。

千葉の大学に進学しても柔道を続けました。高校までとは比べ物にならないほど部員数が多く、約300人いました。これだけ部員が多いと自分の存在が埋もれます。「ヒーローは存在感の薄い、その他大勢の人間とは違う」と思っていたので、いかに人と違う行動をするかを考えるようになりました。あまり使われていない技の研究をしたり、野菜中心の食事にしたり、試行錯誤しましたね。

大学4年の時に、初めて全国大会に出場しました。ニッチな技「飛び十字」を試したところ、これがうまくはまり、決勝まで勝ち進むことができたんです。

決勝戦の相手は、私塾時代、一番強かった男でした。かつて雲の上の存在だった相手と、日本一をかけて戦うことができたんです。試合には負けてしまいましたが、戦えたことが自信に繋がりました。「強くなりたいと思い続けてよかった」と心から思いましたね。

格闘家への転身


大学卒業後は柔道の実業団に入りました。全国大会で結果を残したので、オファーが来たんです。実業団のチームの中で、「柔道でいつかオリンピックに出たい」と頑張っていましたね。勉強しようと思い、柔道に限らずいろいろな格闘技の試合を見ました。

ある総合格闘家の試合を観に、東京ドームに行ったときのことです。観客はドームが爆発するんじゃないかと思うほど、彼の試合に熱狂していました。それを見て「本物のヒーローがいた」と鳥肌が立ち、震えるほど感動したんです。こんなふうになりたい、自分も同じ場所に立ちたい。この時、自分の中のヒーロー像が変わりました。

新たなヒーロー像を見つけてから、2つの未来を考えるようになりました。実業団に残って柔道を続け、引退後は会社員になる未来と、プロの総合格闘家に転向する未来。総合格闘家になって戦う自分の姿は、考えただけでワクワクしました。迷いなく、格闘家の道を進もうと決めたんです。

こっそりアマチュアの総合格闘技の大会に出場し始め、大会で優勝できるようになった時、プロの大会からオファーが来たんです。26歳の時に、アメリカの総合格闘技大会で総合格闘家としてデビューしました。うれしかったですね。

柔道をしているときはセンスが卓越しているわけではないと感じていたし、ケガも多くて、もがいていました。何もかもがうまくいかない柔道家の時代を一新したかったので、リングネームも“大山利幸”から“大山峻護”に変えました。新しい自分になろうと思ったんです。

人と人を繋げば、ご縁が繋がる


総合格闘技の大会「PRIDE」の試合に出るようになって約半年後、試合後に右目が網膜剥離になり、長期欠場を余儀なくされました。これからプロとして活躍していくんだという時に試合に出られない日々が続き、もどかしくて辛い思いでした。復帰までに約1年かかりました。

復帰戦では結果を出そうと戦略的に戦い、判定勝ちを収めました。僕にとっては念願のPRIDE初勝利でした。ところが、試合後、「消極的な戦い方」と大バッシングを受けたんです。まるでズルい方法で勝とうとしたかのように、自分の思いとは違った解釈をされてショックでした。メディアからの批判が続いてひどく落ち込み、ファンや周囲にいた人が次々といなくなりました。周囲の言葉が刃物のように刺さって、鬱のような状態になりました。

しかし、そうした状況の中でもそばにいてくれる仲間がいたんです。それまでは「強くなりたい」「自分さえ目立てればいい」と考えていたけど、辛い時に人の温かさに触れ、友人の存在が心底ありがたいと思えたんです。人と繋がる大切さを実感しました。

そこから、人と人を繋ぐ仲立ちを積極的に行うようになりました。網膜剥離で入院していた時、病室にお見舞いに来てくれていた友達が、知らない人同士なのに仲良くなっていたことがあったんです。その時のように、ありがたいと感じた人とのご縁が繋がればいいと思い、行動しました。

すると、自分の人間関係もどんどん広がっていったんです。人のために行動するようになって自然と人が集まるようになり、人間関係が良くなっていきました。良いご縁にも恵まれるようになって、友人の格闘家と格闘技のスクールを週1ペースで始めました。

リングでの戦い方も変えました。勝つ手段は何でもいいと考えるのではなく、見ている人にポジティブなエネルギーを感じてもらえるよう、どんな状況でも相手に真っ向から立ち向かうスタイルにしたんです。

プロとして勝つことが求められる一方、格闘家は観客に生き様を見せるという使命もある。僕は後者を選びました。ヒーローからポジティブな勇気をもらうように、観客にポジティブなエネルギーを感じてもらいたかったからです。

戦い方をガラッと変えてから、勝とうが負けようがそういう戦い方を喜んでくれるファンがついて、応援してくれるようになりました。

試合を重ねるにつれ、殴られた時にうまく倒れられなくなってきました。僕は体が大きな選手との対戦が多く、どんな相手にも真正面から挑んでいたので「体にダメージが溜まってきているんだろう」と感じました。

「もういいだろう」。デビューして13年目、体がそんなサインを出していると悟り、引退を決意。ラストマッチでは自分らしい真っ向勝負をしたいと、殴り合いの試合を望みました。相手もそれに答えてくれて、ボコボコにされましたが、観客からの声援を受けて最後まで自分らしい戦い方を貫けました。

誰もやっていない事業をしたい


40歳で引退しましたが、子どもの頃から目標がある状態が当たり前だったので先が見えずお先は真っ暗、「何を目標に生きていけばいいんだろう」と不安と心細さでいっぱいでした。

ただ、引退してから勝たなきゃいけないプレッシャーや格闘家として背負っていたものが下ろせた気がします。自分の中に渦巻いていた他の選手へのジェラシーや自己否定する気持ちがなくなり、初めて自己肯定感が生まれたんです。性格が変わりましたね。
セカンドキャリアで何をするかを考えようと、携帯電話に登録してある番号に片っ端から電話をかけ、いろいろな人に話を聞きに行きました。その中で、2015年に厚生労働省が「労働安全衛生法」を改定し、50人以上の従業員がいる企業はストレスチェックが義務付けられると知りました。

ストレスで元気のない人が増えているのに、企業は「その対策がない」と嘆いていると聞いて、格闘技はストレス解消になるんじゃないかと思ったんです。「僕が皆さんを元気にできたらいいな」という思いで、企業向けの格闘技研修を始めることにしました。「自分が行って、みんなを元気にしてやるぜ」と燃えていました。目標ができてうれしかったですね。

スーツを着て名刺を配り、地道に泥臭く営業しました。格闘技を知っている人しか自分を知らないし、営業の実績もない。一からスタートの状態でした。でも、アスリートは脳内で成功体験をイメージできるんです。「この事業はうまくいく」と自己暗示のようにイメージして行動しました。行動すれば行動した数だけ、形になる可能性が高まると思っています。地道な行動の甲斐あって、企業向けの研修事業は軌道に乗り始めました。

良い流れを循環させる


今は、格闘技とフィットネスの要素を掛け合わせた独自のトレーニングプログラム「ファイトネス」を開発し、企業向けの研修や出張レッスン、講演を行っています。これまで、大企業から中小企業まで100社ほど指導させていただきました。

ファイトネスで重視しているのは、楽しむことです。格闘技は大変なイメージがありますが、普段体を動かしていない人でも楽しく体験できるようプログラムを作っています。

体調管理や困難にくじけない強いメンタリティづくりのほか、チームビルディングにも効果を発揮します。これまでファイトネスを通じて、社内の人間関係が良くなっていく場面に何度も遭遇しました。笑って汗をかく体験の共有が、同僚との距離を近づけてくれます。それまで知らなかった、子どもに返ったような素の部分が見えることもあるんです。

今、離職率が非常に高くなっていますが、その一番の原因がコミュニケーション不足と言われています。LINEやメール主体のコミュニケーションの影響で、社内の人間関係も希薄になっています。ファイトネスを通じて、上辺だけではない、真のコミュニケーションを感じてもらいたいですね。

僕自身は、これまでは格闘技が全てでしたが、引退して視野が広がりました。現役時代は、人生の中の助走だったのかもしれません。今は「自分はセカンドキャリアを生きるために生まれてきたんだ」とすら感じています。

まずは仲間と協力して、ファイトネスの輪をどんどん広げていきたいですね。それによって、僕が格闘家の後輩の指針になり、セカンドキャリアやデュアルキャリアの選択肢を増やしたいと思っています。

これからは、人にどれだけ喜びを与えられるかがテーマだと思っています。人に喜んでもらうのが嬉しいので、ご飯会などもよく開催します。そうやって人に喜んでもらうことで、どんどんご縁が繋がっていくと思うのです。そうして繋がったご縁は循環して、時に思いもしない方向から自分を助けてくれると感じています。

人のために行動することで、ご縁の輪が広がって仲間ができる、良い循環が巡るのだと思います。僕は子どもの頃から、ずっと仲間が欲しいと思っていました。だから今、自分を必要としてくれる人たちに囲まれて幸せです。これからもご縁を繋ぎ、良い流れを循環させていきたいです。

2019.07.18

インタビュー | 粟村 千愛
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