NYの街に感じた違和感がキッカケでした。画家として表現する意味。

画家として国内外で活動するAhhi(アヒ)さん。学生時代はスケートボードで活躍することを目指していたような、絵を描くこととは無縁な生活を送っていたAhhiさんが、画家として活動するようになった背景とは?お話を伺いました。

Ahhi Choi

アヒ チョイ|画家
画家として絵画に加え、靴や携帯電話のカバーなどといったプロダクトデザインも手がけている。
また、日本・アメリカ・韓国・イタリア・フランス・カナダ・オーストラリアなどのアートショーに参加し、国内外で活動している。

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夢はプロスケーターとして活躍すること


在日韓国人の3世として、兵庫県芦屋市で生まれ育ちました。生まれてからずっと日本で育ち、家でも韓国語は使わなかったので、日本語以外は話すことができませんでした。

小さい頃はとにかく体を動かすことが好きで水泳、サッカー、器械体操などスポーツは何でも得意でした。また、家が山手にあったこともあり、近くの公園の裏山でイノシシと遭遇したり、リスやムササビたちと一緒に遊んだり、野生児でしたね。(笑)

小学校に入るときに受験をして小学校、中学、高校、大学と一貫の甲南に入学し、小学3年生になってからは、英会話教室に通うようになりました。すると、授業を担当するアメリカ人の先生が、自己紹介でスケートボードをしている写真を見せてくれたんです。その写真を見た瞬間に「これだ!」と思いましたね。そのまますぐに親に言って、スケートボードを買ってもらいました。

それ以来、アメリカ人の先生に弟子入りし、大阪のミナミのスケートパークで一緒に滑るようになり、中学生になってからは、スケートボードの大会にも参加し始めて、将来はスケーターとして活躍したいと思うようになりました。そのため、高校卒業後は大学へ行かずスケートボードの本場であるアメリカに武者修行に行きたいと考えるようになりました。

しかし、両親と話し合い、自分の将来のことや両親の想い、色んなことを見つめ直した結果、とりあえず日本で大学に進学することに決めました。ところが、19歳の時に、左足首の靭帯に怪我をしてしまい、既にそれまでに7回も靭帯を伸ばしていたこともあり、医者から、「これ以上スケートボードを続ければ将来的に後遺症が出る可能性が高い」と言われてしまったんです。

最終的には、引退するという辛い決断をすることになりました。

「自分が見たニューヨークを伝えたい」というキッカケ


大学を卒業してからは、韓国語を習得するために韓国に2年間留学することにしました。中学ぐらいから、韓国国籍なのに、韓国語を話せないということに違和感を感じていたんです。それを親に話すと、韓国語を学ぶことに大賛成で応援してくれました。

実際に、現地では大学付属の語学学校に通い、アメリカや中国・フランスなど様々な国の留学生と出会いました。一応学校での共通語は韓国語でしたが、全員が上手く話せるわけではないので、どこの国の人も当たり前に英語で意思疎通をしていたんです。僕はほとんど英語が出来なかったので、これは「英語を勉強しないと!」と思いました。

そんな背景から、韓国留学終了後すぐにロサンゼルスに留学しました。現地では語学学校に通ったのですが、実際に現地に滞在してからは、学校以外のほとんどの時間を、ゴルフに費やしていました。ロサンゼルスは本当に雨が少なく、ゴルフ場が多くて日本と比べると値段もかなり安かったのでゴルフ天国だったんです。年間100ラウンド近くしていましたね。(笑)気候が良くて、どこに行っても地平線が見え、圧倒的な広さと大自然があり、「地球」を感じることができる土地でした。

しかし、そんな生活を続け26歳になると、日本の友人たちは社会人としてバリバリ仕事しているのに、自分もいつまでも学生をしていないで、帰国して働かなければと、焦りを感じるようになりました。そして日本に帰国する前のアメリカ最後の国内旅行を、世界一と言われる都市のニューヨークに決め、2週間滞在することにしたんです。

行く前はどんな場所だろうと、わくわくしていたのですが、実際に訪れてみると、街が混沌としている様子が苦手で居心地の悪さを感じてしまいました。

しかし、その後LAに戻ると、ふと、自分が見たニューヨークを誰かに伝えたいという気持ちが生まれたんです。その時に部屋にメモ用紙とペンがあったので、なんとなくニューヨークの街の絵を描きました。これが僕が絵を描き始めたきっかけでした。

その後、アートスクールに通っていた友達が、たまたまその絵を見て、「これを使って描いてみて」と、彼が昔使っていた画材を色々と持ってきてくれたんです。

それから、帰国するまでの3ヶ月間は、頭の中に溢れるイメージを片っ端から処理するように朝から晩まで家に籠り、毎日描き続けていました。

イメージが湧かず、絵が描けない


しかし、描き始めて3ヶ月後日本に帰国すると、空間の狭さ、人との距離感、目に入る色などで、すごく圧迫感を感じてしまいました。

また、帰国してからは銀行に就職し、生活スタイルがガラリと変わりました。次第に絵のイメージが全く湧かなくなり、絵が描けなくなってしまったんです。

そんな生活の中、突如パニック状態が起こるようになり、精神が不安定になっていきました。毎日過呼吸になるわ、気分のアップダウンは激しいわで完全に自分をコントロール出来なくなり、入行して10カ月が過ぎた頃、やむを得ず一旦仕事を辞め、心の立て直し期間を取ることになりました。

仏像のインスピレーション、友人との別れ、人との縁


そんな状態からの立て直し生活をしていたある時、たまたまカフェで手に取った雑誌に仏像の特集がされているのを見て、無性に奈良の大仏が見たくなり、そのまま大仏を見に行ってみることにしました。(笑)現地に足を運び、お堂に入った瞬間に、大仏というよりその空間自体に強くインスピレーションを受けたんです。

それをきっかけに、僕はまた絵を描き始めました。それまでとは打って変わって、毎日絵を描くようになり、抽象的な作風も出るようになりました。絵を描いていると全てを忘れて集中出来たし、あっという間に時間も過ぎてくれるし、なによりも達成感があったんです。

また、そんな生活をしているある日、突然中学からの友人が、自殺したことを知りました。その話を聞いた僕はとてもとても悲しくて、残された人がこんなにも苦しむのだということを痛感しました。その時に、「自分は精一杯生きなければいけない」 ということを、友人に気づかされました。それから次第に体調も回復していきました。

ちょうどそのタイミングで、偶然地元のBARで、カフェギャラリーを営むオーナーさんに出会いました。そこで、話をしていく中で、僕の絵の展示会をやってみないか、と声をかけてもらい、2012年に初の個展を開くことになったんです。

それがきっかけで、作家としての活動をスタートさせて、国内外の公募展などに応募するようになりました。 活動を始めて一年が過ぎた頃に韓国の公募展に参加したのですが、日本人のアートディーラーが声をかけてくれて、 東京の画廊を紹介してくれたんです。 そこの社長さんが、ニューヨークのギャラリーと仕事をしているから、来月のシカゴのアートショーの時に話を持って行くよと言ってくれて、僕のポートフォリオを持って行ってくれました。

するとすぐに、ニューヨークのアートギャラリーから連絡があり、ありがたい事に契約を結ぶ運びとなりました。その翌年2014年からニューヨーク、ロサンゼルス、ソウル、プサン、ミラノなど10箇所で展示をすることになり、信じられない速度で話が進んでいき、自分でも何が起こっているのかわからないくらいでした。

自分を信じて挑戦し続けたい


2015年も画家の活動として、海外のアートショーやアートフェアに参加する予定です。また、これまで通りキャンバスに絵を描いて、展示会をして、販売するだけでなく、靴や携帯電話のカバーやワインのラベル、CDのジャケットなどのデザインも始めました。加えて、最近は、キャンバスだけでなく流木や石にも絵を描いたりもしています。

今後は、自分らしく自然体で、もっと活躍の舞台を広げ、たくさんいるであろう、僕のようなアウトサイダーの方や何かに挑戦しようとしている方々の一つのモデルになれるよう頑張りたいですね。

何歳でもどんな分野でもチャレンジすればいいと思いますし、やったらいけないルールなんてありません。日本ではちょっと変わったことをするということに対して消極的で、 みんな冒険しないようにしている気がします。 感性が豊かな人たちが増えることで、面白いことをする・挑戦する人が増えると思いますし、みんながやりたいことをして、行きたい方向に行くことでちょっとずつでも日本が変わると思うんです。

自分自身、画家としてやりたいことをやらせて貰うために、もっともっといい作品を生み出して認めてもらえるようになりたいですね。また、僕が絵を描くことで得たすべての縁に感謝して、今後もずっと描き続けていきたいです。

2015.03.22

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