福島県の会津若松市に生まれました。3歳ぐらいの頃に福島市に引っ越して、そこで育ちました。

小さい頃から色々とうまくいきませんでした。時間が守れなかったり、規律的な行動ができなかったり。集中できることとそうでないことが極端で、勉強とか得意なことはすごくできるんですけど。

悪目立ちするというか、変な所がありました。田舎の福島では、学校でちょっとでも違う意見を言ったり反抗したりすると、廊下にずっと立たされたりとか制裁があったんです。ちょっと息苦しく感じていました。

小5の時に父親の仕事の都合で東京に転校して、大きな転機になりました。入った中学校が、公立なんですが、すごくのびのびしていて、変な子に対するいじめとかなく、私服で校則もゆるくて、すごく自由でしたね。私が少し変でも、変なところを吸収する様な、そんな学校でした。

中学3年生で福島に戻りました。転校の初日に、まだ届いてなくて、中学校のバッジをつけていませんでした。つけていないといけないバッジをしていないっていうだけで、先生に耳を引っ張られて職員室に連れて行かれたんです。カルチャーショックというか、びっくりしました。

その日は雨だったんですが、私以外みんなビニール傘でした。ビニール傘が当時校内で流行っていて、ビニール傘じゃないとおかしいっていう雰囲気。私だけがローファーを履いていて、他の人はみんなニューバランスかコンバースのスニーカー。みんな同じ。面食らってしまって、衝撃的でした。

そこから、表面上は周囲と仲良くしつつ、趣味の世界に入り込んでいきました。

高校に行っても同じでした。完全にオタクの世界、二次元に入り込んでいました。漫画や小説を書くのが得意だったので、同人誌を作って売っていたりしました(笑)成績はずっと良かったんですけど、学校の中では浮いていたかもしれませんね。始業時間に間に合わなくて、そのまま学校に行かなかったりとか。ふらっと一人で美術館や映画館に行ってしまうとか。

父親は規律的な人間だったので、時間に間に合わないのは努力不足だと、毎日怒られていました。自分でもそう思っていました。

家でも学校でも、あんまり受容されていない、そんな感覚でした。ダイバーシティがあるところに早く行きたい。安心感を早く得たい。そう思っていました。

東京に行きたい、本や漫画が好きという理由から、お茶の水大学文教育学部に進みました。