1. >
  2. >

息を吐くようにイノベーションを。
半身不随の僕に起きた3つのパラダイムシフト。

沼田 尚志さん/通信会社勤務、イノベーター

はてぶ

NTT東日本に勤務し、様々な新規事業の種を日々発掘し続ける沼田さん。 学生時代に原因不明の難病で半身不随になるという壮絶な経験から、現在のように「息を吐くようにイノベーションを起こしたい」と思うようになるまでには、ご自身の中での常識が変わる「パラダイムシフト」の瞬間がありました。 一体そこにはどのような背景があったのか、お話を伺いました。

将来有望な野球少年に訪れた悲劇

生まれた場所は東京の青梅市です。小学校2年生から野球を始めました。

最初は父親が監督をやっていたことをきっかけに始めたのですが、通っていた小学校が野球の強豪校だったこともあり、練習するうちにどんどん上達しキャプテンも任されるようになりました。

そのまま中学入学後も野球を続け、着実に実力をつけていたので、将来はプロになると本気で思っていました(笑)

ところが中学3年の冬、野球の練習中に原因不明の脳卒中を患い、僕は突然倒れました。

脳を血栓が埋め尽くし、一命こそ取り留めたものの、その日から意識がない日々を過ごしました。意識が戻った後も首から下は思うように動かず、運動機能や思考力も著しく低下していました。

懸命のリハビリが功を奏し、左半身の運動機能は回復しつつありましたが、もう以前のように野球をすることは不可能でした。
野球どころか日常の生活さえままならならず、毎日本当に死にたいと思いながら過ごしていました。

幸いにも自ら命を絶つという選択はしませんでしたが、それでも毎日家と病院の往復をするだけで、楽しいことは何もなく、将来に希望が持てないなんてことは通り越えて、「また明日が来てしまうのか・・・」とさえ思っていました。

ただ、そうやって毎日時間を過ごしていくうちに、徐々に自分が生きていることがリアルに感じられるようになってきて、ゆっくりとですが、客観的に自分の状況を捉えるようになっていきました。

改めて考えると、自分は障害者で高校にも行っていない。漠然とした焦りが生まれこのままでは社会のお荷物になってしまうという危機感を感じました。
両親は何も言わず見守ってくれていましたが、大きな心配をかけたので、まず学校だけは行こうと高校に進学することを考え始めました。

もっとあきらめた方がいい