一番大切なものを大切に、自分らしく働く。誰かの成長の役に立てる仕事を。

キャリアウーマンから専業主婦を経て、現在は二人のお子さんの子育てをしながら在宅で、Web上で組織と個人の成長を応援する「クラウドサポーター」を務める前田さん。命の危険を伴うハイリスク出産の経験を乗り越えて、「一番大切なものを大切にしながら自分に合った働き方で世の中の役に立ちたい」と語る前田さんのお話をお伺いしました。

前田 美和

まえだ みわ|クラウドサポーター
株式会社もくてきのサービス「YeLL」においてweb上でビジネスパーソンに応援コメントを送る「応援の専門家」であるクラウドサポーターを務める。

剣道で学んだチャレンジする楽しさ


東京都に生まれました。父は銀行員、母は専業主婦の家庭で育ち弟が一人います。負けず嫌いな一面を持った学級委員をするような優等生タイプでした。私立中学に入学後、同じ系列の高校・大学へと進みました。

中高の頃に、大人になってからも続けられるスポーツをと両親から勧められテニスを始めたのですが、大学に入学してからは、自ら選んだ全く新しいことにチャレンジしたいと体育会系剣道部に入部しました。

初心者でしたが、先輩方や同期に鍛えてもらって週5、6日練習に励み、自主練習もして、大会で優勝するまでになりました。強くなる自分が実感でき、やればできるんだと思いましたね。

初心者だった自分が優勝したことをみて周囲の人が「感動した」と喜んでくれたこと、それも本当にうれしかったですね。「自分の頑張りが、周囲の人たちを勇気付けている。」と実感できました。自分らしさや、チャレンジをする楽しさを知り、この頃から自分で方向性を持って人生を歩き始めた気がしています。

剣道を通して学んだことが就職活動の時に私の1つの軸となりました。どうせ仕事を頑張るのなら、誰かが心を震わせるような、誰かがありがとうと言ってくれるような、感動のある仕事がしたい。そう思いましたね。

人に喜んでもらえる仕事がしたい


大学卒業後、アフラックという生命保険会社に入社しました。がん保険・医療保険を扱う会社です。今では多くの人が、がんという病気をテレビで公表し、治療を頑張っている姿がブログに綴られる時代ですが、私が就職活動をしていた頃は、がんは不治の病のイメージがまだまだ強く、その病名を口にするのもはばかられるような病気でした。

OB訪問をした時に、アフラックはどこよりも速くきめ細かく患者さんやそのご家族に経済的な支援を行っていて、お客様から感謝のお手紙が届くことがあると聞きました。お客様ご自身がお金を払った保険なので当然のサービスを受けただけであるのにもかかわらず、その給付対応でお客さまの方からお手紙が届くことに大変驚くとともに感動したんです。

そして、自分が頑張った結果を見て、周りの人に感動したと言ってもらえた剣道部での記憶が蘇ってきました。会社のビジネスであっても皆で頑張ることで感謝していただけたり、感動が生まれることがある。そのことにとても共感して、アフラックで働くことに決めました。

いわゆる一般事務職での入社でした。配属先は、実際にお客様から感謝のお手紙をいただく部署ではありませんでした。逆にお客様から保険料をいただくというミスが許されない、時にはお客様の苦情を扱うこともある部署でした。

自分の仕事が大きな歯車の一部分になっているからこそ、その先のお客様に感動を届けられるという感覚は心の中には置いていましたね。ただ、思い描いていた「感動」の日々とは違って、事務業務のルーティンワークをこなす日々でした。

3年ぐらい働いた頃、ふと「このままでいいのかな。」と迷いが出てきました。女性の先輩方が段々と寿退社などをして、3年目ながら仕事の責任も重くなっていく中で「このままここにいたらどうなるのかな」って停滞感を感じたんです。

立ち止まって考えて、ふと思い出したんです。私、感動のある仕事がしたくてここにきたんだ。そしたら大学時代、剣道の大会で優勝した時の達成感も蘇ってきて、もっと違うことがやってみたいと思いました。

新しい挑戦をしよう。それから迷いはありませんでした。総合職への転換試験の募集を見て、応募しました。

25歳の時でした。総合職に合格すると同時に、福島県にある郡山支社へ配属を言い渡され、翌月から郡山支社で働き始めました。初めての土地。初めての人。初めてのひとり暮らし。全てが新鮮でした。支社では女性一人という環境でしたが、何よりも営業という結果を求められる仕事を楽しみました。なんだかとても自由で、自分が成長して大人になれたと感じられました。

27歳で東京に戻り、今度は人材開発部へ異動しました。それからの7年間は私にとって本当に貴重な時期でした。全社の育成方針のプランニング、新入社員などの研修・社員のスキルアップ制度、キャリアカウンセリング面談、部門の人材育成に関するコンサルティングなど、人材開発に関わる様々なことを経験させていただいたんです。大きな視点を持って全社の社員の育成戦略を考える一方、その一方でキャリアカウンセラー資格も取得し、社員一人一人の相談に乗ったり。また、私が社員の前に立って講師をすることもありました。人の成長を応援する喜びを知り、とてもやりがいを感じていました。

この頃、新入社員200名の3週間のトレーニングをリーダーとして担当しました。ビジネスマナー、会社概要、商品研究などの研修を経て最終日に「これで研修は終了です。みなさん新しい配属先で頑張ってください。」と挨拶をしたら、200名の社員からスタンディングオベーションの拍手を受けたんです。中には泣きながら拍手をしている女性社員もいて、みんなの心に届いた、やってよかったと思いました。

自分にとって一番大切なことを大切にしたい


人事部に異動後、データを扱うPC業務が中心となりました。連日、残業が夜中まで続き、終電やタクシー帰り。その頃結婚をした夫とも同じ家に住んでいるのに会えない日が続きました。その時、33歳。結婚をしてこれから自分の家族、家庭を作っていきたいと思っているのに、なかなかそのために時間を使えないもどかしさがありました。

今自分が本当にやりたいこと、一番大切なことは新しい家族を大切にすることだ。そう思いました。総合職となり、仕事にやりがいも感じていましたし、会社にも期待してもらっていましたが、悩んだ末に退職を決めました。

その後、ほどなくして第1子を授かり出産しました。あのままハードワークの日々を続けていたら妊娠・出産はどうなっていたかわからないので、専業主婦になってよかったという思いもありました。その一方で、またいつかは仕事をしたいと思っていましたね。この頃、2級キャリアコンサルティング技能士の資格を取得しました。

ママ向けのワークショップのなかで、お子さんを持つママさんを対象に、ボランティアで「ママのためのキャリアデザインワークショップ」の講師をしたりしていました。どうしても小さな子どもを持つママは生活が子ども中心になり、「自分」がなくなってしまいがちです。そうではなくて、自分を見つめる時間や、自分を大事にする時間もママは大切なんだよ。そんな想いをみんなと共有したかったんです。

第2子妊娠の時には、「絶対安静」の入院生活を強いられました。ただただ自分とお腹の子供の命を守るため、ほぼ寝たきりで半年間過ごしました。救急車で運ばれずっと母体のためのICUのベッドの上で、点滴に繋がれ動けなくて何もできないつらい状況でした。上の子が2歳でしたが、一緒に過ごすことができない。シャワーも浴びられず、動けるのはトイレに行く時だけ。我慢我慢の半年間でした。

退院したら、あんなことも、こんなこともしようと繰り返し思い、ベッドの上で携帯に「やりたいことリスト」を書き出していました。家に生きて帰りたい。お腹の子と一緒に帰りたい。家族と一緒にいたい。夫と恋人のようにお出かけしたい。家族4人で川の字で寝たい。一緒にご飯を食べたい。ゆっくりお風呂に入りたい。家の掃除をしたい。温泉に行きたい。そんな、当たり前の日々の大切さが身にしみました。

そして、元気になれたら更にやりたいこととして、「子育てが一段落したら、自分に合った働き方をして世の中の役に立ちたい。」ということも書いてありました。

無事に出産後1年ぐらい経ち、寝たきりで弱っていた体力が次第に回復したころ、キャリアカウンセラーの勉強を再開しました。また、就職活動も始めました。でも、子どもが小さいことなどを理由になかなか決まらなくて。

そんな状況の中、転機が訪れました。ある大学にてボランティアで参加した学生さん向けのキャリア相談会の時に知り合った方が「クラウドサポーター」という仕事の人材募集をしているということを教えてくれたんです。

自分の時間とスキルを使って、自宅で、働く方々に応援のコメントをする「クラウドサポーター」の仕事の募集が出ていました。「私、呼ばれているような気がする。行こう」。ピンときましたね。2014年末からクラウドサポーターの仕事を始めました。

一番大切なものを一番大切にしながら誰かの成長の役に立ちたい


現在は、株式会社もくてきが提供する「YeLL」というサービスのクラウドサポーターをしています。

クラウドサポーターとは、Web上にユーザーが投稿した業務進捗のレポートに対して応援のコメントを返すという仕事です。応援によって、ユーザーの目的・目標達成のための気づきや行動を促進します。

職種も年齢も様々なビジネスパーソンたちから届く「週報」に、サポーターとして応援メッセージを送ります。相手の志に共感し、認め、励まし、そして時には肩に手を添えて一緒に前に進む、というようなイメージでコメントを送っています。

これまでの私の仕事の経験からアドバイスすることもありますし、ユーザーのお客様の視点に立ってコメントすることもあります。ユーザーの方の仕事が成功した時には、私も嬉しくて一緒に喜ぶんです。それが自分のやりがいに繋がっています。

昨春からはコメント業務の他にクラウドサポーターの採用や育成の仕事にも携わっています。保険会社に勤務していた時に培ったスキルや経験、人の成長を応援したいという想いが活かせる仕事だと実感しています。

いつも私の根底にあるのは、「一番大切なものを大事にできる生活をすること」「誰かの成長に貢献したい」という想い。そして「やりたいことをするのが当たり前の人生。人に喜んでもらえる仕事がしたい。」という想いです。この想いを軸にして人生を歩んできました。

今の仕事のペースは毎日だいたい2〜3時間の在宅ワークです。週に1〜2度出勤して会議に出たりしています。出勤する日も子どもが学校や幼稚園から帰る時間には自宅に戻り、おやつを食べておしゃべりするなど子どもとの時間を大切に過ごしています。子供の体調が優れないような時は、家で看病する傍らWeb会議に出席したりすることもあり、一番大切なものを大切にしながら、やりたいことをやらせてもらっている実感があるんです。

これからも家族との生活、応援や感動のあるこの仕事の両方を大切にしていきたいと思います。それが、私のやりたいことなんです。

インタビュー:村上 七美子

2016.02.28

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