生まれも育ちも三重県鈴鹿市です。兄弟は4つ上の兄がいます。冗談をしょっちゅう言ってるような子供でした。

バスケットボールを始めたのは、小学校5年生の時。担任の先生が、クラス対抗で行われる球技大会へとても熱心に取り組まれる方だったんですね。それで私も、すっかりチーム競技としてのバスケの魅力にとりつかれたんです。この時からバスケ選手になることが、自分の夢でした。

ですが、病気が発症したのも、同じく小学校5年生の時でした。ある時から、便をした時に血が混じるようになったんです。それを母親に報告すると、病院へ連れて行かれました。母と一緒に待合所で待っていると、看護師さんに「雄二君は待っててね」と言われ、母だけが中に呼ばれたんです。私は「何か重い病気なのかな」と思いながらも、ただ待っていました。

その後、母から泣きながら、病名とその深刻さを告げられたのですが、その時の私は、わりとあっけらかんと構えていたのを覚えています。病名は、潰瘍性大腸炎。厚生労働省が特定疾患として指定している難病の一つです。

これはポリープ状のものが大腸に複数できるんです。症状は人によって個人差があり、ポリープの数が少ない人もいれば、腸全体にできる人もいます。原因は今もって不明で、症状がひどい場合は、ステロイドで無理やり抑える、といった処置をします。手術の選択肢もありましたが、私はとりあえず投薬のほうで、ずっと様子を見ていました。

その後、多少風邪を引きやすい面はありましたが、体は普通に動くので、自分の病気に対して深刻になることはなかったです。中学でもそのままバスケを続け、「高校でもバスケをやるんや」と、張り切ってましたからね。

中学の時に所属していたクラブチームは、正直あまり強くなかったんです。ですから、高校では通用しないのかな、という懸念はありましたが「チャレンジしてみたい」という気持ちは強くありましたね。

父の教育方針としては、兄には勉強、私にはスポーツ、というのがあったみたいです。父としては、私に病気があるからこそ、私が元気で体を動かせていることが、嬉しかった部分もあったかも知れませんね。「高校はバスケの強豪校へ行きたい」と言うと、「そうせえそうせえ」と言ってくれました。