幼なじみの自殺が自分を変え、挑戦の契機に。「生まれ変わりたい」と思える社会を目指して。
心のケアを必要とする人が、心の専門家である臨床心理士と繋がることができるマッチングサイトを運営する近藤さん。何も主体的に選択しない性格が、幼なじみの自殺を機に一転、やりたいことに積極的に挑戦するように。30歳までは失敗したもん勝ちという考えから、もう一度幼なじみが「生まれ変わりたい」と思う社会のために独立を決めた背景とは?
近藤 雄太郎
こんどう ゆうたろう|メンタルヘルスのマッチングサイト運営
メンタルヘルスのマッチングサイト「リミー(Reme)」を運営する株式会社NOMALの取締役を務める。
初恋の女の子の自殺と、何もしない自分への後悔
私は東京都杉並区に生まれました。小さいころから恵まれた環境の中で物を与えられて育つタイプだったので、自ら何か主体的に行動をすることはほぼありませんでした。その後、私立の中学校に入学するものの、不良が多い学校に通っていたため、盗難やいじめが頻繁に起こる環境の中に身を置きながら毎日を送っていました。
そんな中、中学3年生の夏休みの最終日、幼稚園からの幼なじみであった初恋の女の子が自殺したことを知りました。友人・家族関係や薬の使用などが原因でしたが、彼女が亡くなったちょうどその日に一枚のファックスが届き、自ら命を絶ってしまったことを知っても、現実を受け入れることができないというか、本当に信じられなかったですね。どうして彼女はそのような方法を選んでしまったんだろう、という気持ちもありましたが、何よりも一番に後悔したのは、彼女に何もしてあげられなかったことでした。
私は小学校卒業後に引越しをしたため、彼女とは疎遠になっていたものの、手紙で連絡をもらったことがありました。しかし、嬉しく感じながらも、返事をつい後回しにしてしまい、結局返さずにいたんです。もしも、私がその時彼女にすぐに返信をして会っていたら、彼女は自殺の選択肢を選ばなかったかもしれない、と感じてしまいました。
彼女の自殺後、自分が何もできなかったことへの後悔から、今まで萎縮していた内向的な自分を変えたいと、生まれて初めて考えるようになりました。そして、その手段として高校受験を考えるようになったんです。私が通っていた学校は、中高一貫の私立校だったため、環境が変わる不安があり、担当の先生にも反対をされましたが、最終的に自分の意思で受験をすることに決めました。
ひたすらやりたいことに挑戦する日々
その後、猛勉強をした成果が実り、無事に中学の2倍の偏差値の私立高校に合格することができました。私にとって初めての小さな成功体験になり、嬉しかったですね。
実際に入学後は、甲子園に惹かれたこともあり硬式野球部に入ることにしました。周りと比べてガリガリで体が小さい私は、毎日ジムに通い、昼休みの時間も練習をし、プロテインを飲んで体重を15キロ程増やし、身体を作っていきました。3年間、甲子園という目標に向かって朝から晩まで野球に打ち込む中で、チームで努力をすることの楽しさ等も感じながら、とても良い経験になりました。
高校を卒業した後は、大学に入る前に何か新しいことに挑戦したいという思いから、オーストラリアに短期の語学留学へ。すると28歳のテンションの高いフランス人とクラスメイトになったんです。正直、18歳の私にとって、28歳という年齢はバリバリ働いているイメージが強く、なぜ彼は働かずに私と同じ空間にいるのかと不思議でした。しかし、話を聞いてみると、彼は「30歳まではとにかく自分のやりたいことをやりまくる、その後に自分の進路を決めればいい」と言ったんです。その言葉は、ぼんやりとですが、なぜか私の心に深く残りました。
大学では、幼なじみの原体験が影響し、いじめの要因や排除の問題を、現代政治や社会学の観点から学びたいと思ったので、政治経済学部を専攻することにしました。他にも、約1年間東南アジア各地で、近藤という名字に因み、半分ネタでAIDSの予防活動としてコンドームを配布したり、株式会社リクルートメディアコミュニケーションズ(現リクルートコミュニケーションズ)でのインターンなどに取り組みました。
また、自らが中学の時にいじめられていた原体験を生かしたいという気持ちから、不登校生徒の家庭教師のアルバイトも始めました。しかし、私が担当することになった小学6年生の女の子は、部屋にこもって全く会ってくれず、約3か月間、彼女のお母さんと「どうしましょう」と相談する日が続きました。
そんなある日、偶々彼女の誕生日が近いことを知り、これはチャンスだと思い、不器用ながらサプライズでチョコレートケーキを作って彼女に届けたんです。すると、彼女はドアを半分開けながら「ありがとう」と言ってくれたんです。完全にガッツポーズでしたね。それ以来、少しずつコミュニケーションができるようになっていきました。
結果的には、私立受験がうまくいかず公立の中学校に入ることになり申し訳ない気持ちもありましたが、中学の入学式の日に、「皆の前で自己紹介ができた」というメールをもらった時は、こういうのっていいなと心から感じるとともに、自信にもなりました。
失敗したもん勝ちの20代だからこそ、挑戦を決意
大学を卒業後は、まずは社会を勉強したいという気持ちと、ものづくりの泥臭さに惹かれたこともあり、株式会社日立製作所に新卒で入社しました。現場では鉄道業界をクライアントに、運行管理システム等の営業を担当しました。クライアントの会社の門の前に立って顔を覚えてもらうような非常に泥臭い仕事でしたが、すごく楽しかったですね。特に、私の教育担当についた先輩から、コミュニケーションの重要さを学びました。毎月、どれだけ少額の請求書でも郵便で送らずに必ず手渡しで持っていくことを徹底していて。クライアントとの関係を築くために努力を惜しまない人の姿をみて、出来る人というのはこういう人なんだなと感じましたね。
一方で、一人一人の技術や実力がどれ程高くても、その人を求めるニーズがある人と繋がっていなければ、充分に個々の才能が発揮されにくいということも感じました。適材適所のためには、人を繋ぐことが必要だと。
そこで、元々3年程勉強して、他の環境に移ろうと考えていたこともあり、コミュニケーションを活性化させる事業に営業以外の形で関わりたいという思いから、ちょうど3年目でリクルートへの転職を決めました。学生時代のインターンで興味を持っていたことに加え、ニーズとリソースをマッチングさせる事業は、まさにぴったりだと感じたんです。
リクルートでは、ウェディング・ブライダルの結婚準備の総合サイト「ゼクシィ」の広告制作を担当しました。ニーズとして結婚式場をさがすカップルと、リソースとして結婚式場を持つ会社とのマッチング運営を3年間行い、その中でも新しいことに挑戦したいという思いで行動をしていたため、その分ミスは一番多かったですね。時には社内で問題が生じてしまうこともありましたが、ミスをした私に対して編集長から「チャレンジしてくれてありがとう」という言葉を貰えたことがあったんです。それからは、ミスをしてよかったというか、失敗したもん勝ちだと思うようになりました。
そんなある時、転職してから3年程経った27歳の時、大学時代にインターン先で出会った友人から、一緒に起業をしてみないかと誘われたんです。そのままリクルートで新しいことをしようか迷う部分もありましたが、30歳になるまで、あと3年間「失敗したもの勝ち」の期間があったんですよね。家族からも応援してもらえたため、あえてリスクのある起業の道へ歩むことを決心しました。
起業をするにあたり、一生棒にふってもやりたいことは何だろうと考えると、それはやはり、幼なじみの原体験を繰り返したくないということでした。そこで、メンタルヘルスのコミュニティを立ち上げようと決めたんです。
何度でも自分の人生に希望を
会社を立ち上げてからは、心のケアを必要とする全ての方が、心の専門家である臨床心理士とより良く繋がる場をつくりたいと考え、メンタルヘルスのコミュニティーサイト「リミー(Reme)」を開発しました。
現在、日本には100万人のうつ病患者がいるといわれています。さらに、そのうちの4分の3以上の方は、心に異常があることがわかっていながらどうすればよいかわからないという問題を抱えており、一つの日本社会全体の課題となってきています。そのため、サービス名には「Re=再び、Me=自分」という、何度でも自分の人生に希望を持つ人を増やしたいという想いをこめました。
リミーでは、まず初めに心の不調が分かっていながらもどうすればよいか分からない人が、特定の検索ワード等でリミーに辿り着き、臨床心理士に自身の状態を質問し、回答をもらうことが出来ます。さらに、LINEでも質問することができるので、より質問することのハードルが低くなると思います。その後、対面サポートを受ける必要がある方には、個々の状態に合わせて臨床心理士を検索したり、科学的に実証されたメンタルケアを受診したりすることが可能です。また、本人では気づきにくいからこそ、家族や友人の方にも使っていただくことで、周囲からもより適切なサポートを提供できるようにすることも想定しています。
将来的には、リミーがユーザーにぴったりの臨床心理士などの心の専門家をより高い精度で紹介することで、心の専門家を検索することすら不要にしたいと考えています。それがマッチングサービスとしての目下の目標です。
毎年、彼女が亡くなった8月31日にお墓参りに行きますが、いまだに彼女の死を受け止められない気持ちもあります。しかし、実際には墓石に彼女の名前が刻まれているのが現実。だからこそ、リミーを通じて、もしも彼女が生まれ変われるなら、もう一度「生まれ変わりたい」と思える社会にしていきたいです。
※インタビュー:岡 みづき
2015.10.15