興味のなかった水産業を、変えると決意。
石巻から起こすイノベーション。

若手漁師を中心に結成された漁師団体「フィッシャーマン・ジャパン」に所属し、水産業にイノベーションを起こすために活動している津田さん。漁業に興味がなかった津田さんが、なぜ水産業のために立ち上がったのか。お話を伺いました。

津田 祐樹

つだ ゆうき|株式会社フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング代表取締役COO
石巻にある創業40年の鮮魚店の二代目。震災後、水産業界にイノベーションを起こすことを決意し、若手漁師を中心に結成された一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンへジョイン。現在は販売部門として分社化した株式会社 フィッシャーマン・ジャパン・マーケティング代表取締役COOとして、魚の価値の向上や輸出に取り組んでいる。

日本人ってみんな幸せだよな


宮城県石巻市に生まれました。実家は魚屋を営んでいましたが、継ぐ気はありませんでした。親からも、魚屋は儲からない、もっと安定した仕事についた方がいいと言われていましたね。

魚屋よりも、もっと大きな社会問題に興味がありました。例えば、テレビで見る貧困問題などが気になってしまうんです。日本では食べ物を捨てているのに、食べ物を満足に食べられない地域があるのは不公平だと感じていました。

世の中の幸福度って、ならすとゼロになるような気がしていたんですよね。どこかに幸せな人がいると、どこかに不幸な人がいる。温かい部屋でぬくぬく生きている自分が存在する反面、そうではない環境で暮らす人もいる。そんな状況を是正したかったんです。

理不尽なことには何にでも突っかかる性格だったことも、社会問題へ関心を持った理由かもしれません。高校で髪を染めて「成績に支障が出るからやめろ」と怒られたときも納得できず、「髪を染めたって良い成績をとってるだろ」と教師に食い下がるような人間でした。無駄に強い正義感が、社会問題に対しても向いていたんだと思います。

大学生になってからは、社会問題をより詳しく知るため、あらゆる場所に話を聞きにいきました。毎日のようにセミナーに参加したり、社会人コミュニティに所属して話を聞いたりしました。

話を聞くうちに、社会問題の中でも環境問題に興味が絞られていきました。特に、バイオマス発電や食品リサイクルが気になり、いろいろな企業の取り組みを見学させてもらいました。

3年生になった頃、環境問題に取り組む地元起業でインターンで働きはじめましたが、そこの経営者からとても素晴らしい技術があるので新しい事業を起こさないかと誘われ、卒業後、就職はせずにその新会社を手伝うことにしました。

騙されて借金、それでも逃げたくなかった


新会社を設立して少し経った頃、身に覚えのないお金の催促が来るようになりました。おかしいと思っていたら、ある日突然、取引先が怒鳴りこんで来ました。すぐに起業を持ちかけたきた経営者と連絡を取りましたが、連絡が全くとれなくなり、そこで新規事業の話は全部嘘だったと判明しました。残ったのは多額の借金だけでした。

とにかく焦りましたね。いまさら新卒として就職活動をするわけにはいきません。地元を離れて、誰も知らない場所でゼロからチャレンジしようかとも思いました。

ただ、一度地元から離れてしまうと、二度と戻れないと感じました。自分が完全に騙されたとはいえ、僕を通して騙された人もいるわけです。そんな状況で地元を離れてしまったら、「あいつはそういうやつだ」「結局ただの山師だった」というレッテルを貼られ、二度と帰れなくなると思ったんです。

そこで、ほとぼりが冷めるまでは、実家の魚屋を手伝うことにしました。全く興味のなかった魚屋をゼロからやることは正直とてもつらかったですが、迷惑をかけてしまった人たちに償いながら、とにかく逃げずにやっていこうと思ったんです。

とはいえ、家業の経営は苦しく、いつ潰れてもおかしくない状態。なんとかしようと思い、まずはネットショップや魚販売に繋がるイベントを始めることにしました。

売り上げはすぐには伸びませんでしたが、面白い動きが評価されたり、ネットショップの勉強会でいろいろな人と出会うようになり、仙台市内に店舗を出す機会も頂き、経営状況は良くなっていきました。

手伝い始めて3年ほど経つ頃には、そろそろ自分が抜けても家業が回る目処が立ちました。もともと魚屋をやりたいわけではなかったので、そろそろやめどきかなと思っていました。そんなとき、東日本大震災が起こりました。

自分だけを優先してもいいのだろうか


その日、僕はたまたま仙台にいて無事でしたが、石巻の自宅は全壊エリアに指定されるほどひどい状況でした。幸い家族は無事で、石巻まで迎えに行き、みんなで仙台に避難しました。

仙台の店舗は無傷でしたが、魚を仕入れることはできませんでした。そこで知人から野菜や加工食品などを仕入れさせてもらい、それを販売して生活しました。

魚に触ることがないまま1カ月ほど経過し、家業は畳もうかと家族で話していました。周りの魚屋も閉じ始めていましたし、自分としてはちょうどやめたかったこともあり、震災でやめるなら周りも納得してくれるだろうと。

その頃には石巻にも戻れるようになっていて、家の片付けをしていると、知り合いの訃報がたくさん入ってきました。中でも衝撃だったのはある同級生の訃報でした。そいつとは、とくに仲が良かったわけではありませんでしたが、たまに地元の飲み屋で会うと「おう、何やってるの最近?」と声を掛ける間柄でした。

そいつがブログを書いていたと他の同級生から聞き、ブログを探すと最後の投稿は、震災があった日の3日前でした。そこには2月末に子供が生まれたばかりだと書かれていました。

それを見たとき、パソコンの前で嗚咽が止まりませんでした。自分の人生だけ優先して、逃げようとしていた自分の弱さ、愚かさを恥じました。

石巻は震災で大きな被害を受けました。特に、水産業は壊滅的でした。好きで入った業界ではないけど、そんな状況を見て見ぬ振りをし、自分の人生だけを優先して他の仕事に逃げたら一生後悔すると思いました。


同級生は29歳で無念のうちに亡くなりましたが、仮に10年間、自分の時間をこの街や水産業に費やしてもまだ39歳。それから自分の人生を考えても遅くはありません。自分一人が頑張っても何も変わらないかもしれないけど、彼のように無念のうちになくなった方々の残された家族が幸せに暮らしていけるような石巻を作ること、それが僕の震災との向き合い方だと思いました。


そして最低10年は全力で水産業に取り組むと決めました。やるからには「震災前に戻す」みたいな生ぬるい目標ではなく、震災前以上を目指すことにしました。

世界で戦える日本の海産物


覚悟を決めて最初に挑戦したいと思ったのは、海外に魚を売ることでした。寿司などの日本食は世界中でブームになっているので、国内だけで戦うよりも海外に持っていった方が可能性があると思ったのです。

また、海外輸出は、地元を盛り上げる希望になるとも考えていました。地元には高い教育を受けてもその能力を活かす場がなく、優秀な人ほど他県に流出していました。輸出事業で、最先端の仕事や世界で活躍できる環境をつくれば、優秀な人が集まり、地元に活気が出ると思ったんです。

とはいえ、最初の数年は生活基盤を立て直すのに必死でした。小売をやめて卸売に絞り、食品の展示会に足を運んだり、飲食店に営業に行ったりと、日本全国を走り回っていましたね。最初の頃は魚の水揚げも再開していないので、「水揚げが再開されたら取引してください」と魚の写真だけ持って営業していました。

それから3年ほど経つ頃、やっと魚屋の経営が安定するようになりました。他の漁業関係者も同じような状況で、ちょうどその頃、東京から復興支援に来ていた人が仲介となって、同じような思いを持つ仲間で集まって一緒に漁業を盛り上げようという動きが生まれました。みんなそれぞれやりたいことがあり、僕は、輸出事業が必要だと思っていることを話しました。どうせやるなら法人化しようとなり、一般社団法人フィッシャーマンジャパンを設立しました。

最初の1年間は、とりあえず面白いものをやろうと考え、催事に出たり飲食店とのコラボ企画をやりました。そんな中で自分たちが何を目指して、そのために何をするのか話し合いを重ね、団体設立から1年後「三陸の海から水産業における“新3K”(カッコいい、稼げる、革新的)を実行するトップランナーになる」という理念を決めました。

「魚ミュニティ」を通した未来の世代が憧れる水産業


現在は、自分の魚屋の仕事に加えて、フィッシャーマン・ジャパンの一員として、未来の世代が憧れる水産業づくりに力を入れています。

小売りや飲食店運営、卸売りや海外輸出など様々な事業を展開している中で、僕たちが意識しているのは、漁師たちと消費者を巻き込んだ、「コミュニティ」ならぬ「魚(ギョ)ミュニティ」をつくること。そのために、東京にあるフィッシャーマン・ジャパン直営の飲食店では、漁師と消費者が直接話せるイベントなどを行っています。

生産者である漁師には、消費者のニーズを把握した上で、血抜きや下処理をした品質の高い魚を届けてもらう。消費者には、漁師の営みや美味しさの差を知ってもらう。そうすれば、価値ある商品を適正な価格で買ってもらえるようになると思います。

実際、地元のスーパーでは、価格が3割位高くてもフィッシャーマン・ジャパンの漁師の魚の方がよく売れる実績もで始めています。消費者には納得感があり、漁師や小売店の収入が上がる良い事例です。これが、水産業の未来のために進むべき方向だと思うんです。

また、個人的には海外事業に力を入れています。輸出地域商社を作り、魚に限らず東北の商品を海外に販売する仕組みを作っているところです。最初は自分たちで輸出しようと考えていたのですが、交渉で海外に行くのにも、荷物を運ぶのにもお金がかかり、自分たちだけでは難しいことに気がつきました。同じ課題を抱えている企業も多く、それなら、魚だけでなく、野菜、果物、肉、酒といった地産品をまとめて輸出しようと考えたんです。

他にも、フィッシャーマン・ジャパンでは様々な挑戦をしていますが、僕たちだけでは限界があるとも感じています。他の地域の人たちでも活動が始まれば、それだけイノベーションが起こる可能性が高まります。そんな良い流れを作るためにも、自分たちの取り組みを必ず成功させ、「後に続きたい」と思われる存在になりたいです。

29歳の時に決めた、10年間という期限まであと2年。それから先はまだ考えていません。水産業を続けるのか、元々やりたかった食品リサイクルをやるのか、全く違うことを始めるのか、いずれにせよ2年後まで全力で走ります。そしてその時までに会社で取り組んでいるあらゆる業務の属人性を排除し、誰でもできる仕組みを作りたいと考えています。

そのための1つの挑戦が、水産流通に関わる業務のIT化です。例えば、美味しい魚を選ぶための目利きのやり方。職人が長年の経験から確立していくものですが、そこで見ている、鮮度や脂乗り、魚の形や血抜きができているかなどを全て自動化、数値化し、長期間の修行をせずとも良い魚を選べるようにしたいです。さまざまな業界でこれだけ人手不足が言われている中、「修行に10年かかります」と言われるような業界には誰も来たくないですから。

持続可能で、儲かる水産業の仕組みを実現すれば、僕たちよりも優れた多くの人が参入してくれるはず。そうやって多くの活動が生まれ、水産業が抱える問題がなくなりフィッシャーマン・ジャパンが解散することが、水産業の未来に繋がると思っています。

2019.05.30

インタビュー・編集 | 島田 龍男
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