九州最西端にある長崎県の五島列島で生まれました。父が五島の出身で、里帰り出産のために母が五島に一時滞在したようです。生まれてすぐに東京に戻り、小学生からはずっと兵庫で暮らしました。

兄が1人いて、小さい頃から仲良しでした。習い事を始めるきっかけはいつも兄でしたね。水泳やソフトボールなどを真似して習いましたが、私は比較的器用ですぐにコツを掴んでしまうので、兄や周りの子を追い抜いてしまうことが多かったです。

兄がコツコツ努力する反面、私は「少し努力すれば何でも人並みにできちゃうから」と周りを少しばかにしていました。「うさぎと亀」のうさぎみたいな感じです。勉強もスポーツもそこそこできて活発で、生徒会長なんかもしていました。

中学3年生になり、進路を考えるようになってからも、当然のように兄の通う高専に行こうと考えました。しかし、水泳部で上位大会に出場したことで勉強を始めるのが遅れてしまい、夏以降追い込みをかけなければいけない状況でした。コツコツ努力ができない私が、必死になって自分を追いつめて、もうめちゃくちゃに勉強しました。

その疲労とストレスれが原因で、中3の冬に突発性難聴にかかってしまいました。最初は目まいなどの前兆があり、電話やリスニング機器の機械音が聞こえにくくなる症状が出ました。

そんな状態だったので、「余裕だろう」と思っていた高専の推薦入試にあっさり落ちてしまいました。ショックでした。人生で初めての大きな挫折感を味わいましたね。それから間もなくして片耳が完全に聞こえなくなりました。

結局滑り止めで受けた公立高校に進学することになって、受験が終わった直後に両耳が聞こえなくなりました。1ヶ月ほど入院して経過を見ても治る気配はなく、父の判断で退院することになりました。

公立の高校には合格していたので、学校に通い始めましたが、毎日が苦しくて、精神的にぎりぎりの状態でした。人の話が分からないとか、自分の言いたいことを伝えられないのはまだ良かったんですけど、誰かが楽しそうに喋っているのを見るのが本当に嫌でした。まるでと「お前は耳が聞こえないんだ」と見せつけられているような気がするんです。外に出たくなかったです。

人に会いたくないし誰とも関わりたくない。そう思うようになり、ワガママを聞いてくれる人とだけ関わりを持つようになり、社会から逸脱していました。