地域が好き。人が好き。経営が好き。互いを認め合いながら、みんなで同じ夢を描く。

小さい頃から経営者になりたかった数馬さん。いろんな場面で常に独自の手法を駆使し、人生を歩んできましたが、今は仲間と共に壁を乗り越えることを重要視しています。こうした思いに至るまで、いったいどんなことがあったのでしょう。お話を伺いました。

数馬 嘉一郎

かずま かいちろう|酒造の経営者
石川県にある数馬酒造の代表取締役を務める。

「思い通り」を手に入れるために


石川県の能登半島で生まれました。きょうだいは妹が1人、弟が1人います。

小さい頃、最初に描いた夢が「社長になること」でした。実家が代々酒蔵を営んでいて、そうした祖父や父の姿を見て育ったからだと思います。ただ単に人の言うことを聞くのが嫌だった、というのもあると思います。

でも、家を継いで酒蔵の社長になることは全く想定していなかったんです。酒蔵ってあまりカッコよくはないじゃないですか、男臭くて。(笑)

ワガママな子どもでしたよ。基本的に自分が欲しいと思った物は、手に入るまでありとあらゆる手段を尽くしましたね。たとえば、欲しいおもちゃを母にねだってダメなら、父にねだり、父もダメなら祖父にねだるというように、しつこくしつこく食い下がるんです。

でも、親からは決して甘やかされて育ったわけではなく、厳しい面も多かったです。特に挨拶など人に対する礼儀に関しては厳しかったですね。そのおかげで今も、誰に対しても気持ちよく挨拶することができます。

家業に関して父から継ぎなさいと言われることはありませんでした。私もそこに興味は全くありませんでしたし。子どもの頃、何に夢中になっていたかというとバスケットボールです。小学校4年生からバスケを始めたんですが、暇さえあればバスケの練習をしていました。

大抵は1人で練習していました。誰よりも上手くなりたかったからです。昔から極度の負けず嫌いで、トランプゲームでも何でも、人に負けるのがとにかく嫌。負けることを避けるため、嫌いな勉強だって頑張りました。負けるよりはいいんです。

中学へ進んでもバスケに打ち込み、高校も、石川県でバスケが一番強かった高校へ進みました。親元を離れ、下宿生活を送りながら、ひたすらバスケ中心の毎日。チーム内のポジション争いが熾烈だったので、ある時から私は、1つの武器を徹底的に磨くことに決めました。決められた時間内に、1点でも多く取ったチームが勝つスポーツでしたので、1番多く点を獲ることができれば、試合に出られるだろうと思い、ひたすら3ポイントシュートの練習を繰り返していたんです。

ディフェンスもパスもドリブルも練習せず、本当にシュート練習のみの一点張り。ですから試合でも私はパスもドリブルも禁じられ、とりあえず、シュート(笑)。みんなで一緒に筋トレをやる時にも、そこへ参加せずにシュート練習ばかりするので、反感を買ったこともあります。

けれど、ありがたいことに、最終的にはチーム内に私のシュート練習への協力体制ができていました。「こいつが決めてくれたら、オレたちは勝てる」みたいな雰囲気があったんです。そのおかげもあって、スタメンで試合に出ることはできましたが、最終的には県でベスト4が最高位でした。

チームに任せること


バスケの最後の大会が終わると燃え尽きてしまい、勉強もなかなか手が付けられませんでした。それでも東京の大学をいくつか受験し、玉川大学へ行くことに決めました。

真剣にやるバスケは高校までと決めていたのですが、結局、バスケサークルに入ってみたり、自分でクラブチームを作ったりもしました。バスケからはやっぱり離れられなかったんですね。しかも、勝ち負けを気にせず、楽しいバスケをやろうと思っていたのですが、次第にまた勝ち負けにこだわるようになっていきました。勝ち負けがないとどうしても「結局これ何なんだ?」と思ってしまうんですね。

バスケ好きで集まったチームで、実力はまちまちだったのですが、長いこと高校までの癖が抜けず、とにかく自分で点を取るようなプレーを続けていました。個人で大会記録の得点を取っているのに、チームは負ける不思議な状況でした。

ただ、最後のクラブチームの大会では、せっかくだから個人プレーではなくてみんなで協力してみることにしました。するとチームは急激に強くなり、ついには大会で優勝しました。しかも、私個人としての動きもそれまでより明らかに良くなっていました。周りの人たちと協調した時に、それぞれが真のパフォーマンスを発揮し、組織としてより強くなれるということを、チームメイトから教わったんです。

同じ頃、就職活動の時期に差し掛かり、やはり昔からの夢「経営者になりたい」という気持ちが強く出てきました。そして経営者になるためにはとにかく多くの経営者に会うことだと考え、経営者と向き合う人材コンサルティング会社に的を絞りました。

私がその人材コンサル会社にこだわった理由は、もう一つあります。それは、面接官をしていた方の発言や態度がすごくカッコよかったんです。サラリーマンというと、電車の中でくたびれているイメージが強かったので、憧れたことはほぼなかったのですが、その方は輝いて見えたんです。そして私は思いました。「この人と一緒に働いて、その上で、この人を越えてみたい」と。

すべてを前向きに捉える


しかし残念ながら、採用試験には落ちてしまいました。「自分らしい服装で来てください」と言われて、バスケのユニフォームで行ったんですが、それもマイナス印象でしたね。それでも、その会社に入ると決めていたので、電話で問い合わせ「何とかもう一度面接をしてください」と食い下がったんです。

最初は断られたので、今度はオフィスに飛び込みでお願いしにいこうと思っていたところ、もう一度面接の機会を頂けることが決まりました。面接まで1ヶ月ほど。このまま再挑戦しても二の舞になる。策を練り考えついたのは、自分がこれまで避け続けてきたことの中にヒントがあるんじゃないか、ということ。それは「読書」でした。

その時に出会った『ツキの大原則』という本が、自分の思考回路を全てポジティブにすることを教えてくれました。とにかく物事をポジティブに解釈しよう、という本で、「何が起きても良い面を考える」と自分の中で約束すると、なんでも前向きに捉えられるようになったんです。

面接では、本を読んで起きた自分の中の変化と、最後のバスケの試合で学んだ、チームで闘うことの大切さについて話しました。すると見事、採用が決まり、晴れて社会人になることができました。

入社してみると仕事はハードでした。飛び込み営業100件とか、テレアポ架電200件の世界です。私は負けず嫌いなので、誰よりも数をこなす、ということは徹底していました。トークの内容も独自に工夫していましたので、アポイント数では一応ずっと1番を獲っていました。

でもトーク内容はメチャクチャだったんです。経営者と会うことが大事な仕事なんですけど、そこで私は「僕は経営者になるのが夢なんです。だから、社長さんと会わせて欲しいんです」といった風なお願いをするんです。「お宅は何を扱っている会社?」と訊かれても「そんなのはどうでもいいんです。とにかく会ってください」と。(笑)

こうしたやり方は社内から批判を浴びることもありました。でも営業って、とにかく相手に会わなきゃ何も始まりません。それに、自分が相手の社長なら、こういう人になら会ってみたいと思うかな、とも思ったんです。意外と結果にも繋がりましたよ。一度社内で、私に関する会議が行われたこともあります。「数馬はどうしてあんなにメチャクチャなやり方なのに相手社長から好かれるのか?」と。(笑)

しかも、実際に営業に行って経営者と話す時も、自分の聞きたいことばかりを聞いていました。「何を大事にされているんですか?」とか「経営って何が面白いですか?」とか。経営者の方々や、その仕事を通じて出会う方々の価値観や表現は、私にとって常に新鮮な驚きがあってすごく面白かったですね。

中でもある時、一人のセミナー参加者から言われた言葉が私の心を動かしました。「君の夢は?」と訊かれたので、当時23歳の私は「30歳くらいで経営者になることです」と答えたんです。するとその方は「じゃあ、それまでの7年間は何を待ってるの?」とおっしゃいました。これは衝撃でした。よく考えたら何も待つことないな、と気付かされました。

営業のために心理学を学ぶ


それからしばらくして私は、同じグループ会社のリフォーム部門へ異動することになりました。必死で抵抗したのですが、上司から説得されました。「本当に経営者になりたいのなら、コンサルティングよりも、営業をして、人が人に対してお金を払う瞬間に立ち会う経験を多くしておけ」と。それはもっともだと私もうなずき、異動を受け入れました。

営業は相変わらずハードでした。個人宅への訪問営業が主体なんですけど、私は商品知識がないし覚えようとも思えなかったので、そこをカバーしようと心理学を勉強して、独特の方法で契約を取っていました。どうしてもお客様へ込み入った説明が必要な時には、先輩に同行してもらい、助けてもらっていました。

なぜ心理学を勉強したかというと、結局、営業って「人と人」だよな、と思ったからです。扱う商品は他社と変わりませんし、あとは値段と人の差。だったら、人間力を上げるというか、信用されるような営業マンになろうと心掛けたんです。お客様は「ここの会社は間違いないな」と思ったら、必ず買ってくれますから。

その後だんだんと商品知識も身につき、仕事へのめり込んでいってたんですが、やっぱり頭の片隅に、「7年間、何を待ってるの?」というあの言葉がずっと残っていたんです。同時に、人の決めた仕組みの中にいると成長はしやすいものの、「これって自分じゃなくてもいいじゃん」という気持ちが否定できなくなってきました。

そんな時に、実家の父から連絡があったんです。「戻ってきて、そろそろ家業(酒蔵)を手伝わんか?」と。それを受け私は「そういう時期かな」と自分なりに腑に落ちたので、能登へ帰ることにしました。

酒蔵での仕事は、まず配達を手伝いました。それまでやっていた仕事と比べ、のんびりした雰囲気ですので、最初はそのギャップに戸惑いました。どうにも気持ちが奮わず、始め2週間くらいは漫画『ワンピース』ばかり読んでいましたね。私はあの主人公ルフィの、熱さと奔放さが大好きなんです。あと、仲間を大事にするところも。自分と似ていると感じる部分もあって、漫画の中の言葉と出会うことで、気持ちのスイッチが入るのを待っていたんです。

能登へ戻り、社長を継ぐ


そうやってダラダラと過ごして5ヶ月ほど経った時、突然、父から社長交代を告げられました。念願叶い、経営者になれたのは嬉しかったのですが、具体的に何をやっていいか分かりません。父は信用金庫の理事長になったので家にはいないですし、社員も社長の仕事は知りません。

そうすると、ただただ暇なんですよね。何もできないことに、無力感を覚えました。

そこで私は経営に関する本を、片っ端から読んでいくことしました。すると改めて経営の世界の魅力と奥深さを知ることにできたんですが、本を読んでいたのでは、それを全部学ぶにはいくら時間があっても追いつきません。各領域は専門家に任せることにして、私は専門家が一緒に働きたいと思えるような人間になろうと決めたんです。能力ではなく、人間としての魅力を磨こうと。

そこから2年間ほどは、ひたすら人と会いまくっていましたね。石川県出身で、県外で活躍されている方に会いにいったり、経営者の集まりへ参加したり。「この方だ」と思った方に手紙を書いて、毎回4時間程経営のことを教えて頂きました。そこで学んだことが私の今の経営の軸になっています。

また、こうして築いていった人脈が、次第に仕事へ繋がっていきました。

社長になったばかりの頃は、正直、社員さんたちとの軋轢もありました。ですが私も県外や海外との取引量を増やすなど少しずつ実績を出していきましたし、コミュニケーションも積極的に行うようにしたんです。朝礼でもその日1日の自分の動きをつぶさに語ったりして。こうして徐々に社員さんとの関係を良好に築いていきました。

そうしていると、次第に、少しずつ結果も出せるようになりました。低迷していた業績にテコ入れをし、代表に就任し5年間の間で、売上を2.3倍に清酒製造量を2倍にすることができました。

経営者として大切にしていること


今、経営に携わって6期目になります。「心和らぐ清酒(さけ)造り」「心華やぐ会社(いえ)作り」「心豊かな能登(まち)創り」の経営理念のもと、現場の仕事は社員さんに任せるようにし、私はもっと先を見て、未来のことをやっていこうとしています。

経営者になり色々なプロジェクトを行ないましたが、最初は経済性、独自性、貢献性の順番で重要視していたことも今は、生業を通して能登に少しでも貢献できればと地域や社会への貢献性に、何より重きを置いています。それで、能登に根付いた持続可能なものづくりを目指し、農家さんと連携し能登の耕作放棄地を開墾するところから始める「水田作りからの酒造り」を3年前から始めました。「循環」と「シェア」が我々のキーワードです。


私は生まれ育ったこの能登の地が大好きです。地域が好きというよりも、住んでいる人たちが好き。お酒だってやっぱり人です。あの人が造ったから好き、あの人が売ってるから好き、と言われるような、そんな酒蔵でいたいと思っています。

社員の方々はみんな私よりすごい人たちばかりです。ですが、全体を指揮する経営だけは、私は誰にも負けないつもりです。海賊王を目指す『ワンピース』のルフィのように、それぞれの良さを認め合い、引き出し合って、組織全員で同じ夢を見れたら、と思っています。

私はとにかく経営が大好きなんです。今後は酒蔵の経営者としての勉強だけでなく、どの業種にも対応できるような経営法を学んでいくつもりです。多くの経営者の方々から頂いた知恵やアドバイスに対する感謝を、その人たち本人には返せなくても、ゆくゆくは世の中で困っている人たちを救うために役立てることができたら、と思っています。

経営者として大切にしていることは、嘘をつかないとか、真摯でいるとか、人としてあたりまえのことです。以前、知り合いの経営者から「子どもの頃に教わったことをそのままやりなさい」と教わり、まさにそれが自分の生き方にピッタリの言葉だったんです。凡事徹底、人としての基本を徹底してやっていきます。

仕事にはいろんな場面やいろんなピンチが訪れます。でも私はその壁が自分一人ではどうにもならない壁だとかえってワクワクするんです。社員さんたちや取引先の方々と力を結集して、始めは不可能とも思えたことを成し遂げた時の喜びはたまらないものがあります。

社長になったばかりの頃は、売上を上げることとか、お酒を評価してもらうことが喜びだったんですが、今はあらゆることに挑戦し、逆境を乗り越えたらどうなるか、というのを経験値としてどんどん積み重ねていきたい、そんな気持ちが強いですね。壁を越えたらみんなで次にステージに行けますし、何より私は、その先で成長した自分自身と出会うことが楽しみなんです。

2016.08.26

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