プロフェッショナルの向こう側を見に行きます。

“We make your life〜全ての人に輝ける人生を〜”という理念のもと、神奈川を中心に整骨院やエステサロンを展開する山内さん。一人のプロフェッショナルから、経営者としてのリーダーシップ発揮に舵を切り、事業を大きく展開しようとしています。「今から人生が始まったみたい」と話す背景には、どんな思いがあるのでしょうか?

山内 英嗣

やまうち ひでつぐ|整骨院・エステサロングループ経営
神奈川を中心に整骨院やエステサロンを展開する、株式会社ライフデザインの代表取締役を務める。
株式会社ライフデザイン
運営店舗 PROSTYLE 茅ヶ崎・藤沢(整骨院)
     SIMPLIST 茅ヶ崎(メディカルエステサロン)

楽しさはいらなかったんです


小さい頃から、ものすごい負けず嫌いでした。

親の影響もあり、水泳・野球・茶道・書道・華道と色々習い事をしていたのですが、
どれも、決めた目標の達成のためにやっていたんですよね。
水泳で全国大会出場、書道7段、茶道免許状取得と、結果を出す事もできました。
でも、特に楽しいと感じた事はありませんでした。

楽しさはいらなかったんですよ。
自分で決めたことを達成できることだけが楽しかったです。

目立ちたがりやでお調子者だったのですが、
嫌いなものは嫌いだとハッキリ言うので、人からの好き嫌いが別れるタイプでしたね。
周りとは仲良くつるむものの、一人、どこか違う世界にいるようだと言われていました。

自分のパーソナルな部分に人が入ってくると弱いことをなんとなく気付いていて、
だからこそ、先攻逃げ切りで騒いでいたような気がします。

高校は、山梨の全寮制の高校に野球推薦で進学しました。
これから強くなるような学校だったので、なんだかここから伝説が始まるような気がしたんです。

学校自体は、普段の挨拶が敬礼というほど、軍隊みたいな雰囲気で、究極の上下関係の中で野球一本の生活でした。
航空の専門だったので、ユニホームの上につなぎを着て、授業は寝て、つなぎを脱いで練習へ、という繰り返しでした。

練習はもちろん厳しいのですが、あまり辛さを感じることはなく、
立てないくらい練習するのに、ある種気持ち良さすら感じていました。
とにかく、自分は野球選手になるものだと思い、毎日を過ごしていました。

たった一球でした


そんな環境の中、甲子園出場、野球選手になるために練習に励んでいた頃、
ある試合で、その後にプロになり、メジャーにも行った選手と対決したことがありました。

今でも鮮明に覚えています。
対峙した一球目、外角の球に見とれてしまったんですよ。
150km近いのに、すごくゆっくり、美しく見えたんです。

圧倒的でした。
たった一球で次元が違うことを察しました。立ち向かえないと思ったんです。
そのあとヒットを打ったのか、その試合に勝ったのかどうかは全く覚えていませんが、
その打席の後にベンチに戻ると、自然と涙がでてきたのは覚えています。

負けず嫌いで、本気で野球を突き詰めていたからこそ分かったんですよね。
その瞬間、私にとっての野球は終わったんです。

その後もチームでの甲子園のためには全力を尽くしましたが、
甲子園出場も叶いませんでした。
全てをかけていた高校野球が、終わりました。

大会後はやることがなくなりました。
専門大学にエスカレーターで入学できるので、何も考えず大学に進学しました。
大学時代はほとんど彼女との記憶がメインでしたね。
ありあまった体力を使うため、トライアスロンを始めましたが、
それ以外、何かを頑張った記憶がないんですよ。

就職活動も、みんながするから一社だけ受けました。
どうやって選んだのかもあまり覚えていません。
当時はものすごい就職難でしたが、無事内定をもらう事が出来、就職活動を終えました。

とにかく、負けた感覚がありました


帰省して、親に就職の報告したところ、
「本当にそれでいいの?」と言われたんですよ。
たぶん、浮かない顔をしていたんだと思います。

それにハッとしたんですよね。
自分で納得なんかしてなかったんですよね。

初めて働くという事について、ちゃんと考えました。

改めて考えたときに思い返されたのは、なぜだかトライアスロンの試合中のある風景でした。
自転車の転倒事故に巻き込まれ、救護室に運ばれた時の、
白衣のスタッフがテキパキ働く姿が、脳裏に焼き付いていたんです。
なんというか、その人たちを見た瞬間に、安心したんですよ。

自分にとって、働くというのは、そのイメージなんだと気付いたんです。

それからは多くの人に頭を下げ、柔道整復師になるため、
愛知の専門学校に入り直しました。

専門時代は、朝から整骨院で働き、夜は学校、夜中にバーで働くという日々でした。
寝ていなかったという思い出が中心でした。 

その後、国家試験を受けて柔道整復師の資格をとり、学校を卒業すると、
将来の役に立つことを考え、整骨院勤務ではなく、保険請求を扱う会社に入りました。
会社ではそれなりに仕事をこなしていましたね。

ところが、入社してから間もない頃、5年付き合った彼女にフラれました。
その後、彼女は年上の方と結婚したんです。たぶん、自分が子供だったんでしょうね。
とにかく負けた感覚がありました。もう全部嫌になってしまったんです。

この世にある負の感情を全て合わせたような気持ちでした。

とにかく遠くに逃げたくて、会社を辞めて鳥取の友人の家に転がり込みました。
現実逃避で、2ヶ月以上何もしないで過ごしていましたね。

反撃の狼煙が立ち上るような気がしました


文字通り、本当に何もせずに過ごしていましたが、
居候先の友人がトレーニングジムで働いていたので、行ってみた事がありました。
そこはオリンピックを目指すようなアスリートがトレーニングを行うような場所で、
彼らが妥協無く努力するのを見て、なんだか急に目が覚めたんですよ。

自分もこのままじゃいけないと思ったんです。
絶対に見返してやる、そう強く感じたんですよ。

反撃の狼煙が立ち上るような気がしました。

それからは、全国の「ゴットハンド」と呼ばれる人に話を聞きに行き、実際にそこで働かせてもらいました。
6万円ちょっとの給料でずっと張り付きで働き、とにかく上達しようと必死でした。

初めこそ、見返してやろうという動機でしたが、
どこからか、純粋にもっと技術を磨きたい、一治療者として成長したいという気持ちに変わっていったんです。

初めて自分で「こうしたい」という思いをもって取り組んだ気がします。

それに気付いてからは、彼女を見返すどころか、自分が変わる機会をくれた事への感謝にかわりました。
これまで使っていなかったギアが入ったような感覚でした。
どんどん自分が解放されていくような気がしましたね。
とにかく自分の腕を磨くため、狂ったように働いていました。

少しずつ実力がついてきた頃、東京の整骨院グループの社長からヘッドハンティングされて、
整骨院グループの総院長になりました。
区で一番の整骨院にしたいという要望のもと、更にストイックに取り組み、
患者数、保険請求額において、区で一番の店舗を作る事が出来ました。

それを機に、自分でも開業したいという気持ちを持ち始めたんです。
自分のやりたいことがどんどん出てきたんですよね。

どこかで他責にしていたんです


29歳になり、初めて自分の整骨院を、生まれ故郷の茅ヶ崎で開業しました。
大きな構想を持って始めたので、1億以上借金をして立ち上げましたが、怖さは微塵もありませんでした。

すぐに結果も出始め、口コミで繁盛になり、コントロール不能なくらいお客さんが着てくれたんです。
全て順調に進んでいるように見えました。

ところが、事業としての成長が描いたとおりにならなくなってきました。
それどころか、業績が悪化してきたんです。
理由は明確でした。

周りの人が、動いてくれなくなってしまったんですよ。

自分自身、プロフェッショナルを目指し、延べ7万時間・25万人に治療を行い、指が変形してしまうくらい突き詰めていました。
触ったら、何をしなければいけないか分かるようになっていたんです。

ところが、周囲の人の気持ちになり、受け止めて、導くことを全く出来ていなかったんです。
「俺だったらできるのに」と苛立っていたんですよ。
自分のこだわり通りにやらなければ気が済まず、周囲をシャットアウトして孤立してしまいました。

ある時、その状況を見かねた、古くからの付き合いの社員から言われたんです。

「あなたを信用してくれてついて来てくれる人を、あなたが信頼しないでどうするんですか」

その言葉が、本当に響きました。
すごく申し訳なかったです。どこかで他責にしていたんですよ。
この先を進むには、自分がこれまでしてこなかった「受け止める」ことが絶対に必要だったんです。

そこが、再出発地点でした。
昔の師匠からもらった言葉に基づき、院長と社長は両立せず、現場を離れ、経営者に専念する事に決めました。

触れる前に決まっている


今後は、2025年の時点で100億の企業にするために事業の拡大を行っていきます。
まずは健康・美容業界のフラッグシップ的な存在になろうと思っています。

個人としては、以前から行っている、病気等で入院されている、高齢の患者さんへの往診を続けていきたいと考えています。

この業種ではとても珍しいケースなのですが、病気や老衰で入院している高齢の患者さんが、
少しでも体調をよくしたいという思いから、私を呼んでいただける事があるんです。

その場で行うのは、もはや医療行為ではなく、体を楽にしてあげるためのストレッチなどを手伝うような内容で、仕事ではありません。

そして、往診に伺う中で、患者さんの最期に立ち会うこともあるんです。

その状況って、もう医療技術の次元ではないんですよ。
その方が普段自分の事をどう思ってくれているかで、効果が変わるんです。
お医者さんや家族が話しかけても反応がなかった方が、私が会いにいくと、笑顔で話をしてくれた事もありました。
それが、亡くなる数時間前だったこともあるんです。

本当に、感覚がすごく研ぎすまされて、限りなく「透明」に近い瞬間なんです。
言葉などいらないんです。
お互いが持ち合わせた「前提」で全てが決まるんです。
普段、どれだけ研ぎすます事ができるか、どれだけ信頼を重ねているかが、
亡くなる方と対峙した瞬間に究極的にわかるんです。

本当のプロフェッショナルに、オン・オフはないと思います。

治療家でいえば、触れる前に決まっているんです。

店舗もそうです。
店舗内のきれいさや、店に置かれているもの一つ一つからの雰囲気で、
「ここに行けば治る」ということが前提となるんです。
そんな場所にできるよう、普段から感覚を研ぎすませるようにしています。

よく、「大変じゃないんですか?」って聞かれるんですが、
全然そんな事はないんです。
無意識化されて、できることが増えていっているんです。

なんというか、色々と解放されて、今から人生が始まるような感覚すらあるんですよね。

将来はすごいと思いますよ。

2014.03.27

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