私たち一人ひとりが、社会課題を持っている。 愛を持って社会に突っ込む、高校生社会起業家。

15歳で一般社団法人Sustainable Gameを設立し、中高生と企業が一体となって社会問題の解決に取り組む仕組みを作る山口さん。「社会問題は一人ひとりにあるもの」と話します。そう考えるようになったきっかけとは?そして先陣を切って活動に取り組む想いとは。

山口 由人

やまぐち ゆうじん|一般社団法人Sustainable Game代表理事
2004年生まれ。幼少期をドイツで過ごす。帰国後、SDGsの達成に向け取り組みたいと思うものの手段がないことに違和感を覚え「課題発見DAY」というイベントを企画。のちに一般社団法人Sustainable Gameを設立。2020年、Ashoka Youth Ventureに認定される。日本の入国管理局収容所の人権問題の映画制作を行うなど、幅広く活動する。

ドイツでの疎外感


東京都で生まれ、しばらくして父の仕事の関係でドイツへ引っ越しました。母が美術大学出身で、祖父が書家、祖母が日本画家という家庭だったからか、自分で想像しながらものをつくるのが好きでした。絵を描いたりレゴブロックで遊んだりするのが楽しかったですね。

一方で、野球や戦隊ごっこなどはあまり興味がありませんでした。誰かと競ったり争ったりするのが好きじゃなかったんです。

一度日本に戻りましたが、小学校1年生の冬ごろ、再びドイツへ。現地の学校に入ってすぐ、スキープログラムに参加することになりました。でも全く言葉がわからなくて。オーストリアのスキー場の崖っぷちに立たされて途方に暮れました。

周囲は何をすべきかわかっているのに、自分だけ理解できない。ここで置いて行かれたら終わると思い、必死について行きました。なんとかなったものの、自分だけ取り残されているような感覚を味わいましたね。友達の家で遊ぶときも、自分だけ言葉がわからないからひそひそ話をされてしまったり。疎外感がありました。

シリア難民と何もできない自分


小学5年生の時、シリアの情勢が悪化して、ドイツに難民が押し寄せました。街をマシンガンを持った警官が歩くようになり、警戒が高まりました。友達が乗っていたバスが急に止まり、銃を担いだ警官が乗ってきて、バスに乗っていた大荷物を抱えた人を連れて行くこともあったそうです。

ある日、プレッツェルを食べながら近くの教会まで歩いていると、急にシリア難民らしきおじさんから、「パンをくれ」と声をかけられました。どうしようか一瞬悩みましたが、怖いから走って逃げたんです。

その後は普通の生活に戻ったのですが、そのおじさんのことが心に引っかかっていました。テレビでは毎日、シリア難民について夜遅くまでずっと議論が繰り返されていました。近くのデパートでもテロが起き、ISISだと名乗る人が「アッラーは偉大なり」と叫んだと報道されて。そこから難民受け入れをやめようという動きが加速し、一気に街の治安が悪くなっていきました。

あのとき、パンをくれと言われたけれど、何もできなかった。おじさんに何かしてあげられたらよかった。アジア人である僕も、ドイツではマイノリティでした。だから、シリア難民の方々が取りこぼされていく感じにモヤモヤを覚えたんです。でも、何か行動に移せることもなくて。モヤモヤを抱えたまま楽しい日常生活に戻り、中学校入学を前に帰国することになりました。

分断ではなく、みんなと一緒に


父はドイツに残っていたので、しばらく日本とドイツを行き来する生活が続きました。そんな中、中学校生活が始まったんです。受験の際の成績で2つのクラスに分かれる学校でしたが、帰国子女は下のクラスと決まっていました。

入ってみると、周囲は受験で第一志望の学校に入れず、「どうせ自分なんて何もできないだろう」と感じている子が多くて。初めの頃はうるさい生徒もいて授業は聞こえにくいし、先生がいなくなっても誰も気づかない。クラスメイトに「おはよう」と言ってもほとんど返してくれませんでした。

僕はクラス委員になったのですが、何か起きると放課後に担任に呼び出され、「何があったのか教えて」と聞かれる毎日。大変でした。

そんな状態でしたが、僕は毎日、全員と話そうと心がけていました。最初は嫌なことを言われることもありましたが、それでも話しかけ続けているとだんだん信用してもらえるようになって。嫌なことを言われる一方で、クラスのボスみたいな子が話を聞いてくれるようになり、何か起きたら呼んでもらえるような関係性になっていきました。クラスの雰囲気も、徐々に落ち着きました。

勉強も真面目に頑張っていたので、学年の中でも成績上位に入れました。結果が掲示板に出ると、みんなが「このクラスなのにそんな点数取れるんだ」と言ってくれて。自然とクラスの中で、みんなで点数をあげていこうという良い空気が出始めました。その結果、期末考査社会科目では、学年トップ20を僕らのクラスがほとんど占領したんです。絆が生まれたような感覚があって、みんなと一緒に頑張ることがすごく楽しかったです。

誰でも社会に関われる


ある日、学校の授業でSDGsについて学びました。ただ、内容を聞いてもどうやって参画するのか全くわからなくて。これは全世界で取り組むべき社会実験なのに、なぜやり方がわからないんだろうとモヤモヤしました。

そんな時、いつも使っている駅で、鉄道のオープンデータを使ったコンペティションの募集を見つけました。東京五輪を前に、移動の利便性をあげたり、交通に関する社会課題を解決したりするサービスを考えて応募するものです。だいたいそういう募集は年齢制限があって嫌だなと思っていたのですが、そのコンペは年齢不問。中一でも応募できるじゃんと、早速アイデアを練って応募しました。

いろいろな人にサポートしてもらいながら、歩きスマホ問題を解決するようなアプリのプロトタイプを作りました。すると、賞をいただくことができたんです。受賞式の会場に行くと、そこにいたのはスタートアップのベンチャー企業の経営者ばかりでした。その中になぜか、試験会場から迷い込んだような僕がいる(笑)。場違い感がすごかったですけど、そんな場所で賞をもらえたことは自信になりました。年齢なんて関係ない、自分にも社会に参加することができるじゃんって。

それをきっかけに、SDGsにも取り組んでみたいと思うようになりました。もともとのSDGsは、誰ひとりとりこぼさない世界を作るための、世界最大の社会実験だと認識していました。どうやったら社会に参加できるのか考えて、プログラムを作ることにしたんです。

放課後に先輩たちや外の学校の高校生を集めて、「課題発見DAY」というプログラムをやったんです。サイコロで決めた都内の駅の前に集まり、ルーレットでSDGsの中からテーマを一つ決めます。そのテーマを意識して、街の中を歩いてみるのです。

「ジェンダー」というテーマだったら、いつも行くデパートで、コスメコーナーに女性の店員しかいないことが気になったりして。いつも持っていない視点を持つことで課題を発見し、それについて多世代でどう解決するのか考えました。やってみると、意外と楽しかったんですよね。

教育プログラムにしたら面白いんじゃないかと思い、様々な企業の方にお話ししに行きました。すると、ある企業の方が「うちのオフィスを会場に貸してあげるよ」と言ってくれたんです。オフィスを借りて、イベントを開けることになりました。

とはいえ、どうやって集客したらいいのかもわかりません。お金もないしSNSのフォロワーもいない。どうしようかと考え、ポスターを手作りすることにしました。デザインを勉強している中学生と一緒にポスターを作って、安く印刷してもらって。自分たちで学校帰りにいろいろなカンファレンスやセミナーに行き、入り口でプレゼンして、ポスターを手配りしていきました。

迎えたイベント当日。集客の甲斐あって、2、30人ほどの人が来てくれました。会場で説明をした後、事前にファシリテーションをお願いした大学生を中心に、街を歩いてもらったんです。制限時間以内に戻ってきて、集めてきた課題の解決方法について話し合いました。最後にプレゼンテーションしてもらうと、思った以上に様々な課題が出てきましたね。

偶然ですが、当日は僕の誕生日。みんなに祝ってもらって嬉しかったです。運営で喧嘩もしたけど、なんだかんだうまく言った手応えがありました。「またやりたいね」と話してそこから月1回、いろいろな会場を借りてプログラムをやるようになったんです。

愛だけではいけないのか


活動を続けながら、中学3年生になったころ、学校のプログラムの中で、社会課題を解決するソーシャルビジネスを考える、60日間のプログラムについて知りました。最後には2週間ほどカンボジアのソーシャルビジネスの会社にいき、実際にビジネスを体験して売り上げを上げて帰ってくるという内容です。

たまたまそのプログラムを運営する会社の社長のプレゼンを聞いたとき、「社会課題を解決しながら、自分でお金を得て生活するってかっこよくない?」と言っていて。それがすごい刺さったんですよね。なんとしてでもこのプログラムに参加したいと思い、社長に「参加させてください」とメールしました。

書き方もよくわかっていない拙いメールでしたが、メールがかかってきて話を聞いてくれて。プログラムの対象は高校生以上でしたが、参加させてもらえることになったんです。

僕はプロモーションチームに入って、チラシを作ったり、リサーチのために繁華街でインタビューをしたり、商品のターゲットを考えたりと活動。最後の研修ではカンボジアに行き、戦争で使っていたジープをラベンダー色に塗り替えて、外国人を乗せて観光する活動をしているツアー会社のサポートをすることになりました。

その会社は、提携しているNGOからお金をもらって、なんとかやりくりしているような状態でした。ある日、創業者のパートナーの女性に、「将来の夢は?」と聞いてみたんです。すると彼女は、「高校に行くことなの」と答えたんです。その言葉に、めちゃくちゃショックを受けました。

僕は日本にいて、高校に行くことが当たり前になっていたんですよね。でも彼女は、自分が高校に行けなかったから、地元のスラムの地域の子どもたちが高校に行けるよう、学校を建てて貢献したいと言っていて。ただでさえ事業は赤字なのに、売り上げの半分以上を寄付していたんです。それを知って、「愛だけではビジネスは回せないのか」と現実を目の当たりにした気がしました。

ある日、僕はツアーに参加してもらうために、夜中の繁華街の白人が多いエリアで自分たちが作ったチラシを配っていました。アジア人だからスラム街からきた子どもだと思われるのか、目の前でチラシを捨てられたり、唾をはきかけられたり、邪魔だと言われたり。必死で配りましたが、「こんなのやらなくてもいいのにな」ともう嫌になっていました。

そんなとき、高校に行くのが夢だといった彼女が、レストランの中にどんどん入っていって、チラシを次々配っていってくれたんです。見ず知らずの僕らが作ったチラシを配るために、何度も何度も頭を下げて。

その時、なんでこんなに愛を持って社会に対して取り組んでいる人たちがお金がなくて、生活するのが大変なんだろうと思ったんです。なんでこの人たちが、社会の中でかっこいいと思われる存在になっていないんだろうって。心にドンっと来るものがありました。愛を持って社会に突っ込むことが当たり前になるような社会を作りたいと、本気で思ったんです。

一人じゃないからできること


帰国後も、課題発見DAYのイベントを続けました。クラウドファンディングを行うなど活動も広がり、法人化を考えるように。交通費などの負担をメンバーにかけなくて済むようになりますし、税金などの問題もありました。最初は株式会社にしようと思ったのですが、親に反対されました。ただ、活動自体への反対ではなかったです。まず一般社団法人化して、ちゃんとビジネスとしてやっていけることを証明してから会社にしたら良い。そう言われてまず、一般社団法人化することにしました。

しかし、一緒に活動してきたメンバーは、不安な感じになってしまって。メンバーを心配した親御さんからも反対を受けました。快く思ってもらえないことは辛かったですし、めちゃくちゃ悩みましたね。でも、メンバー自身は活動を続けたいという思いを伝えてくれたので、その人の気持ちを応援したい、守りたいと思いました。

また、メンバーから「お前一人でできるなら別に団体じゃなくていいじゃん」と言われることもあって、僕自身、なんで団体なのかはずっと考えていました。喧嘩もするけれど、一人じゃできないことができるんですよね。

例えば、初めの頃はSDGsについて考えるイベントをやっているのに、会場の備品でプラスチックを使っていました。そうしたら参加した女子高生に、せめて環境問題について考えろって怒られたんです。でもその子がメンバーになって、自分たちの事業によって起こしてしまっている環境問題に関する調査をしてくれたり。他にも、自発的に組織内で交流できるようなウェブサイトを作ってくれる子がいたり。

良い意味で批判してくれたり、手伝ってくれたりする人が近くにいてくれたんです。昔からいろいろな人たちと一緒に何かやるのが好きでしたし、そのほうが良いものが生まれると知っていました。だからこそ、一人ではなくみんなでやる意味があると思ったんです。

仲間たちと地道に話していく中で少しずつ認めてもらえるようになり、一般社団法人Sustainable Gameを立ち上げることができました。

年も所属も関係なく協働できる未来へ


今は、一般社団法人Sustainable Game代表理事として活動しています。課題発見DAYの教育プログラムを軸に、企業向けの研修や社内勉強会をしたり、学校向けの授業をしたりしています。

目指しているのは、中高生と企業や団体が一緒に社会課題に取り組むことが当たり前の社会を作ることです。例えばSDGsについても、僕らの世代だけで現状に対する抗議のアクションを起こしても、それだけで終わってしまうことがあります。アクション自体は悪くないと思うのですが、自分たちだけでなんとかしようという思いが強くなりすぎて、世代間が分離して一緒に取り組めなくなってしまうのは問題だと思います。そうじゃなくて、企業とコラボして多世代で社会課題の解決に取り組めたほうが、大きな希望になるはずです。

僕は現代社会において、現状と理想との乖離が社会問題なんじゃないかと考えます。そうだとするなら、社会問題は一人ひとりが持っている。だから今必要なのは、それぞれが持っている社会問題を知り、状況に寄り添いながら解決方法を考えていくことです。それが、Sustainable Gameのミッションに掲げた「愛を持って社会に突っ込む」ということ。僕自身もそうなりたいし、多くの世代の人にもそうなって欲しいと思っています。

Sustainable Gameの活動の他にも、自主制作で入局管理局を取材して、「働くって何?」をテーマにしたドキュメンタリー映画を作ったり、インターンをして自分の目指す世界観をビジュアル化することにも取り組んでいます。

今後は、高校卒業までに中高生と企業をつなぐ仕組みを作りたいです。次世代と民間、パブリックセクターが一緒に物事に取り組むことは、一つの産業になると思うんです。そのモデルを確立して、後輩に引き継ぎたいですね。

そしたら次は、その産業を支援できる人になりたいです。大学では、社会課題に向き合う小さなNPOやNGOがしっかり支援されるよう、ブランディングやマーケティングを学びたいと思っています。愛を持って社会に突っ込む人たちの活動が、もっと多くの人に知られて身近になり、かっこいいと思われるように活動したいですね。

そんな仕組みを作れたら、最後は宇宙に行きたいです。ある宇宙飛行士の方が、「宇宙は一番平和なんじゃないか」と言っていて。国際宇宙ステーションは、多国籍の人が仲良く一緒に物事に取り組む場所。国も所属も関係ありません。いろいろな人と一緒に何かできる最終地点が宇宙なんじゃないかと思うんです。宇宙にいたら、自分が「地球人」だと思えるんじゃないか。そしたらもっと社会全体をより良くしようと思えるんじゃないかと思うので、自分でそれを体感したいですね。

ただ、今こうして活動していることには、葛藤もあります。社会問題に関心を持っていても、住んでいる場所や家庭環境などの制約で、取り組めない人がいる。そんな中で、自分だけが活動できていていいのかと考えますし、コンテンツとして消費されていく感覚を覚えることもあります。

でも、それができる環境にあるのなら、まず自分がしっかり学ぶべきだとも思っていて。自分が経験したことを伝えること、それによって他の人が自分と同じ辛さを味わわないような環境を築いていくことが、自分にしかできない責任なのかもしれないと。悩みながらではありますが、ソーシャルグッドな活動に本気で取り組んでいきたいです。

2021.04.22

インタビュー・ライティング | 粟村 千愛
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