僕は京都生まれで、幼少期から絵を描くことが大好きな子どもでした。

小学生の時は、漫画の絵を真似て描いてみたり、
中学生になってからはグラフィティアートに興味を持って、
よく本屋の洋書コーナーに行っては資料になるような写真集を探したりしていました。
そんな風にアートが大好きで一刻も早く社会に出てクリエイティブな仕事をしたいと思っていたので、
美大への進学は考えず、少し特殊な京都の銅駝美術工芸高校のデザイン科に進学することにしました。

高校に入ってからは、早く自分の作品を多くの人に見てもらいたいという想いから、
1年生の終わり頃から毎週末大阪のアメリカ村へ行き、路上で自分の描いた絵を売り始めました。
路上ではそれなりの反応があり、アパレルショップから声が掛かってTシャツのプリントになったり、
2年生の時にはスカウトされて、 デザイン会社を通じて仕事もさせてもらえるようになりました。
その仕事は年間契約で京都のショッピングモールのメインビジュアルのイラストを描く仕事で、
高校生の僕にとっては大きく、報酬ももらえたので絵の仕事で食べていく自信を持つには十分で、
高校卒業後は進学や就職はせず、フリーとして頑張ってみようと思えました。

しかし卒業と同じ頃、そのショッピングモールの仕事の契約期間も切れてしまい次のイラストの仕事も簡単には決まらず、
とりあえず服屋や看板屋などで働きながらイラストの仕事も探すような生活が始まりました。

クリエイティブな空気感だった美術高校から突然一般社会に出て、同時期にストリートの活動も辞めたので、
突如アートと触れる機会が減ってしまい、内面から沸き立つものも見えなくなり、何を発信していいのか分からなくなってしまいました。