国境、時代を超えて受け継がれる音楽を。 作曲家、ギタリストとして世界に羽ばたく。
世界を舞台に作曲家・ギタリストとして活動する逆瀬川さん。中学生の時、音楽の授業で名曲「モルダウ」を聴き衝撃を受け、音楽の素晴らしさに目覚めたと言います。独学でギターを学んだ逆瀬川さんが歩んできた道のりと、これから目指す未来とは。お話を伺いました。
逆瀬川剛史
さかせがわ たけし|作曲家、ギタリスト
作曲家、ギタリスト。高校生でギターを始め、インターナショナルギターフェスティバルに出演するほか、アジアを中心に世界各国で演奏。現在は楽曲提供やライブなどをメインに活動している。
名曲「モルダウ」に衝撃を受ける
鹿児島県の種子島で育ちました。雨がよく降り、自然が豊かな地域でしたね。家の近くに深い森があり、幼い頃は家の窓から森を見て、空想遊びをして過ごしていました。森は何があるかわからなくて怖いと思う一方で、神秘的で魅力的な場所だと感じていました。
小学校に上がるタイミングで鹿児島の本土に引っ越したのですが、テレビをあまり見ていなかったので、友達の話や流行についていけなくて、友達の輪の中に入っていくのに苦労しました。すぐに変わってしまう流行りを追うことよりも、自分で何かを考えたり、空想したりするのが好きな子どもでしたね。
そんな感じのまま中学生になったある日、音楽の授業でチェコの作曲家、スメタナが作った「モルダウ」という曲を聴いたんです。先生がLPレコードを大音量でかけてくれたのですが、聴いた瞬間ものすごい衝撃を受けました。これまで聴いていたポップスとは全然違う。「こんな音楽が世の中にあるのか」と。すごくスケールが大きくて、曲の背景に自然や人の営みが見えるような印象を受けました。
興奮して家に帰って、ピアノの先生をしていた母に「今日すごい曲を聴いたよ!モルダウって知ってる?」と話すと、「知ってるよ」と。その後程なくして、母がCDを買ってきてくれたんです。モルダウを含む、クラシック曲が10曲入ったオムニバスのCD。はじめはモルダウが目当てだったんですが、前後の曲も聴いているうちにどれも素晴らしい曲だと気づいて。中学の3年間、毎日このCDを聴いて過ごしていました。
音楽は自分でつくれる
高校に入学してすぐの頃、幼馴染みがギターを弾いているのを見て、「え、こいつギター弾けるんだ!」と衝撃を受けました。これまでも家で母はピアノ、父はギターを弾いていて、楽器は身近にありましたが、自分にできるものだとは思っていなかったんです。楽器を弾けるのは一つの超能力みたいなものだと思っていたんですね。
でも、目の前で幼馴染みが弾いているのを見て、初めて自分でもできるかもしれないと思えたんです。そこで家に帰って早速、父のギターを弾いてみました。ギターの教本を開いて恐る恐るコードを押さえてみると、ちゃんと音が出たんですよ。その音色が純粋に、美しいと感じてすごく感動しました。ただ音が鳴っただけなんですけどね、「なんだかすごい世界に足を踏み入れてしまった」と。嬉しくて、そこからギターにのめり込んでいきました。
最初はエレキギターを弾いていて、ベースができる友達とロックバンドを組みました。初めてセッションして、それぞれのフレーズが一つになって音楽になっていくのを感じた時に、「これはすごいことが起きてるぞ!」と2人で顔を見合わせて興奮しました。全てが新鮮で楽しかったです。お年玉で買ったギターを抱きながら寝るくらい、毎日夢中で練習していました。
高校3年生になったころ、今度は別の友達がアコースティックギターを弾いているのを聴く機会があって。その音色がすごく綺麗で、以前モルダウに感動した時のように自然を感じられてどこかノスタルジックな雰囲気があるなと感じました。自分の感覚にしっくりくるなぁと思い、エレキギターからアコースティックギターへと興味が移っていきました。そうなるといても立ってもいられず、友人から安くアコースティックギターを譲ってもらって、猛練習しました。
同じころ、作曲も始めました。とある楽譜集の裏にあった「楽典」というコーナーを見て、何だろうと興味を持ったのがきっかけです。そこには簡単な音楽理論が書いてありました。読んでみると、これまで弾いたいろんな曲がその理論に沿って作られていることに気付いたんです。この理論に沿えば自分にも曲が作れるのではないかと思い、実際にやってみたら数曲できたんです。何もないところから作品が仕上がっていく過程が面白くて、そこからはどんどん作曲するようになりました。お客さんの前でも、カバーではなく自分の曲を演奏するようになりましたね。
不安の先に掴んだチャンス
高校を卒業するタイミングで一度、ギタリストという職業を選ぶかどうか真剣に考えました。その時は1本に絞る勇気がなく、勉強も好きだったため、ひとまず大学に進学することにしました。
大学では哲学を勉強しながら、ひたすらギターを弾いていました。先生も、ブルースハープを上手に演奏するアーティスティックな人で、応援してくれていました。
学業の傍ら、ソロギタリストとしてライブをしていました。「自分のことを知らない人に音楽を聴いてもらいたい」という思いがあって、とにかく人前に出るチャンスを探しました。スタジオにお金を払ってミニライブをさせてもらうところから始めて、徐々にイベントなどにも呼んでもらえるようになりました。
やがて大学三年生になり、就職活動の時期を迎えます。家族や親族から「将来どうするんだ」と聞かれることが増えました。ある時ポロッと、「ギタリストになりたいんだけど…」と話したら、家族会議にかけられました。特に反対していたのは、幼い頃から可愛がってくれていた祖父。「本当にその道に行きたいんなら好きにやれ。でもお前は勘当だ」と激怒されました。僕は祖父が大好きだったので、ショックでしたね。それでも、ギタリストになるという夢は諦めたくなかったので、押し切る形で就活せずに卒業しました。
卒業後は、年契約で予備校の講師をしながら、CDの制作に明け暮れました。ずっと作りたかったものを今こそ形にしたいと思い、授業をして帰ってきては、夜な夜なギターを弾いてレコーディングをするという日々が続きました。
一人でレコーディングをしていると、不安な気持ちになることがよくあります。「こんな風にCDを作ったところで、誰も聴いてくれないんじゃないか…」と、自分のやっていることに迷いが生じてくることがあるんです。それでも、作品を作ると決めたのだからと自分を奮い立たせ、なんとか「Short Stories 生命の森」という初めてのアルバムを完成させることができました。
その後アルバムを出版し、色んなところに送ったりライブで販売したりという日々を送りました。するとそのアルバムを聴いてくれた海外のギターメーカーの人が、「すごく気に入った」と連絡をくれたんです。トントン拍子で、そのメーカーと契約を結べることになりました。
言葉ではなく、行動で示すことの大切さ
26歳の時、そのメーカーの仕事で、上海で開かれるインターナショナルギターフェスティバルに出演できることになりました。世界のさまざまな国や地域からギタリストが一堂に会し、それぞれの演奏を披露するイベントです。
初めての海外での演奏にとても興奮しました。会場の熱気もすごくて、お客さんがサインを求めてくれたり、一生懸命英語で感想を伝えてくれたり。ライブも大成功でした。それを見たプロデューサーが、「よしタケシ、これからツアーだ!」と言って、アジアを回るツアーを組んでくれたんです。そのステージからポジティブな流れができて、海外での仕事も増えていきました。
活動が軌道にのってきたころ、鹿児島でライブをする機会があり、それを祖父が見に来てくれたんです。ライブのあと、「お前はどこでギターを習ったんだ」と聞かれたので、「独学だよ」と答えました。あとで母から、祖父が「剛史にはこの道が合ってるのかもしれないな」と言ってくれていたと聞きました。
ずっと気まずかった祖父との関係が、少しずつ変わっていくのを感じました。この時、認めてほしければ行動で示すしかないんだなと気が付きました。昔はずっと言葉で説得しようとしていたけれど、そうじゃなくて、実際にやってみて、継続している姿を見せることでようやく分かってもらえるものなんだと。
行動で示すということはギターの世界では特に大事かもしれません。ギタリストは、プロとアマチュアの定義がすごく曖昧です。プロかアマチュアかというのは、結局のところお客さんに感じてもらうしかないと思っています。いくら言葉で「プロです」と言ってもダメで、実際に作品や演奏を見て頂いた上でプロだと感じてもらえることが大事なのだと気が付きました。
国境と時代を超える音楽を生み出す
現在は、作曲家・ギタリストとして国内外で活動しています。TV番組などへの楽曲提供やアルバムの制作、ライブなどが主な活動です。
ライブでは他のミュージシャンとコラボレーションすることもありますが、基本的には自分の作った楽曲をソロギターで演奏しています。これまでもアジアを中心にいろいろな国でソロギター演奏をしてきました。日本では特に神社仏閣や美術館など歴史や文化が感じられる場所でのライブを大事にしています。そういった空間にはギターの音色がとても合うので、これからも積極的に企画していきたいと思います。
いま特に力を入れているのは楽曲制作。最近ピアノを練習し始めて、鍵盤をベースにした作曲が出来ないかと試行錯誤しています。ギターから曲を作るのと、ピアノから曲を作るのとでは視点が違って面白いです。ピアノは音階が広く、音楽全体を俯瞰しやすい楽器なので、ピアノを通して曲を作ることで新しいアイディアが取り入れられると考えています。作曲の幅を広げて、もっと深みのある音楽を作りたいですね。
また、そうやって作曲の幅を広げることで、ギターの演奏にも効果があると思っています。ギターは6本しか弦がないため、6音という制約の中で、本当に必要な音だけを使って演奏していく引き算の楽器。その良さを最大限に活かすとともに、ピアノを弾くような感覚でギターを弾けたら、もっと自由に、もっと美しく演奏できるはずだと思うんです。
時折、良い曲を作ったり、良い演奏をしたりするような巨大な才能に遭遇すると、もう音楽を辞めようかと思うことがあります。こんなすごい人がいるなら、僕が音楽をやらなくてもいいんじゃないかって。でも、「もう限界!無理!」と思った時に、自分の作った曲が励ましてくれたりするんです。自分が録った音源を、時間が経ってから再び聴いたときに、純粋に「良い曲だなあ」って思えることがあります。そういったことがあると、「大丈夫、まだやれる」と、自分を奮い立たせることが出来ます。恐らくミュージシャンは皆、こういった経験をしているのではないでしょうか。
今後は、これまで以上に海外へ出ていき、グローバルな作曲家、ギタリストになりたいと思っています。インストゥルメンタルという、言葉のない音楽ジャンルなので、他国の人にも届けられるチャンスはきっとたくさんあります。日本だけでなく、いろんな国で受け入れられるようどんどん演奏していきたいですね。
初めて聴いて衝撃を受けたモルダウのように、これまで聴いてきた好きな音楽たちのように、本当に良いものは時代や国や文化を超えて、じわっと染み渡るように知られていくものです。そういう広がりがあることを信じて、これからも音楽を生み出し、演奏し続けていきたいです。
2018.10.04