福岡県古賀市に3人兄妹の末っ子として生まれました。古賀市は食品工場などが集積した福岡のベッドタウンです。近所には、第二次ベビーブーム世代など、たくさんの子どもが暮らし、地域ぐるみでのびのび育ててもらいました。丈夫で背の高い木を見つけては、友人らと競いあって木登りをした日々。自然と足腰が鍛えられ、小学生になるとマラソン大会で学年1位になるほど体力にも自信がありました。

細かいことを気にしないおおらかな性格で、10歳で父の転勤で広島に拠点を移すこととなった時も、転校初日に「親友を紹介するね」と友人を自宅に招き入れ、母を驚かせたことがありました。友人に恵まれた順風満帆な毎日を過ごしました。

しかし、中学一年の春、その後のアイデンティティ形成に関わるできごとが起こりました。学校の健康診断で潜血尿と蛋白尿の陽性反応が出てしまい、地元の診療所で「慢性腎臓病」と診断されたのです。医師からは、「治療は数十年に及ぶことも少なくない。完治が難しい病気」「腎臓を悪くするといつかは人工透析」「妊娠出産は難しくなるかも」と、なんだか怖い説明をされました。それでもピンとこなかったのは、痛み痒みなどの自覚症状がなかったからです。風邪と同じで、そのうち治るよね、とのんびり構えていました。

ところが、薬を飲んでも、潜血尿と蛋白尿は改善されませんでした。しばらくすると体の変化も感じるように。スポーツ大会の5分間走で、これまでなら負けるはずがなかった男子生徒に楽々と追い抜かされ大ショック。腎臓病の影響で疲れやすくなると、得意なスポーツで結果を出せなくなりました。また、「妊娠出産は難しくなる」という言葉は、自己肯定感を下げていきました。

そんな中、友人はいつの時もあたたかかったですね。病を個性として受け止め、腎臓病を「ジン」と呼び、私がファストフード店でみんなと同じようにフレンチフライを注文すると、「あんたジンなんじゃけ、調子に乗りんさんな」と叱ってくれました。 友人らとバカやってると、病の自分をすっかり手放すことができました。