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人の活性化で会社、日本を良くしたい!
「大企業だからできない」という諦めへの挑戦。

濱松 誠さん/大手家電メーカー勤務

はてぶ

大手メーカーにて人事として働く傍ら、有志にて社内の「人のつながり」を生み出す活動を行う濱松さん。世界を股にかけて働きたいと考えた学生時代から、社会人を経て「人」に情熱を注ぐようになった背景には、どのような思いがあったのでしょうか?

「日本と世界」という視点

京都に生まれ育ち、小さい頃から英語が好きでした。
キッカケは小学生の時に通い始めた英会話スクールだったのですが、
最初は英語のゲームの楽しさや、まだ誰も知らない単語のスペルを書けた時の嬉しさから始まり、
元々の社交的な性格も相まって、英語自体がどんどん好きになっていきました。

並行して、小学校からバスケットを始め、小中と全国大会に出場するようなチームでバスケットに打ち込みました。
そして、高校に進学すると、そのままバスケ部に入りながらも、 ESS(英語部)にも同時に所属。
英語劇や英語スピーチの練習をしながら、家族にもわがままを言って高校1年でアメリカ、
高校2年でオーストラリアに短期留学させてもらうことができました。

ところが、初めての海外留学では思ったように流暢にしゃべれず、
描いた理想と現実のギャップの大きさを痛感しました。 日本人では良くあることかもしれませんが、
文法は分かるのに会話が上手くできず、「必要なのは会話なんだ!」と帰国してからは英語で話すことに力を入れていきました。

この頃から、自分の中では常に「2足のわらじ」を意識してきましたね。
目立ちたがりやな性格でやんちゃをして目立つ一方で、
進学クラスで勉強に励む、また、バスケ部に入りながらも、ESSで英語劇やスピーチを練習する、
と、いろいろできるようになりたいと思っていました。

特に、バスケットをしながらESSに属するなど、自分の周りにはいなかったので、驚かれることもありましたが、
「濱松がそこまでやりたいなら」 と最終的にはみんな応援してくれましたね。

その後、高校を卒業してからは、英語を使ってグローバルに働きたいという思いから、
大阪外国語大学(現:大阪大学外国語学部)に進学しました。
専攻のヒンディー語学科では、言語だけでなく、潜在性を秘めたインド経済、多種多様なインド文化も学ぶことができました。

特に印象に残っているのは、語劇の活動で2ヶ月間かけて、インド縦断の旅をしたことです。
日本と違って、思う通りにいかないことは多々ありましたが、それ以上に自分に刺さったのが、日本にいては感じられない「多様性」。

日本では米国や中国の文化が色濃く反映されていますが、
そのどれとも全く違うインドという新しい文化・価値観を肌で感じることができました。
そういう意味で、この大学・学科に入ってよかったなと思いました。

その後、3年生のときにニューヨークの語学学校で1年留学を経験し、
改めて、日本の素晴らしさと課題感を両方抱くようになりました。
そこで、帰国後の就職活動では、「日本の力で世界をより良くしたい」という視点から、
国内のメーカーや商社を受けるようになりました。

そして最後には、日本を代表するメーカーの1つだという点、
自分についてくれたリクルーターの先輩方に強く惹かれた点から、
松下電器(現:パナソニック)に入社することに決めました。

一生懸命働いているのになんでだろう?