教えるのではなく、学ぶ環境を整える。子ども達に自らのイキイキを追求する力を。
子どもたちが、自分らしく生きていくのに必要な考え方を身につける教育プログラムを提供している町田さん。アメリカで生まれ育った町田さんが、日本で教育の道を志すようになった背景とは。お話を伺いました。
町田 来稀
まちだ らいき|株式会社ImaginEx 代表取締役
アメリカ生まれ。シンガポールで和太鼓と出会い、その魅力に取り憑かれる。和太鼓のプロになるため日本へ。ALTの仕事やプロ和太鼓奏者となった後、ワークショップを通じて教育の面白さを体感し、教育の道へ進むことに。日本初の全寮制インターナショナルスクールの立ち上げに携わった後、株式会社ImaginExを立ち上げる。自治体や学校と連携しながら全国でワークショップやキャンプを開催し、子どもたちの可能性を広げるため世界のどこでも通用するマインドやスキルを身につける教育プログラムを提供している。
夢中になる感覚がたまらない
アメリカのボストンで生まれ、2歳まで過ごしました。父の仕事の都合でフィラデルフィアへ引越した後、ニュージャージー州のプリンストンへ。そこで公立の小学校へ通いました。
知らない人がいると母の後ろに隠れてしまうような、シャイで恥ずかしがり屋な子どもでした。子どもの頃から科学が好きで、よくテレビでサイエンス番組を見ていました。
中学2年生のときにシンガポールへ引越しました。多くの国籍の人たちが暮らしている土地でとても刺激的でした。それまでアメリカの文化しか知らない生活だったので、一気に世界が広がりました。
初めて日本人の友達もできました。親以外の人と日本語で会話して、日本文化についてや同じ年頃の日本人の子が何を考えているのか聞けるのがすごく面白かったです。話を聞くうちに、日本への興味が湧いてきました。
その学校では毎年、自国の文化を生徒全員の前で紹介するイベントが開かれていました。生徒が国ごとにグループを作ってダンスや音楽パフォーマンスを披露する場で、日本人チームは毎年和太鼓の演奏を披露していたんです。
その演奏を見たとき「なんてかっこいいんだ」と感動しました。グループに参加し、実際に演奏するうちに、和太鼓の奥深さに魅了されていきました。
初めてステージに立ち、何百人という観客の前で演奏したときの感動は素晴らしいものでした。始まる前の緊張感から、演奏がスタートして無我夢中になる感覚、チームで演奏を成し遂げた達成感。聞いているお客さんが喜ぶ姿が見られるのもうれしかったですね。
それからイベントでは毎年ステージに立ち、学年が上がると後輩に和太鼓を教える立場になっていきました。やればやるほど和太鼓にのめり込み、もっと本格的に学びたいと思うようになっていったんです。
チャレンジしないと絶対後悔する
もっと和太鼓がやりたいという気持ちを持ったまま高校生になり、あるとき、和太鼓づくりを行なっており、演奏もしている日本人の元でホームステイできることになったんです。学校の長期休みを利用して宮城県白石市を訪れ、住み込みで和太鼓を習いました。ホームステイに行くまでは長い時間を日本で過ごしたことはなかったので、全てに驚きと新鮮さを感じる日々でした。
ホームステイが終わった後は、アメリカに戻って高校を卒業し、周りが憧れる職業だったことから、医者を目指すことに。アメリカ東海岸の大学へ進学しました。
和太鼓への情熱はそのままで、家庭教師のバイトで貯めたお金で長期休みに日本へのホームステイは続けていました。日本から帰ってくると、周辺に和太鼓が叩けるような場が全くないのが悩みでした。
アメリカでも和太鼓がやりたいと思い、仲間を集めて自力でサークルを立ち上げることに。ただ和太鼓自体がないので、自分たちで木を切って作るところからのスタートでした。活動を続けていくうち、他の大学に演奏で呼ばれたり、和太鼓の叩き方や作り方を教えたりすることが増え、徐々に和太鼓が広まっていくのを感じました。
初めて和太鼓に触れた人が、楽しいと感じるきっかけを作れることがうれしかったですね。なかには教わってから和太鼓が好きになって、練習に通ってくれる人もいました。
演奏はもちろん好きでしたが、今まで知らなかった人に和太鼓を知ってもらい、興味の幅を広げてあげられることにも喜びを感じていました。
大学卒業後はそのまま大学の施設に就職し、研究開発をすることに。研究の傍ら、和太鼓サークルの活動は続けていました。
23歳のとき、和太鼓のプロになろうと決心し、日本に行くことにしました。研究者にはいつでもなれるけど、和太鼓は体力的に若いうちしかできない。失敗してもいいから、とりあえず今チャレンジしないと絶対後悔すると思ったんです。
不思議とチャレンジすることに恐怖はありませんでした。通っていた大学に、キャリアや安定にこだわらない人が多かったのが理由の一つかもしれません。卒業後、就職せずに旅に出たり、NPO法人団体で活動したり。自分のやりたいことを貫いて生きる生徒がすごく多い学校でした。そんな人たちに囲まれていたおかげで、不安や躊躇なくやりたいことに挑戦する決意ができたんだと思います。
日本の教育現場で感じた疑問と不安
日本に渡ってすぐ、まずは文化や生活について知ろうと思いました。生活費を稼ぐ必要もあったので、ひとまずALT(AssistantLanguageTeacher)として働きはじめました。和太鼓を子どもに教えていた経験から、教育にも興味を持っていたんです。
茨城県の小さな町で、小中学校で英語を教えることに。就任したばかりの頃は、初めて体感した日本の序列社会で、遠慮や、気遣って発言しなければいけないことへの息苦しさを感じました。アメリカでははっきりと意見を言うのが良しとされる環境でしたから。自分が受けてきた教育とまるで違うことに戸惑いを隠せませんでしたね。
一方で、僕自身が見てきたアメリカの小学校では、たまにまとりまりがないような環境がありましたが、初めて見た日本の小学生は礼儀正しく、協調性があり、また子供たちに対する先生の熱意と愛情に感激しました。
ところが、中学生になった途端、なぜかみんな急に変わってしまうことに気がつきました。小学6年生まで楽しそうに授業を受けてくれていた子が、4月になり中学に上がった途端だるそうな態度を見せることもしばしばありました。ついこの間まであんなにワクワクしながら学んでくれていたのになぜこんなに変わってしまうのか、不思議でなりませんでした。
中学生になってワクワクがどんどんなくなっていく子どもを見て、漠然とした不安感を覚えていました。
そんな思いを抱くようになったあるとき、社会起業家として国際的に教育問題へ取り組んでいる女性と会う機会があったんです。教育への興味は日に日に膨らんでいたし、彼女の描く理想の教育のあり方には、共感できる部分もたくさんありました。
プロジェクトに関わりたいと思いながらも、自分は和太鼓のために日本に来たという気持ちが強く、そちらの道を選ぶことはしませんでした。
和太鼓を通じて教育の重要性を再確認
ALTの仕事にやりがいは感じていましたが、和太鼓をやらずに後悔したくないと思い、1年半務めた後に退職しました。
その後すぐに、長い歴史を持つプロの和太鼓パフォーマンス集団へ入団。世界各地で公演を行う団体です。そこでは「練習100回より1回舞台に立った方が大きな経験が得られる」という理念のため、入団初日から舞台に立つ経験をしました。
身体の使い方や叩き方のテクニックを徹底的に学び、チームで息を合わせる達成感を経験し、今まで以上に和太鼓の奥深さと面白さを体感しました。精神的に辛いこともたくさんありましたが、和太鼓に没頭することで心身ともに鍛えられていくのを感じましたね。
その団体では子どもたちに和太鼓を教えるワークショップも開催していて、世界各国の子どもたちと触れ合う機会がありました。文化交流を通じて、生きる上で大事な考え方や一般的な勉強以外のスキルを伝えられることにやりがいを感じ始めました。
そんな中、同年代の子どもでも地域によって能力に大きな差があることに気が付いたんです。まともに学校に通ったことがない孤児院や、ストリートチルドレンの子どもたちがすごくクリエイティブでチームワークが取れているかと思えば、きちんと教育を受けているはずの比較的豊かな家庭の子どもが積極性に欠けていたり。
社会で必要になるコミュニケーション能力やリーダーシップ力などの能力は、学校や経済的なバックグラウンドとは必ずしも比例しないのだと感じました。
入団したときは、とにかく和太鼓が好きで、プロとして活躍することがモチベーションでした。ところが、演奏活動をしながら各地で音楽の楽しさを知ってもらう活動を続けるうち、演奏するよりワークショップや交流会活動の方が好きになってしまったんです。また、「教育」の重要性を改めて感じました。
教えるのではなく、学ぶ環境を整えてあげる
3年間在籍した後、和太鼓集団を退団。このままプロとして続けることも可能でしたが、教育に対して抱いた強い興味を消すことができませんでした。どうしても教育の道でチャレンジしてみたくなったんです。
その後、ALTのときに出会った女性社会起業家に連絡を取り、その方が手がけていた教育に関するプロジェクトにジョインしました。具体的には、毎年開催しているサマースクールの準備と運営。
プロジェクトメンバーはみんな素晴らしい方ばかりでしたが、とくにある教育者の男性からは多くを学びました。
例えば、「失敗させる」という考え方。たとえ誰かが失敗をしても、それを叱るのではく、どう次につなげるか周りの人たちと一緒に考える場を作っていました。失敗して悪い方向に行くこともあるし、リスクはやはり気になりますが、失敗も学びのチャンスだというマインドがあれば、失敗が怖いから行動しないということが減っていき、どんどん積極的に、前向きに過ごす生徒の姿が見られるようになりました。
彼と過ごす中で、短期間で子どもたちがどんどん変わって、自信や生きる力をつけていく姿を目の当たりにしたんです。教えるのではなく、「学ぶ環境を整えてあげる」だけで良い。あとは生徒が自分たちで成長していくんだということを、そのとき初めて知りました。
3年ほどプロジェクトに携わり、様々なバックグラウンドの生徒が集まって、お互いに刺激をしあいながら学べる、日本初の全寮制インターナショナルスクールISAKを開校することができました。
しばらくすると、日本人生徒のみを対象としたプログラムをISAKで開催する機会がありました。全て日本語で日本の生徒のみを対象としたプログラムでも、生徒たちがどんどん変わっていく姿をみて、もっとこのような学びの機会を、普段インターナショナルな環境にいない生徒でも得られるチャンスを増やしたいと思いました。
そこで、ワークショップやキャンプを通じてそんな日本の子どもた達に教育環境を提供するため、株式会社ImaginExを立ち上げました。
子どもたちの未来に選択肢が増えるように
現在は、株式会社ImaginExの代表取締役を務めています。主に中高生をターゲットに、世界中どこに行っても活躍できるスキルやマインドを身につけられるよう、国内外の数十か所以上でワークショップやキャンプを提供しています。
内容は、アメリカの名門大学の社会人育成の専門家に直接トレーニングを受けたり、海外で企業や学校向けのカリキュラムを作っているパートナーと協業したりして作ってます。コミュニケーションや課題解決能力、リーダーシップ力など社会で必要とされているスキルを学び、自らのイキイキを追求する力が身につくプログラムです。
そういった能力は生まれつき持っている人と、持っていない人がいるわけではなく、練習することで誰でも身につけることができると思っています。なるべく早い段階で学んで、それを学校や日常生活で実践してもらう。すると子どもたちの可能性がぐっと広がると考えているんです。
提供したいコンテンツは多岐にわたるので、キャンプでは毎回異なるテーマを設定しています。例えば瀬戸内海にある小豆島で実施した時は、現地のNPO法人と連携し、「離島医療」をテーマに、チームで課題解決のためのプロジェクトを考えました。デザイン思考やシステム思考の枠組みを活用しながら、島の人口減少や高齢化問題などの課題を解決する方法を、生徒たちだけで考えてもらうんです。
たった1週間程度のプロジェクトで、こちらがびっくりするぐらい変わる生徒もいます。人見知りでコミュニケーションが取れなかった子が、自分の思っていることを整理して表現する力が身についたことで、自信を持って発言できるようになったり。全く勉強をしなかった子がキャンプに参加して目標をみつけて、毎朝早く起きて勉強するようになったりもしました。生徒の変化を間近で見られたときが、一番やりがいを感じられる瞬間ですね。
プログラムはもともと社会人向けにつくられたこともあり、ビジネスパーソン向けの企業研修も行っています。
また、キャンプに参加してくれた生徒たちの「こんな学校に行きたい」という声を受けて、「学校を作る」プロジェクトも発足しました。現在、一般財団法人活育教育財団と協力し、KatsuikuAcademyという名の高校設立に向け準備を進めている最中です。生徒たちがわくわく活き活きと生きる力を身につける場を作れればと思います。
2019.05.20