「事業投資家」という新しいスタイルを!価値あるものを顕在化させ、経済を元気にする

「ノマド投資家」という異名を持つ事業投資家の小泉さん。アメリカでMBAを取り、IBMで大企業のコンサルティングやドクターシーラボで東証一部上場も経験した後、リーマンショック時に感じた、人生の危機とはどんなものだったのでしょうか?お話を伺いました。

小泉 雅史

こいずみ まさふみ|ノマド投資家・経営者
株式会社インキュベーションファクトリー代表取締役、ノマド投資家。
賃貸不動産、貸コンテナ倉庫、インターネット通販サイトなど持続性が高いストックビジネスへの事業投資および多角化経営、コンサルティングなどを手がける。これまでに世界2周、30カ国以上を旅するノマドライフ実践者でもある。ブログ「ノマド投資家という生き方」

未知なるものへの探究心


私は神奈川県川崎市に生まれました。父は日系大手化学会社に勤めるエンジニアでしたが、父方の生家は昔から架橋の建設や銀行の経営、馬車鉄道の開設などを手掛ける社会事業家で、母方の祖父は財閥系の上場企業で社長を務めた経営者でした。そのような家系で生まれ育ったので、商売は身近でした。

一度何かに興味を持つと、とことん探求し、没頭する性格でした。小学生の頃は、天体に興味を持ち、専門誌を読みながら父とオリジナルの天体望遠鏡を作りました。

また、自分で作り上げた設備で外国人と交信し、友達になりたいという思いから、アマチュア無線にも興味を持ちました。必要な国家資格を11歳の時に取り、専門書籍や雑誌を読みあさって作った自作のアンテナを屋上に設置して、世界中の人たちとの会話を楽しみました。

交信した後、世界地図を広げて相手の位置を確認し、世界の広さを実感しましたね。海の向こう側の未知の世界に興味を持ちました。初めて交信した相手がアメリカに住んでいたこともあって、特にアメリカに強い興味を持ちました。

他にも、中学校時代は、ラジコンカーの模型作りに熱中しました。独自のアイディアでパーツを作り、オリジナルマシンでレースに出場し、たびたび入賞しました。世界選手権のビデオを見て、アメリカ代表チームの技術のユニークさに感動し、発想力の秘密を知りたいと強く感じました。

MBAは世界のビジネスで活躍するパスポート


高校時代は、中国拳法に没頭し、全国大会にも出場しましたが、勉強は全くしなかったので、大学受験に失敗。浪人が決まりました。大学を目指す理由が「周りがみんな行くから、親が行くように薦めるから」というものでしたし、刺激的な都会生活と予備校の出欠自由な環境に甘えて浪人中も遊んでばかりでした。さすがに2浪だけは避けたいと思い、試験直前から勉強を始め、奇跡的に合格。なんとか大学への進学が決まりました。

何の目的もなく入学した大学でしたが、次第に子供の頃から憧れていたアメリカに留学したいと思うようになりました。そして、1年間休学して留学を決意。

留学先で偶然、日本の企業からの派遣で来ていたMBA留学生の方と出会いました。その方から「MBAというのは経営理論を学ぶ大学院の修士課程であり、特にアメリカMBAは世界のビジネスで活躍するパスポートになる」と教えてもらいました。

それを聞いた瞬間、「これを取りたい」と強く思ったんですね。衝撃的な出会いでした。今まで未知なるものを探求して自作してきたことや、アメリカに憧れを抱いていたこと、事業家の血が流れていたことなど、全てが一気に融合した感覚がありましたね。そこから「アメリカでMBAを取って世界で活躍するビジネスマンになる。いつか自分で起業する」ということを目標にし、かなり真面目に勉強をするようになりました。

帰国後すぐに、3年後にMBA留学すると決め、それまでの計画を立てました。留学までの3年間、ビジネス全体の仕組みを学べて、起業のイメージを持てる会社で働こう。そう決めて、MBAホルダーの社長が起業したベンチャーのアパレルメーカーに入社しました。

新卒では初めて商品企画部に配属され、ブランドバックのマネジメントに携わりました。ブランドの収益に責任を持ち、商品企画から販売までの業務プロセスの構築や管理、改善などを行いました。経営というものに初めて触れることができました。

学んだ経営理論を現場で実践


ちょうど会社に入った頃、世の中ではインターネットが生まれ、すぐに興味を持ちました。世界中にアクセスできるインターネットは、「アマチュア無線のコンピューター版」だと直感しました。

コンピューターを購入してネットサーフィンを始め、世界中と繋がると、「この技術はビジネスを大きく変える」と確信しました。そのため、MBA留学先もITを活用した経営変革手法を学べる先進的なカリキュラムを提供していたカリフォルニア大学アーバイン校に決めました。

在学中は、希望通り、ITによる経営変革の実践的な講義をいくつも履修できました。クラスで日本人はひとりだったので英語では苦労しましたが、インターンプログラムでコンサルティングファームのプロジェクトに学生チームとして参画するなど、アメリカのビジネスを徹底的に学びました。

卒業後は、アメリカの大手コンサルティングファームからオファーを貰いましたが、学んだ「ITを活用した経営変革手法」を日本の企業の改善に活かしてみたいと思い、日本に帰国して、IBMのコンサルティング部門で働くことにしました。

IBMでは、大手上場企業の全社業務改革やシステム構築プロジェクトに多数携わりました。教科書に載っているような企業のビジネスモデルを改善する現場にコンサルタントとして入り込み、社長へのトッププレゼンも経験しました。

プロジェクトを通じて、膨大な顧客データを分析して、最適な方法でユーザーに商品情報を届ける、「マルチチャネル・マーケティング」への関心が高まっていきました。そこで、インターネットや電話販売、テレビショッピングなどを上手に活用して急成長していた化粧品通販会社ドクターシーラボに転職することを決めました。今度は、企業の外からではなく内側で直接会社経営に関わりたいと思ったんです。

経営戦略室を立上げ、東証一部上場を目指して会社初となる中期経営計画を作り、実行支援などを行いました。上場後も急成長を続ける組織をまとめるために、創業者と共にビジョンやミッション、クレドを作り、全社員の意識統一を図る仕組みも導入しました。

リーマンショックで直面した人生の危機


その後、ゼロから事業を立ち上げる経験を積みたいと思い、商社系の投資会社経由で投資先の取締役に就任しました。「野菜工場事業」という「人工光」と「水耕栽培」を使って野菜を生産する事業で、生産した野菜を販売するルートが全くない状態からのスタートでした。営業・マーケティング担当として、業務の仮説と検証、改善を繰り返し、10カ月程で関東圏300店舗程の新規販売先の開拓に成功しました。

販路は十分に構築できたのですが、野菜の生産コストがなかなか下がらず、収益化が難しいという結論に至りました。すでに、工場建設だけでも数億円の投資をしていましたので苦渋の選択でしたが、最終的に会社のオーナーである株主の意向によって事業の拡大計画はストップし、会社を去ることを決めました。

それを機に、MBA留学時に志した起業を決意。インターネットメディアを立ち上げましたが、予想に反して収益は全く生み出せませんでした。窮地の中で得意の経営コンサルティング事業にシフトすると、大手企業や投資ファンドから受注が取れ、こちらは順調に進んでいきました。

ところが、リーマンショックが起こり、案件の数が急減すると、コンサルティング事業は不況などの急激な環境変化に影響を受けやすく、マンパワーに頼るので限界もある、リスクが大きな事業だと痛感しました。「景気によって収入が0になる可能性があり、自分は大事な家族を養っていけるのか」と精神的にもかなり窮地に追いやられました。

そんな時に偶然、『金持ち父さん貧乏父さん』という書籍に出会いました。その中に、ビジネスオーナー、投資家として、働かなくてもお金が生み出せる「キャッシュフロー」を得る生き方が紹介されていたんです。オーナーサイドにいけば、自分がどうなろうが、仕組みが稼いでくれる。加えて、投資した事業に自分事として関われて、共に成長できる。自分が探していたのはまさにこれだと感じました。

コンサルタントの仕事で投資は身近に感じていましたが、個人レベルでビジネスオーナーや投資家を目指せることが新鮮でしたね。そして、長期的に安定した暮らしを実現する仕組みを作り出すことを目標に据えました。

「事業投資家」という新しいスタイル


自分の社会的信用を高め、銀行からの借り入れをするために一旦サラリーマンに戻りました。外資系ITベンチャーの役員に就任して経営企画室・財務経理部・法務部などを担当しながら、上場企業への日本法人売却プロジェクトも推進しました。一方で、賃貸不動産やコンテナ倉庫、ネット通販などへの事業投資を独自に開始しました。

約1年で、年収1000万円を超えるキャッシュフローを作ることに成功し、当初の目標としていた収益基盤を構築できたため、会社を辞め、再び独立しました。

現在は、賃貸不動産、貸コンテナ倉庫、ネット通販サイトなど持続性の高いキャッシュフローを生み出す「ストック型ビジネス」に多角的に事業投資する会社を経営しています。ビジネスオーナーとして自分が主体となって、事業に寄り添い、我が子のように育てていく今のスタイルが一番やりがいと達成感があり、自分に合っていると感じますね。

今後は、本来の力を十分発揮できていない事業や企業に投資し、再生させることで日本の経済を元気にしていきたいと思います。また、新たな事業を創出することも考えています。経営者としては、ストック型ビジネスの創出や再生、ストックビジネスを営む企業への出資やコンサルティングを手がけながら、長期的に安定成長できる事業投資会社を作り上げていきたいですね。ロールモデルにしているのは著名投資家のウォーレンバフェットです。そして、投資と経営、どちらにも強い「事業投資家」を極めていきたいと思います。

また、インターネットでフラット化した世界を自由に移動しながら、稼ぎ・学び・生活するライフスタイル、「ノマドライフ」という新しい生き方にも着目しています。このライフスタイルを仕事や生活に取り入れながら、ノマドスタイルな事業投資家、「ノマド投資家」を目指して行きたいと考えています。

インタビュー:小野 修平

2016.03.02

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