町工場から「世界一」の提案をする。2代目社長が描く経営再建のその先。

【有限会社セイワ工業提供】大学卒業後すぐに父が経営している町工場に入り、2代目社長に就任した野見山さん。就任当初は潰れかけの会社を立ち直らせるため奔走します。経営が安定してからは次の目標を見据え、歩みを進めています。どんな未来を描いているのか、お話を伺いました。

野見山 勇大

のみやま ゆうた|有限会社セイワ工業代表取締役/事業承継家
有限会社セイワ工業の二代目社長であり、製造業専門のコンサルティング会社KOBATASの創業者。個人としても、引き継いだ会社の経営再建を果たしたノウハウを伝えるため「事業継承化家」として多数のメディアで情報発信を行う。2018年11月、著書『会社を殺さないための「事業承継」の教科書』(きずな出版) を出版。

セイワ工業:https://seiwa04.com
個人サイト:https://yuta-nomiyama.com

※この記事は有限会社セイワ工業の提供でお送りしました。

やればやるだけ伸びるのがうれしい


愛知県名古屋市に生まれました。幼い頃から活発な性格で、よく近所の公園で年上のお兄ちゃんたちに混ざってサッカーをしていました。遊んでるうちにサッカーが好きになり、地域のサッカー少年団に入団。毎日夢中で練習していましたね。

どんどん上手くなっていく実感があるので、練習は好きでした。100回しかできなかったリフティングが、200回300回とできるようになっていくのがたまらなくうれしかったんですよね。中学生になってもサッカーは続け、練習に明け暮れる毎日を過ごしました。

中学校へ入学してすぐは、ほとんど勉強しなかったので、成績は全然よくありませんでした。ただ、1年生の終わり頃、恋をした女の子が頭のいい高校に通っていたので、自分も同じ高校に行きたいと思い猛勉強を始めました。恋心はすぐに冷めてしまったのですが、一度成績が上がる経験をすると楽しくなって、勉強を続けました。3年生の時には学年でトップ10に入るほどの成績になりましたね。そのまま勉強を続け、地元の進学校を受験し、無事合格できました。

ハマったらとことん


高校でもサッカーは続けました。2年生になったとき、流行っていたインターネットサービスを使って、女の子とデートすることにハマりました。部活が終わってすぐ名古屋駅に向かい、そこで女の子と待ち合わせしてデートして。毎日のように出かけ、特に夏休みは一夏で30人以上とデートしてましたね。一度ハマるととことん夢中になるタイプでしたね。

部活を引退してからは受験勉強をはじめ、得意だった英語をもっと伸ばすべく地元の外国語大学を受験し、無事合格しました。

大学生になって最初の1年間は友人の家に泊まりに行ったり、飲み会をしたりと、とにかく遊びまわりましたね。受験勉強を真面目に頑張った反動だったのかもしれません。ただ1年経つと遊びに飽き、何か夢中で取り組めるものが欲しいと思いました。

改めて何がしたいのか考えた時、思い出したのは大学を選んだ動機である「英語を学びたい」という気持ちでした。そこで、フィリピンやカナダに短期留学に行ったり、TOEICの勉強をしたりと本格的に語学勉強をはじめました。成績もどんどん上がり、2年生の終わりにはTOEICで900点以上をマークするほどになりました。

同じ頃、友人の勧めで、複数の企業が参加する、インターン生募集のための合同説明会に参加しました。軽い気持ちで行ったのですが、そこで社長さんたちの話を聞くうちに、社長という仕事はなんてかっこいいんだと感じました。特にとある企業の社長が言っていた「世の中を変えるのは起業家だ」という言葉に感動し、自分もいつか起業家になって、世の中を変えたいと思うようになりました。

憧れている人たちに少しでも近づきたいと、その社長さんたちが募集していたインターンに片っ端から参加していきました。全部で6社ほどにインターンをさせてもらいましたね。

そのうちの一社で、考え方が合うなと思っていた会社の面接を受けることに。周りの人たちからも勧められ、絶対に受かると思っていたにもかかわらず、内定をもらえませんでした。受かるもんだと思い込んでいたので就活はしておらず、これからの見通しが立たない状況になってしまいました。

ただ、業界で勢いのある企業にたくさんインターンに行き、自分は優秀だと勘違いしていたので、今更、他の就活生に混ざって就活し直すことはしたくないなと思ってましたね。

経営再建


今後の自分の進路を考えていた大学4年生の時、たまたま参加した勉強会で「親孝行はできるうちにしたほうがいい」と言われ、親の工場を手伝うことにしました。親孝行したい気持ちもありましたが、半分は就活から逃げる口実が欲しかったんですよね。

実際にアルバイトとして働き出してみると、思っていたより経営状況が悪いと感じました。工場は、高速道路などで見かける大型道路案内標識柱をはじめ、様々な製品を作っていて、社員数は10名くらい。今にも潰れそうな会社で社員が必死になって働いている、そんな状況を目の当たりにし、なんとかしたいと思うようになりました。

また、就活中の起業家たちの姿に憧れていた気持ちを思い出しました。これまで父の工場を継ぐ気は全くなかったのですが、自分もあんな人たちみたいになれるなら、2代目として社長になるもの悪くないなと思ったんです。

そこで、大学卒業後、2代目社長になることを視野に入れて、父の会社に就職しました。小さな町工場だったこともあり、就職してすぐ人事や財務など経営全般の仕事を任されるようになりました。

経営に携わる中でさまざまな問題が見えるようになりました。負債を抱えていたり、1社しか取引先がなかったり...。とにかくまずは財務状況を改善しなければと思い、追加融資が受けられないか検討しました。父をはじめ税理士など周りの人たちに相談しましたが、みんなから、「難しいんじゃないか」と言われました。

それでも、もし追加融資が取れなければ会社も倒産してしまうと思い、諦めずに試行錯誤を続けました。専門書を30冊以上読みましたし、先輩社長をはじめ、いろんな人たちに相談に行きました。その結果、縁あって出会った方と協力しながら、なんとか融資を受けることに成功し、倒産の危機を免れました。

必死で経営再建に向けて取り組んでいたある日、若い社員が僕のところにやってきました。そして「会社をやめたい」と言ったのです。理由を聞くと、給料がよくないこと、残業が長いことが原因でした。言われてみると「確かにな」と思いましたね。平日は何時間も残業し、それに見合った給与が出ないのでは自分でもやめたくなるなと思ったんです。

その後もたくさんの社員からやめたいと言われ、結局、社員の7割近くから退職の相談をされました。このままではまずいと思い、皆が口を揃えて不満だと言っていた給与体制と残業体質の改善に本気で取り組み始めました。

まず、給与体制については、やめたいと相談してきた社員にストレートに「いくらもらえればやめずに働けるか」と聞いて回りました。そこで出た数字をもとに、評価基準を見直し、社員の満足する水準まで給与額を引っ張り上げました。

一方、残業体質については工場長と、どうすれば改善できるか、長い期間かけて何度も相談しました。最初は、残業を減らしてほしいとお願いしても、「それならお前が現場を手伝うか?」と言われたりして、なかなか改革に向けて足並みが揃わない状態でした。

それでも諦めず、毎週のように工場長と飲みに行くなどし、根気強くコミュニケーションを取り続けました。すると、少しづつ僕の話に耳を傾けてくれるようになり、仕事のやり方を見直してもらえるようになりました。その結果、1年で大幅に残業時間を削れました。

同じことを繰り返さないよう、負債を抱えない体制づくりにも着手しました。具体的には取引先の開拓です。特定の取引先への依存体制から抜け出すことで、経営に安定感を生もうと思ったのです。約1年で主要な取引先が1社しかない状況だったのを、一気に30社近くまで増やしました。

どうして社長になったんだっけ?


入社して3年ほど経つと、共同代表として会社を率いる立場になり、その1年後、単独の代表取締役になりました。様々な改革を進める中で退職願を出してくる社員は減り、売り上げも順調に伸びるようになりました。

これまで必死になって取り組んでいた会社の建て直しに目処が立ち、さて、次は何を目指そうかと考えるようになりました。しかし、考えても考えても会社の未来の姿を全然描けませんでした。思えばこれまでは、目の前の課題解決のために走っていたので、自分で目標を定めたことがなく、やり方がわからなかったのです。

事業計画が組めず悩んでいた中で、「世の中を変えるのは起業家だ」という言葉に感動し、社長に憧れたことを改めて思い出しました。そして、自分が世の中をどう変えることができるか考えました。その結果、二代目社長として経営を再建させたノウハウを活かして、昔の自分たちのように経営に課題を抱えている町工場や企業の助けになりたいと思うようになったんです。

そこで、会社の中にもともとあった部署を独立させる形で、コンサルティングを専門に行うグループ会社を設立し、個人としても「事業継承家」の肩書きを背負って、本の出版やセミナーの開催などを始めました。

また、本業である製造業の売り上げも、今以上に伸ばし続けたいと思いました。自分たちのような町の小さな工場が、毎年何倍も売り上げを伸ばし続けることで、他の製造業の会社の経営者たちが「それなら自分も」と奮起してくれるのではと思ったからです。

「世界一」を提案する企業でありたい


現在は、三重県で有限会社セイワ工業の代表取締役を務めつつ、製造業専門のコンサルティング会社KOBATAS(コバタス)の代表を務めています。

その中で取り組んでいることは大きく2つです。1つ目は、有限会社セイワ工業としての土木製品や機械部品の製造です。効率的な製造ラインの見直し、取引先の拡大などを進めて、年々大きく売上を伸ばすことができています。

2つ目はKOBATASとしてのコンサルティング業務です。製造業を営む経営者、特に中小企業の経営者はものづくりには熱心ですが、安定した経営のためのノウハウがなかったりします。そんな人たちに、実体験に基づいて経営状況を改善するためのアドバイスをしています。

仕事をする上でもっともやりがいを感じる瞬間は、自分たちがした提案で経営者の方々の顔が明るくなる瞬間です。「そんな方法があったのか」と気づきを与えられたり、一緒に新しい解決策を生み出せた時、自分の存在意義を感じ、ものすごくうれしくなるのです。

今後も製造業に携わる人たちの助けになりたいと思っています。そのためには、その提案の質を上げ続け、世界一の提案ができる企業になりたいですね。

さらに、世の中へ与えられるインパクトを大きくするため、上場したいと思っています。そのために、M&Aなどによって事業承継し町工場のネットワークを作りたいです。築き上げたネットワークを元に、ホールディングス化を進め、多くの会社で一丸となることで上場を果たしたいです。

町工場でも上場できるのだと世の中に、自分たちの姿で示せれば、それもまた、世の中の多くの会社に対する一つの「提案」になるのではと思っています。

一回きりの人生なのだから、世の中をどれだけ変えられるか精一杯挑戦したいと思っています。今の目標は世界一の提案ができる組織を作ることですが、その目標が達成できたら、また新しい目標が見えてくると考えています。きっと人生には「もうこれぐらいでいいじゃん」という諦めと「いや、俺はもっとできる」という挑戦心のせめぎ合いが常について回るのだと思います。

これからも、妥協したい気持ちに負けず、自分の可能性を信じ抜き、掲げた目標の達成に向け、全力で走っていきたいです。

2019.06.27

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